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第4話
(13)
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「これが、長嶺の本宅だ」
姿勢を正した和彦の肩を抱き、賢吾が耳打ちしてくる。
自らの存在を消すように、ずっと黙ってハンドルを握っていた三田村が車を停め、短くクラクションを鳴らす。すると、門扉が開いて三人の男たちが飛び出してきた。
後部座席のドアが開けられて賢吾が先に降り、当然のように手を差し出してくる。抵抗を覚えはしたものの、和彦はその手を取って車を降り、じっくりと建物を見上げる。
まるで、要塞だった。
建物そのものは、目を瞠る大きさではあるものの外観は普通の住宅となんら変わらない。しかしその建物の三方を、鉄製の高い塀が隙間なくびっしりと囲っている。正面の威圧的ですらある立派な門扉の上には、二台の監視カメラが取り付けられており、この家への安易な接近を拒んでいる。
「たまに、鉄砲玉を撃ち込まれたり、火炎瓶を投げつけられるからな。これぐらいの用心は当たり前だ」
圧倒されている和彦に、賢吾がそう声をかけてくる。答えようがなくて口ごもっていると、門扉の向こうから大きな声が上がった。
「先生っ」
勢いよく門扉が開き、犬っころが転がってくるように、千尋が駆け寄ってきた。相変わらず元気だなと思いながら、和彦は千尋の頭を撫でてやる。
賢吾と千尋と、威圧的な塀を順番に眺めてから、本当に長嶺の本宅に連れてこられたのだと、改めて和彦は実感していた。
「――ようこそ、我が家へ」
似合わないことを言いながら、賢吾に肩を抱かれる。続いて千尋に手を取られて引っ張られた。
「歓迎するよ、先生」
急に帰りたい心境に駆られた和彦は、助けを求めるように後ろを振り返ったが、三田村は車をガレージに入れている最中で、姿を見ることはできなかった。
大きな家の中を簡単に案内されてから、塀によって外の景色が見えないことを補うように、立派な造りとなっている中庭に下りる。いくら塀に囲まれていても、昼間なら惜しみなく陽射しは降り注ぎ、濃い木陰を作り出していた。
その木陰にテーブルが置かれ、和彦は冷たいお茶を飲みながらひとまず寛ぐ。
長嶺の本宅は、静かな場所とは言いがたかった。いかにも用事に追われている様子の組員が廊下を行き来し、中庭に面した部屋のどこからか絶えず人の話し声が聞こえてくる。賢吾が使った合宿所という表現は、決して大げさではなかったようだ。
ただ、いつでも一人で暮らしてきた和彦としては、この騒々しさや、人の気配に囲まれた環境は新鮮にも感じられる。
「――悪いね、先生。うちはうるさくってさ」
サンダルを引っ掛けた千尋がようやく中庭に姿を見せ、そう声をかけてくる。和彦は答えず、じっと千尋を見つめた。素直な犬っころのように、千尋が目を輝かせる。
「どうかした?」
「いや……。ここがお前の家かと思って。それに、ヤクザの組長の本宅で、こうしてのん気にお茶を飲んでいる自分が不思議だ」
「俺も、不思議。先生が、俺の家でお茶飲んでるなんて」
千尋がイスを引き寄せて、わざわざ和彦の隣に座る。顔をしかめて見せると、悪びれない笑顔を向けてきたので、息を吐き出した和彦は千尋の頭を手荒く撫でた。千尋に甘いというのは、もうとっくに自覚している事実だ。
「お前のオヤジは?」
「仕事してる。今日は、いつも事務所でしている仕事、全部こっちに持ってきたみたい。――先生とこっちで過ごすために」
こういうとき、どういう顔をすればいいのだろうかと考えた挙げ句、澄ました顔で頷いた。
「……なんだか、ぼくが知らないうちに、大事になっている気がして怖いんだが」
「大事だよ。なし崩しで、先生は俺とオヤジのオンナだ、ってしちゃったわけだから、今になって俺たちは、先生に誠意を見せようと必死なんだよ。一時の気の迷いじゃなく、俺たちは本当に、先生を大事に思っているってわかってもらわないと」
千尋の言葉に心がくすぐられる。そんな自分の気持ちを押し隠し、和彦は千尋を軽く睨みつけた。
「そうやって甘い台詞を吐くのも、ヤクザの手だろ」
「やだなー。先生、最近すっかり疑り深くなっちゃって」
「誰のせいだ」
こうやって和やかに過ごしながら、自分はどんどんヤクザの世界の深みにハマっているのだと思うと、和彦の背筋にヒヤリとした感覚が走ったりもするのだが、いまさら抜け出そうとして、どう足掻けばいいのかという気もする。
こう思うこと自体、今の生活に馴染むどころか、心地よく感じ始めている証だろう。
今の生活は、まるで麻薬だ。
欲しいものを与えられ、十歳も年下の魅力的な青年に甘えられ、求められ、その一方で、暴力の権化のようなヤクザの組長からは傲慢に、服従を強いられ、支配される。強く拒絶したい反面、どうしようもなく惹かれるものばかり与えられる毎日に、和彦の心は掻き乱される。
グラスの縁を指先で撫でながら、ぽつりと和彦は呟いた。
「――……ぼくは、どこに行こうとしているんだろうな……」
すると千尋が顔を覗き込んできて、強い光を放つ目で傲岸に言い放った。
「俺たちのいる世界の奥深くに。潜るときは怖いけど、潜ってしまえば、気持ちいいよ」
「……やっぱりお前は、あの組長の息子だ」
和彦が苦い口調で洩らすと、途端に千尋は子供っぽく唇を尖らせる。和彦はそんな千尋の頬を撫でてやるが、中庭に面した廊下を組員が通りかかり、反射的に手を引っ込めていた。
