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第4話
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結局は、和彦自身の受け止め方なのだ。ヤクザなんかのオンナにされてしまったことは、屈辱でしかない。誰かに指摘されれば、顔も伏せたくなる。蔑まれて当然の立場だ。なのに和彦をそんな立場に追い込んだ本人は、傲然と顔を上げていろと言う。
勝手なことを言うなと思いはするが、逃げ出せないのなら、受け止め、自分の武器にするしかないのも確かだ。そうすることでしか、和彦の面子は保てない。どうでもいいと、放り出してしまうことも簡単だが――。
「本当に、ヤクザは自分勝手だ。面子なんて理屈、この世界でしか通用しないじゃないか。そんな理屈を、ぼくにまで押し付けるな」
だが、面子すら捨ててしまったら、きっと和彦には何も残らない。だからこそ、賢吾に守らせてやる。あの男のオンナとして、これは和彦が持つ当然の権利だ。
半ば開き直りに近いことを覚悟したとき、障子の向こうに人影が立つ。
「先生、起きているか」
ハスキーな声をかけられ、ああ、と応じる。スッと障子が開けられて、すでにもうきちんとスーツを着込んだ三田村が姿を見せた。部屋に入った三田村が障子を閉めようとしたので、和彦は制止する。
「開けたままでいい。……中庭がよく見える」
障子を開けたまま、三田村が布団の傍らに膝をついたので、和彦は体の向きを変えて見上げる。
「組長と千尋は?」
「組長はとっくに出かけた。千尋さんも、総和会の用事で、少し前に」
「……元気だな。さんざん人の生気を吸い取ったんだから、当然か」
つらいというほどではないが、和彦の体はまだ、精力的に動くことを拒んでいた。
しどけなく両手を投げ出した和彦を、三田村が無表情に見下ろしてくる。そんな三田村の顔を見上げたまま和彦が考えたのは、昨夜、長時間にわたって自分が上げていた恥知らずな嬌声を、この男は聞いていたのだろうかということだった。
この想像はひどく淫靡で、和彦の胸の奥で妖しい衝動が蠢く。まだ、三人での行為の興奮が残っているのかもしれない。
「――先生、寝るな」
三田村の言葉に、和彦はハッと目を開ける。自覚もないまま目を閉じかけていたらしい。それより和彦がドキリとしたのは、つい最近、同じ言葉を、同じような状況で三田村からかけられた記憶が蘇ったからだ。
あのとき、自分は――。和彦が目を見開いて見上げると、意識したように感情を押し殺した三田村が言った。
「風呂と朝メシの準備ができている。先生の好きなほうを先に済ませてくれ」
「……ダイニングには、誰かいるのか?」
「人目が煩わしいなら、朝メシはここに運ばせる。先生が過ごしやすいようにしてやれと、組長に言われているからな」
三田村が立ち上がろうとしたので、和彦は咄嗟にジャケットを掴んで引き止めた。驚いた様子もなく三田村は、和彦の顔と、ジャケットを掴む手を見てから、畳の上に座り込んだ。
「どうかしたか、先生」
「確かめたいことがある」
和彦は体にかけていた布団をめくると、寝ている間にはだけた浴衣を直しもせず、三田村の手を取って自分の胸元に押し当てさせた。三田村は表情を変えなかったが、胸元に触れる手はピクリと震えた。
「……なんの、つもりだ……」
「触ってくれ。――この間、してくれたように」
三田村の手は、今度は微動だにしなかった。だが、だからこそ和彦は確信した。いや、本当は最初からわかっていたのだ。
先日、ベッドの上で夢うつつになっている和彦の体に触れ、絶頂に導いた挙げ句、放った精すら口腔で受け止めてくれた〈誰か〉は、三田村だった。
夢のまま、何も気づかないふりをしていればいいのに、どうして今になって切り出したのか、和彦にも自分の気持ちはよくわからなかった。ただ、立ち去ろうとする三田村に、もう少しここにいてほしいと思っただけで――。
和彦は、無表情を保つ三田村にちらりと笑いかける。
「律儀な男だな、あんた。あのとき、ぼくが言ったことを実行してくれただけなんだろ」
「〈後始末〉を手伝ってくれ……。寝る前に先生は、俺にこう言った」
「そう、言った……。つまり、もう二回も、あんたにあんな後始末をしてもらってるというわけか」
一回目は、和彦のクリニックとなるビルの一室で、賢吾に淫らな交わりを強いられたあとだった。
今も、後始末を手伝ってくれと言えば、三田村はあんな真摯な愛撫を与えてくれるのだろうかと、ふと和彦は考える。
胸元に当てさせた三田村の手を握り締めると、黙って和彦を見つめたまま、三田村も握り返してくれた。
このとき和彦の視界の隅で、人影が動く。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けながら、ぎこちなく顔を廊下のほうに向けると、いつからそこにいたのか、ワイシャツ姿の賢吾が、薄い笑みを浮かべて立っていた。
障子を開けたままにしてもらったことを今になって後悔したが、もう遅い。三田村と手を握り合っているところを、賢吾に見られてしまった。
三田村も和彦の異変に気づいたらしく、素早く振り返ってから、わずかに体を震わせた。
