特派の狸

こま

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第二章

人外

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皇国歴一九六一年 厳冬

「巡、一緒にいこうか」
 巡に放たれた凶弾を見たあとで、榊真千はにっこりと微笑んだ。
(はは、真実さんそっくり)
 死にゆく者の表情ではなかった。真新しい傷からは擦り切れた垂れ幕のように血が流れていのに、明るく溌剌とし、巡の姿に息を吹き返したようである。
 榊は平場の軍刀を抜き取り、レベト軍人の銃を持つ五指だけを切り落とした。反応できた者は誰もいない。巡だけが、わずかにそれを視認できたが、指が雪に落ちたあとでも目の錯覚ではないかと疑った。刹那の早業である。
「んふ、一人か二人残ればいい。亀は万年祟るからな」
 朗らかをまとったのも一瞬で、巡ですら失禁していないかを手を当てて確認しなければならないほどの無差別な殺気が迸った。
 人は心から恐れを抱くと、硬直する。巡に照準を合わせるレベト軍人たちは、そのその目に巡を写しながらも、まるで何もみえていないかのようで、十メートルほどの距離にいる武装もしていない榊に、すでに心を支配されていた。指が震えて暴発するということもないくらい、鋼の骨を持つかのごとくじっとしている。
「フェンリルは軍人を狂死させるらしいが、なにも連中だけの特技じゃない」
 平場の横まで歩き、レベト軍人の肩に手を置いた。
「恐怖を飼い慣らせるものは稀だ。お前は、どうだ」
 その表情は影になって伺えないが、巡はそれを幸運におもった。直視すれば、という妄想を立ち上がることに全力を尽くすことで頭の隅においやった。
「はっ、立ったまま死ぬとは。なかなか気概はあったようだが」
 さて、と榊は自分の指をくわえ、唾を傷に塗った。
「全員にこれをやるのも面倒だな。巡軍曹、こいつらを拘束しろ」
 返事の声も出ず、視線を合わせて頷くことで了解を示した。レベト軍人たちの体は自ら望むように手を後ろに回し、武装も素早く解除した。
(異常だ。こんなこと、あり得るのか)
 巡は恐怖の真髄を垣間見て、無数の戦場体験からくる経験と自信が崩壊しかけそうになる。しかしそれをさせなかったのも榊であり、あの人がおかしいんだとそれ以外に答えのない疑問に決着をつけた。
 全員が拘束された。平場は榊により奥歯が砕けるほど殴られ、その後に身動きを封じられた。
 榊は耳をそばだて、きょろきょろと周囲を見渡す。
「一キロ圏内に気配なし。いや、リスが二匹いたな」
(どういう感覚をしているんだ)
 それがたとえ安心しろという暗示だとしても、さきほどの演劇のような制圧を見ているため、この人外にどんな対応をすればいいかわからない巡である。
「ん? 本当だよ? むくろがあるだけさ、気のいい連中のね」
 巡はこのときになってようやく嗚咽を漏らした。
「大尉。私は間に合いませんでした。隊長から命じられ、あなた方の救援と」
「巡、軍人とは、こんなもんだよ」
「哀悼も捧げず、管理票ですらも」
「そんなもんだよ。さ、泣きながらでもいい、応援を呼んでくれ。この場を締めなきゃならない」
 私の無線はこの通りだ。と砕けた残骸を指さした。巡は会話のできる状態ではなかったが、それでも震える指で通信した。
『巡です。隊長、応答を』
 ぜえぜえと鼻声になった。呼吸も荒いが、それは通話口の向こうの狸もそうだった。
『おう。無事か』
 巡は泣くなと自分に言い聞かせ、拳を握り頬にぶつけた。
『おい、すげえ音したぞ。なんだ、交戦中か』
『いいえ。榊真千大尉と合流しました。敵は拘束し、無力化しています。被害は』
『悪いがそれはあとだ。こっちを手伝え』
 手早く場所を指示される。そこは巡たちのいる地点からそれほど離れておらず、南西に数キロほどの場所だった。
『すぐに参ります』
 真実は何かをを言いかけ、あー、とか、うー、とかを繰り返し、
『姉貴によろしくって』
 と、亀を憂うように呟いた。
『直接お話されては』
『いいんだ。それとな、あのな、巡』
 早く言えばいいのに。巡はやきもきしながら、しかし急かすことはせず、無言のままでいた。
『怪我してないか』
『肩に一発。ですが無事です』
『そっか。ん、まあ、あれだよ。よくやってくれた』
 ありがと。と、言って通話を終えた。巡はその照れた顔が浮かび、隣にいる榊に微笑んだ。「隊長がよろしくと」
「うん。では、ここは私に任せてくれ。きみは真実の、じゃなくて榊曹長の指示に従いなさい」
「はい。それでは、ご武運のありますよう」
「あはは、巡、自分の安全を第一に考えなさい」
 おんなじこと言ってる。巡はたったそれだけのことで肩の痛みを忘れ、敬礼をして辞した。