姿勢を正した和彦の肩を抱き、賢吾が耳打ちしてくる。
自らの存在を消すように、ずっと黙ってハンドルを握っていた三田村が車を停め、短くクラクションを鳴らす。すると、門扉が開いて三人の男たちが飛び出してきた。
後部座席のドアが開けられて賢吾が先に降り、当然のように手を差し出してくる。抵抗を覚えはしたものの、和彦はその手を取って車を降り、じっくりと建物を見上げる。
まるで、要塞だった。
建物そのものは、目を瞠る大きさではあるものの外観は普通の住宅となんら変わらない。しかしその建物の三方を、鉄製の高い塀が隙間なくびっしりと囲っている。正面の威圧的ですらある立派な門扉の上には、二台の監視カメラが取り付けられており、この家への安易な接近を拒んでいる。
「たまに、鉄砲玉を撃ち込まれたり、火炎瓶を投げつけられるからな。これぐらいの用心は当たり前だ」
圧倒されている和彦に、賢吾がそう声をかけてくる。答えようがなくて口ごもっていると、門扉の向こうから大きな声が上がった。
「先生っ」
勢いよく門扉が開き、犬っころが転がってくるように、千尋が駆け寄ってきた。相変わらず元気だなと思いながら、和彦は千尋の頭を撫でてやる。
賢吾と千尋と、威圧的な塀を順番に眺めてから、本当に長嶺の本宅に連れてこられたのだと、改めて和彦は実感していた。
「――ようこそ、我が家へ」
似合わないことを言いながら、賢吾に肩を抱かれる。続いて千尋に手を取られて引っ張られた。
「歓迎するよ、先生」
急に帰りたい心境に駆られた和彦は、助けを求めるように後ろを振り返ったが、三田村は車をガレージに入れている最中で、姿を見ることはできなかった。
大きな家の中を簡単に案内されてから、塀によって外の景色が見えないことを補うように、立派な造りとなっている中庭に下りる。いくら塀に囲まれていても、昼間なら惜しみなく陽射しは降り注ぎ、濃い木陰を作り出していた。
その木陰にテーブルが置かれ、和彦は冷たいお茶を飲みながらひとまず寛ぐ。
長嶺の本宅は、静かな場所とは言いがたかった。いかにも用事に追われている様子の組員が廊下を行き来し、中庭に面した部屋のどこからか絶えず人の話し声が聞こえてくる。賢吾が使った合宿所という表現は、決して大げさではなかったようだ。
ただ、いつでも一人で暮らしてきた和彦としては、この騒々しさや、人の気配に囲まれた環境は新鮮にも感じられる。
「――悪いね、先生。うちはうるさくってさ」
サンダルを引っ掛けた千尋がようやく中庭に姿を見せ、そう声をかけてくる。和彦は答えず、じっと千尋を見つめた。素直な犬っころのように、千尋が目を輝かせる。
「どうかした?」
「いや……。ここがお前の家かと思って。それに、ヤクザの組長の本宅で、こうしてのん気にお茶を飲んでいる自分が不思議だ」
「俺も、不思議。先生が、俺の家でお茶飲んでるなんて」
千尋がイスを引き寄せて、わざわざ和彦の隣に座る。顔をしかめて見せると、悪びれない笑顔を向けてきたので、息を吐き出した和彦は千尋の頭を手荒く撫でた。千尋に甘いというのは、もうとっくに自覚している事実だ。
「お前のオヤジは?」
「仕事してる。今日は、いつも事務所でしている仕事、全部こっちに持ってきたみたい。――先生とこっちで過ごすために」
こういうとき、どういう顔をすればいいのだろうかと考えた挙げ句、澄ました顔で頷いた。
「……なんだか、ぼくが知らないうちに、大事になっている気がして怖いんだが」
「大事だよ。なし崩しで、先生は俺とオヤジのオンナだ、ってしちゃったわけだから、今になって俺たちは、先生に誠意を見せようと必死なんだよ。一時の気の迷いじゃなく、俺たちは本当に、先生を大事に思っているってわかってもらわないと」
千尋の言葉に心がくすぐられる。そんな自分の気持ちを押し隠し、和彦は千尋を軽く睨みつけた。
「そうやって甘い台詞を吐くのも、ヤクザの手だろ」
「やだなー。先生、最近すっかり疑り深くなっちゃって」
「誰のせいだ」
こうやって和やかに過ごしながら、自分はどんどんヤクザの世界の深みにハマっているのだと思うと、和彦の背筋にヒヤリとした感覚が走ったりもするのだが、いまさら抜け出そうとして、どう足掻けばいいのかという気もする。
こう思うこと自体、今の生活に馴染むどころか、心地よく感じ始めている証だろう。
今の生活は、まるで麻薬だ。
欲しいものを与えられ、十歳も年下の魅力的な青年に甘えられ、求められ、その一方で、暴力の権化のようなヤクザの組長からは傲慢に、服従を強いられ、支配される。強く拒絶したい反面、どうしようもなく惹かれるものばかり与えられる毎日に、和彦の心は掻き乱される。
グラスの縁を指先で撫でながら、ぽつりと和彦は呟いた。
「――……ぼくは、どこに行こうとしているんだろうな……」
すると千尋が顔を覗き込んできて、強い光を放つ目で傲岸に言い放った。
「俺たちのいる世界の奥深くに。潜るときは怖いけど、潜ってしまえば、気持ちいいよ」
「……やっぱりお前は、あの組長の息子だ」
和彦が苦い口調で洩らすと、途端に千尋は子供っぽく唇を尖らせる。和彦はそんな千尋の頬を撫でてやるが、中庭に面した廊下を組員が通りかかり、反射的に手を引っ込めていた。
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