血と束縛と

北川とも

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第2話

(14)

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「……つい最近、ぼくは別の人間に、同じ目に遭わされたぞ。しかも、職も、普通の生活も奪われた。ああ、住んでいたマンションも、強引に移らされることになったな。他にいろいろと迷惑を被っているが、謝ってもらってない」
「だが、刺激的な生活を手に入れたろ。ヤクザの組長のオンナっていう立場も」
 ヌケヌケと賢吾に言われ、思わずカッとした和彦はベッドから腰を浮かせかけたが、イジメられた子供のような顔をしてこちらを見る千尋に免じて我慢してやる。
 そうだ。和彦は確かに千尋に甘い。
 自覚があるからこそ決まり悪くなり、和彦はベッドに腰掛け直すと、腕組みして尊大に言い放った。
「二度としないというなら、許してやる」
 現金なもので、この瞬間にはもう、千尋は目を輝かせる。息子の態度とは対照的に、父親のほうはニヤニヤしながら物言いたげな様子で和彦を見ていた。一瞬臆しそうになった和彦だが、ささやかな強気を貫く。
「……あんたは他人事みたいな顔をしているが、父親なら、しっかり息子を躾けろ」
「躾けているだろ。厳しく」
 そう言って賢吾が手を伸ばし、腫れて紫色になった千尋の頬を指先で弾く。千尋が声を上げた。
「いってーな、クソオヤジっ」
 そう怒鳴った千尋が、助けを求めるように和彦の隣にやってきて、腕にしがみついてきた。賢吾がどんな説教をしたのか知らないが、千尋はあまり反省していないようだ。それを見た賢吾が、目を細める。一見和やかな表情にも見えるが、和彦にしてみれば、獲物の品定めをしている物騒な表情に見えて仕方ない。
 賢吾に対して遠慮なくものを言っているようで、和彦は常に、賢吾との距離を計っていた。超えてはならない一線を超えると、容赦なく絞め殺されるぐらいの危機感は持っているつもりだ。
 ヤクザと接するとは、そういうことなのだ。
 和彦の警戒した眼差しに気づいているのかいないのか、賢吾がゆっくりと立ち上がる。たったそれだけの動作で、冷たい空気に頬を撫でられた気がして緊張する。しかし賢吾が発したのは、緊張感の欠片もない言葉だった。
「千尋も懐いていることだし、先生、本当に千尋の〈母親〉にでもなってみるか?」
 和彦は露骨に顔をしかめてみせる。
「用が済んだらさっさと帰ってくれ。本当に眠い――」
「うちのバカ息子を躾けるには、美味い餌が必要だ」
 この瞬間、気がついた。千尋は甘えるために和彦の腕にしがみついているのではなく、捕えておくためにそうしているのだと。
 顔を強張らせる和彦の前に、賢吾が立ち、あごを掴み上げられた。
「朝からずっと、千尋と話し合っていたんだ。こいつは、先生を組の身内として大事にしてくれるなら、家に戻っていいと言った。俺としてはもちろん、大事な先生を手放す気はないし、粗末に扱う気もない。……役に立ってくれる医者としても、俺のオンナとしても」
 体を屈めた賢吾に当然のように唇を塞がれ、あごを掴む指に力を込められてやむなく口を開けると、すかさず舌が入り込んできた。いつものようにねっとりと粘膜を舐め回され、唾液を流し込まれる。だが、さすがにこの状況で口づけには応えられなかった。すぐ隣に千尋がいる。
 その千尋が、賢吾を押し退けることもせず、和彦の耳元に顔を寄せてきた気配がした。
「――俺、家に戻る条件を、もう一つ出したんだ」
 ふいにそんなことを囁いてきた千尋に、ちろりと耳を舐められた。
 目を見開いた和彦の眼前で、賢吾の目が笑っていた。少しも優しさを感じさせない、獰猛な獣の笑みだ。
 ゆっくりと唇が離され、今度は千尋のほうを向かされる。千尋は、さきほどまでの甘ったれの犬っころのような空気を完全に払拭して、父親と同じような笑みを浮かべていた。
「千尋……」
「俺が出したもう一つの条件は、先生を、俺の〈オンナ〉にするということだ」
 顔を近づけてきた千尋に、賢吾の唾液で濡れた唇を指先で拭われてから、軽く吸われた。
「オヤジのやり方を踏襲した。俺もヤクザとして、欲しいものはこうやって手に入れることにしたんだ」
 そう言って千尋に再び唇を吸われ、賢吾がしたように口腔に舌が入り込んでくる。
 肉食獣の子供は、やはり肉食獣なのだと、嫌というほど和彦は痛感させられた。同時に、自分の甘さも。
 今度は賢吾の顔が耳元に寄せられる。
「さっき言ったとおり、俺はお前を手放す気はない。だから、俺と千尋の共同所有ということになる」
 千尋に舌を吸われながら、今度は賢吾に耳を舐められ、和彦は身震いする。たまらなくこの父子が怖いのに、体の奥では熱く淫らなものが蠢いていた。
 あごに賢吾の手がかかって千尋の唇から離されると、すかさず賢吾からまた深い口づけを与えられた。
「――しっかりバカ息子を躾けてやってくれ、先生」
 口づけの合間に囁かれた言葉は、しっかりと和彦の胸に刻みつけられた。
 和彦から強引に承諾の返事をもぎ取って、物騒な父子が部屋から出ていこうとしたが、ふと何かを思い出したように賢吾だけが引き返してきた。
 呆然としてベッドに腰掛けた和彦の肩に手をかけ、賢吾が耳元で囁いた。
「次に会うときは、たっぷり俺のものも舐めてもらうぞ」
 間近で目が合うと、笑いかけられた。
 ドアが閉まり、部屋には和彦と三田村だけとなる。なんの用だと睨みつけると、三田村は封筒を差し出してきた。
「先生の新しい部屋の鍵だ」
 受け取る気にもなれず、和彦はベッドに仰向けで倒れ込む。天井を見上げながら三田村に問いかけた。
「三田村さん、あんた、ずっと組長についてるんなら、わかるだろ」
「何を」
「どのぐらいで、あの組長は〈オンナ〉に飽きるのか」
「……俺が知る限り、組長は、一人の〈女〉とは一度しか寝ない。多分、先生の聞きたい答えの参考にはならないだろうな」
 鍵を置いて帰るよう言って、和彦は三田村に背を向けた。
 余計なことを聞かなければよかったと思いながら。

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