特派の狸

こま

文字の大きさ
33 / 53
第二章

吹雪

しおりを挟む
皇国歴一九六一年 厳冬

「突撃」
 真実は小さく叫んだ。ひとり随伴する巡はそれよりも大きくハイと返事をした。
 犬の群れは健在で、とても敵わないだろう。ましてやそれを率いるのはその神である。
 犬が我先にと二人の少女に群がっていく。俺はそれを眺めているだけで、加勢にいくことができずにいる。
 フェンリルは動かない。前傾になっていつだって突進ができるだろう姿勢のまま、仲間とその敵をじっと睨んでいる。
(俺はどうすればいい)
 いつもなら燃えるように疼く傷も、頭が真っ白になるほどの情動も、追いかけなければならない小さな背中も、全てが俺が俺でなくなったような感覚すらある。考えれ場考えるほど、感覚を頼れば頼るほど、俺は自分を失っていき、現実的な時間は進んでいく。
「真実さん!」
 巡の声が、犬たちの中から聞こえた。二人とも囲まれていて姿は見えないが、切迫した声は明らかに不利を超えた危機に瀕していることがわかる。
「うるせえ! 犬っころみてえに咆えるんじゃねえ、私たちはなんだ、言ってみろ!」
 それ余裕ではなく、自分自身昂らせるためのものだとはっきりわかった。声の奥が濁り、震えている。
 このままじゃ、どうなるか。そんなことは考えなくてもわかる。この不安を俺たちはずっと抱え、心が粉砕してもなお温め続けてきたのだから。
「あいつら、怖くねえのかよ」
 巡の困憊が手にとるようにわかる。
 真実への労りと俺への嫌悪が波のように押し寄せ、肉体という浜辺を削りとっている。それが枷となり、その枷が動作からキレを奪い、焦り、また足を重くする悪循環に陥っている。
「怖くないはず、ないんだ」
 体格の小さい真実は、その器に収まらないほどの激情をどうやって保っているのか。恐怖をどうやって制御しているのか、それを考えると、行き着くところに行き着いてしまう。
「あいつらが頑張ってんのに、俺ァ」
 巡と目があった。彼女は俺をどう見たのか、すぐに何かを喚いたが、ちっとも聞こえない。
「一緒に害獣やるっていったじゃねえか。俺がそれをあいつに言ったんだ。なのに、天使を全部押し付けて、俺は面を被って憂さ晴らしか。それじゃあだめだ、俺はなんだ、何者なんだ」
 いかん、これは、ああ、落ちていくのがわかる。胸の内側、思考の底、心の最奥、熱した身体、それらが全部一個の塊になって、あちこちの感覚が麻痺していく。
 感じるのは、腕や腹の温もりだけで、これはきっと、いつものアレだ、命があふれているんだ。
「ビビってなんかいられねえ、怖いことには間違いないが、俺ァ狸だ、犬っころがなんだ、お前らなんか飼われてろ! こっちは首輪に縄にがんじがらめで、だけど独断勝手が代名詞だ、巡ィ、また怪我するかもしれないから、車ン中で声かけてくれ!」
 真実と呼ぶと、彼女はおうと返事をした。狸のごとく、俺の知る愛らしい叫声である。
「当分は飯に困らねえぞ!」
「馬鹿、グルメだっつってんだろ!」
 ああ、これだ、花火の熱射と火薬の臭い、それと雪を溶かす俺自身のみすぼらしさ。やはりどうにも、困るんだ、楽しくって。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

合成師

盾乃あに
ファンタジー
里見瑠夏32歳は仕事をクビになって、やけ酒を飲んでいた。ビールが切れるとコンビニに買いに行く、帰り道でゴブリンを倒して覚醒に気付くとギルドで登録し、夢の探索者になる。自分の合成師というレアジョブは生産職だろうと初心者ダンジョンに向かう。 そのうち合成師の本領発揮し、うまいこと立ち回ったり、パーティーメンバーなどとともに成長していく物語だ。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います

ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。 懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...