 時は少し遡る。
 真実は誠と分かれ、フェンリルを横目で追いながら、梟の元へと走った。
 陣所は拵えの雑な矢倉で、高さニメートル程度のそれが固まってある。梟たちはそこに登り射撃をし、そして敵の動きと味方の誘導をしていた。
 小さな天幕には机と椅子があって、そこに黒子がいる。やつれているが、目だけは猛禽のそれである。
「狸が来たら入れてやれと指示を出したが、そんな必要がないくらい、みんなきみたちに信を寄せていてね。それがとても嬉しかったんだ」
 真実の顔を見るなりそう言った。
「ハネさんに感謝だね」
「そうじゃないよ。真実、と呼ぶのは恥ずかしいね、やっぱり。まあいい、あー、なんだっけな」
 些細なやり取りにですら、疲労が色濃く現れていた。普段の彼女の精神状況ではなかった。
「湯ノ島さん、無茶しすぎじゃないの」
「うん。でもね、きみのところの誠くんがね、梟の照準の前にずっといるんだ。あんなのを見せられたらねえ」
 やらないわけにはいかないよ。とこぼしながらも真実と交わっている視線のその先、黒子は今もフェンリルを追っている。絶えず送られてくる情報を元に狂いなくその位置を把握していた。
 これは意地である。狸から信を寄せられ、さらに自分の部下やかつての上官がこの小さな害獣をよくおもっている、黒子はそれだけで、梟のすべてを使って手助けしようという気になった。
 仁義の女血走った目が、梟の長たるその瞳が、真実を奮わせた。
「うはは、そうだね、あいつが踏ん張ってる。ね、黒子さん、あんたの目に、よそ者が写ってたりしない?」
「よそ者? レベトの連中ならさっき」
 亀とともに行方知れず、と言うはずで、事実のためにそうすべきだったが、とっさに口をつぐんだ。
「姉貴のところじゃない。あそこには巡をやったから大丈夫。きっと大丈夫だ。問題はないんだ。そうじゃなくてさ、天使と交戦していない部隊とか、戦場を俯瞰できる位置にいるやつとか」
 一瞬だけ真実は巡をおもった。あいつならばなんでもこなすという期待と信頼はもちろんあったが、大丈夫と繰り返したのはそう思い込もうとしたのかもしれない。彼女も通常の精神ではいられなかった。
「土竜だな。まだ普請を続けている。俯瞰できるのはうちと、あとは烏から何人か手を借りている」
「旦那のところじゃねえ。無論あんたのところでもない。不義のにおいがしないもの。烏は御岳みたけの姉御だろ、あの人は頭から爪先まで皇国軍人だ、におうのは煙草だけ。他にいないかい」
 御岳涼子は狸の素行の悪さを危惧し、真実たちの着任当初は毛嫌いしていたが、一緒に戦場に立ってからは評価を一変させた。特に巡を傍目から見ても異常なほどに愛し、何度も烏へ勧誘したりした。
「他って、あとは増援がくらいだ」
「どこ」
「猫だよ。中央の平場って大佐が指揮を取ってる。来月あたりから正式に着任する人だけど、彼と彼の部隊はもう北楽支部にいてね、そこからまっすぐこっちに」
「そいつだ。その部隊、今どこ」
 机に手をついて、黒子の鼻先に迫るように身を乗り出した。直感以外に根拠はなかったが、確証があるように黒子は感じた。このあたり振る舞い方が誠に「化かされている」と感じさせる彼女独特の無自覚な術だった。
「交戦すると連絡があったから、到着は少し遅れている。拠点で待つのか」
「いいや、交戦なんかしちゃいない。やつらはもう近くにいるよ。亀がその証拠だ」
 地図に目を落とし、そして黒子を見た。
「ね、烏の場所は」
 黒子の指が地図に落ちる。梟のいる地点を時計の長針が十二時にあれば、そこは三時の位置にある。
「数は」
「三十分ほど前には六十くらいだったかな。撤退報告はないままだ」
「ありがと。姉御に挨拶に行ってくる。事情を説明しないと動いてくれないだろうし」
 それを無線でするというのは不義理に思えたた。
 敬礼もせず出ていこうとする真実に、黒子は待てと一言かけた。ぴたりと動きをとめて回れ右をしたのは、余裕があることを見せつけたかったのかもしれない。
「真実、何か手伝えそうかな」
「もう十分手伝ってもらってるよ。だけど、ピンチになったら助けてね」
 ドラマチックにさあ。と天幕を後にした。
「いや、ピンチになる前に処理したいんだけどな」
 黒子はどこかに電話をかけたり、運ばれてくる情報を整理したり、また忙殺されていく。狸のことは頭から少し抜け落ちて、フェンリルだけを追っていく。
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