「――忘れ物を取りに戻ったついでに、俺のオンナの機嫌をうかがっておこうと思ったんだが……、悪くはなさそうだな」
柔らかくすら聞こえる賢吾の声だったが、まるで冷たい鞭のように、和彦の柔な神経を打ち据えてきた。
勝手なことを言うなと思いはするが、逃げ出せないのなら、受け止め、自分の武器にするしかないのも確かだ。そうすることでしか、和彦の面子は保てない。どうでもいいと、放り出してしまうことも簡単だが――。
「本当に、ヤクザは自分勝手だ。面子なんて理屈、この世界でしか通用しないじゃないか。そんな理屈を、ぼくにまで押し付けるな」
だが、面子すら捨ててしまったら、きっと和彦には何も残らない。だからこそ、賢吾に守らせてやる。あの男のオンナとして、これは和彦が持つ当然の権利だ。
半ば開き直りに近いことを覚悟したとき、障子の向こうに人影が立つ。
「先生、起きているか」
ハスキーな声をかけられ、ああ、と応じる。スッと障子が開けられて、すでにもうきちんとスーツを着込んだ三田村が姿を見せた。部屋に入った三田村が障子を閉めようとしたので、和彦は制止する。
「開けたままでいい。……中庭がよく見える」
障子を開けたまま、三田村が布団の傍らに膝をついたので、和彦は体の向きを変えて見上げる。
「組長と千尋は?」
「組長はとっくに出かけた。千尋さんも、総和会の用事で、少し前に」
「……元気だな。さんざん人の生気を吸い取ったんだから、当然か」
つらいというほどではないが、和彦の体はまだ、精力的に動くことを拒んでいた。
しどけなく両手を投げ出した和彦を、三田村が無表情に見下ろしてくる。そんな三田村の顔を見上げたまま和彦が考えたのは、昨夜、長時間にわたって自分が上げていた恥知らずな嬌声を、この男は聞いていたのだろうかということだった。
この想像はひどく淫靡で、和彦の胸の奥で妖しい衝動が蠢く。まだ、三人での行為の興奮が残っているのかもしれない。
「――先生、寝るな」
三田村の言葉に、和彦はハッと目を開ける。自覚もないまま目を閉じかけていたらしい。それより和彦がドキリとしたのは、つい最近、同じ言葉を、同じような状況で三田村からかけられた記憶が蘇ったからだ。
あのとき、自分は――。和彦が目を見開いて見上げると、意識したように感情を押し殺した三田村が言った。
「風呂と朝メシの準備ができている。先生の好きなほうを先に済ませてくれ」
「……ダイニングには、誰かいるのか?」
「人目が煩わしいなら、朝メシはここに運ばせる。先生が過ごしやすいようにしてやれと、組長に言われているからな」
三田村が立ち上がろうとしたので、和彦は咄嗟にジャケットを掴んで引き止めた。驚いた様子もなく三田村は、和彦の顔と、ジャケットを掴む手を見てから、畳の上に座り込んだ。
「どうかしたか、先生」
「確かめたいことがある」
和彦は体にかけていた布団をめくると、寝ている間にはだけた浴衣を直しもせず、三田村の手を取って自分の胸元に押し当てさせた。三田村は表情を変えなかったが、胸元に触れる手はピクリと震えた。
「……なんの、つもりだ……」
「触ってくれ。――この間、してくれたように」
三田村の手は、今度は微動だにしなかった。だが、だからこそ和彦は確信した。いや、本当は最初からわかっていたのだ。
先日、ベッドの上で夢うつつになっている和彦の体に触れ、絶頂に導いた挙げ句、放った精すら口腔で受け止めてくれた〈誰か〉は、三田村だった。
夢のまま、何も気づかないふりをしていればいいのに、どうして今になって切り出したのか、和彦にも自分の気持ちはよくわからなかった。ただ、立ち去ろうとする三田村に、もう少しここにいてほしいと思っただけで――。
和彦は、無表情を保つ三田村にちらりと笑いかける。
「律儀な男だな、あんた。あのとき、ぼくが言ったことを実行してくれただけなんだろ」
「〈後始末〉を手伝ってくれ……。寝る前に先生は、俺にこう言った」
「そう、言った……。つまり、もう二回も、あんたにあんな後始末をしてもらってるというわけか」
一回目は、和彦のクリニックとなるビルの一室で、賢吾に淫らな交わりを強いられたあとだった。
今も、後始末を手伝ってくれと言えば、三田村はあんな真摯な愛撫を与えてくれるのだろうかと、ふと和彦は考える。
胸元に当てさせた三田村の手を握り締めると、黙って和彦を見つめたまま、三田村も握り返してくれた。
このとき和彦の視界の隅で、人影が動く。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けながら、ぎこちなく顔を廊下のほうに向けると、いつからそこにいたのか、ワイシャツ姿の賢吾が、薄い笑みを浮かべて立っていた。
障子を開けたままにしてもらったことを今になって後悔したが、もう遅い。三田村と手を握り合っているところを、賢吾に見られてしまった。
三田村も和彦の異変に気づいたらしく、素早く振り返ってから、わずかに体を震わせた。
「――忘れ物を取りに戻ったついでに、俺のオンナの機嫌をうかがっておこうと思ったんだが……、悪くはなさそうだな」
柔らかくすら聞こえる賢吾の声だったが、まるで冷たい鞭のように、和彦の柔な神経を打ち据えてきた。
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