三つ滝の宿

小説練習家

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察し(A)

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浴場の空気は、まだざわついていた。

若者たちは湯船の縁に腰掛けたまま、恵美の話題を途切れさせることなく続けている。笑い声はもうなく、代わりに落ち着きのない視線と、意味のない相槌だけが行き交っていた。

黒川は、それを背にするように立ち上がった。
湯に浸かっても、腹の奥に沈んだ違和感は消えなかった。

「……失礼」

誰に向けたとも知れない一言を残し、黒川は浴場を後にする。

脱衣所で身体を拭き、衣服を整える。鏡に映る自分の顔は、思った以上に冷えていた。湯に温まったはずなのに、指先がわずかにかじかんでいる。

暖簾をくぐり、廊下を進む。
その先、ホールに出たところで、黒川は足を止めた。

先程、風呂を早々に出ていった颯太が、玄関近くに立っていた。
彼の前には、見知らぬ女が一人。宿の従業員ではない。厚手のコートに身を包み、どこか場違いなほど表情が硬い。

「……警察?」

女の肩口に覗く腕章が、目に入った。

その瞬間、背後から若者たちが追いついてきた。

「え、待って……あれ、警察じゃない……?」

誰かが息を潜めた声で言う。

「ほんとだ……ゴンドラの横に、車止まってる」

玄関のガラス越しに、山麓駅の方向が見える。白と黒の車体が、静かにそこにあった。

「え、嘘でしょ……?」
声が震える。
「恵美じゃないよね……? 私、聞いてくる」

一人の女性が駆け出した。

「ちょっと待って、俺も行く」

若者の一人が、慌てて後を追う。

黒川は一瞬ためらい、そして少し距離を空けて、その後に続いた。
気配を消すように、だが確実に。

玄関前で、二人は警官に声をかける。

「あの……すみません。何か、あったんですか?」

警官は一度こちらを見て、言葉を選ぶように間を置いた。

「ちょっと、山の頂上で遺体があるという通報を受けまして」
淡々とした口調。

「確認に向かいたいのですが、ゴンドラの運行が珍しく三十分ほど遅れていて、ここで待機しているところです」

「どうやら今朝、不具合で一度止まったみたいで」

若者の一人が、喉を鳴らした。

「……もしかして、その遺体って」

言葉が詰まる。

「女性だったり、しますか……?」

警官は、はっきりと頷いた。

「はい。情報では、女性とのことです」

その瞬間、空気が止まった。

誰も、次の言葉を発しなかった。
言わなくても分かってしまったからだ。

黒川は、若者たちの表情を順に見た。
血の気が引いた顔。
何かを否定したい目。
そして、静かに崩れていく現実。

──彼女は、もう戻ってこない。

その事実だけが、冷たい冬の朝よりもはっきりと、胸に落ちてきた。

遠くで、ゴンドラの到着を知らせる低い音が響く。
それは、この山が、次の段階へ進む合図のように聞こえた。

──────────────────

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