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第5話
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「まあ、お前がそこまで言うなら。それに、今のこの状態は気楽だから、文句言う気もない」
ただ、気楽なのは確かだが、外ではほぼ行動をともにしてきた三田村が側にいないということに、ふいに落ち着かなくなったりもする。側にいればいたで、圧迫感を覚えて居心地が悪くなることもあるのに。
和彦はカップを口元に運びながら、千尋を観察する。
千尋はどうやら、自分の父親と和彦、それに三田村の三人の間で異変が起こっていることに気づいていないらしい。それとも、そう装っているのか――。
ストローに口をつけていた千尋が、ふいに笑いかけてきた。
「――先生、色っぽいね。じっと俺を見るときの表情とか」
突然の千尋の言葉に、和彦はうろたえる。
「なっ、何、言ってるんだ、お前はっ……」
「初めて会ったときからさ、先生には独特の雰囲気があったんだよ。妙に惹きつけるっていうか。それに加えて、今は婀娜っぽい。ヤクザと渡り合ってると、必然的にそうなっちゃうのかな」
「……渋い言葉知ってるな、お前」
褒めたつもりはないのだが、千尋が照れたように笑ったので、つられて和彦も口元に笑みを浮かべる。本当は、変なことを言うなと怒るつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「ねえ、まだ買い物につき合ってもらっていい?」
「それはいいが、ぼくの買い物にもつき合えよ」
当然、と言わんばかりに、満面の笑みで千尋が頷いた。
クリニックに勤めている頃、敏感な女性患者の鼻を気にかけ、職場ではまったくコロンをつけていなかった和彦だが、皮肉なことに今の生活は、そういった気遣いからは解放されている。
もともと好みであるユニセックスな香りのコロンを、衝動買いすることが増えていた。どうせクリニックを開業するまでの間のことだ。
和彦はコロンが入っている小さな紙袋を掲げて眺めてから、視線を向かいのショップに向ける。雑誌で頻繁に取り上げられるというカジュアルブランドのショップだけあって、客のほとんどが二十歳前後の若者だ。
その中で一際目立つのは、楽しそうにTシャツを選んでいる千尋だった。
決して贔屓目ではなく、千尋の存在感は特別なのだ。さきほど、実家の仕事のせいで孤立していたと話した千尋だが、本当はそれだけではないだろうと和彦は考えている。魅力的な存在は、人を惹きつける一方で、それが過ぎて、近づくことを臆させてしまうものなのだ。
和彦の視線に気づいたのか、千尋が手にしたTシャツを胸元に当ててこちらに見せてくる。似合っているという意味を込めて和彦が頷いて見せると、子犬のような素直さで、千尋がパッと顔を輝かせる。
「……ああして見ると、本当に、いいところの坊ちゃんにしか見えないんだがな……」
千尋の屈託ない表情につられて、口中でそう呟きながらも和彦は、つい笑みを浮かべていた。
手すりにもたれかかり、吹き抜けとなっている階下を何げなく見下ろす。雑多に行き交う客の姿を漫然と目で追っていた和彦だが、突然背後で、言い争うような声が上がった。
「おい、なんだよ、あんたっ」
それが千尋の声だとわかり、素早く振り返る。すると、少し前まで楽しそうにTシャツを選んでいた千尋が、殺気立った様子で目を吊り上げていた。そして、そんな千尋の髪を鷲掴んでいる男がいる。
一目見て異常な状況がわかり、和彦は総毛立つ。
「離せよっ。俺が何したってんだっ」
千尋が男の手を振り払おうとしたが、もう片方の手が、今度は千尋の喉元を掴む。それを見た瞬間、和彦は駆け出していた。
「千尋っ」
二人の側に行くと、男の言葉が耳に届いた。
「――お前、長嶺のところのガキだな」
この言葉を聞いた瞬間、和彦の体は勝手に反応する。千尋の喉元にかかる男の手に、自分の手をかけていた。
ようやく和彦の存在に気づいたように、男がゆっくりとこちらを見た。
「先生っ、離れててっ……」
千尋が悲鳴のような声を上げるが、和彦は男から目が離せなかった。離した瞬間、どんな危害を加えられるかわからなかったからだ。
男からは、嫌なものを感じた。怖いのではない。ただ、生理的な嫌悪感を覚える。
「……長嶺組も変わったな。こんな優男が組にいるのか」
男はそう言って薄い笑みを浮かべ、和彦はそんな男を見据える。
癖のある長めの髪をオールバックにしており、彫りの深い顔には無精ひげが目立つ。顔の部位の一つ一つが日本人離れして大きく、国籍不明の外国人のようにも見え、三十代後半から四十代前半ぐらいの男を胡散臭く見せている。
ただ、気楽なのは確かだが、外ではほぼ行動をともにしてきた三田村が側にいないということに、ふいに落ち着かなくなったりもする。側にいればいたで、圧迫感を覚えて居心地が悪くなることもあるのに。
和彦はカップを口元に運びながら、千尋を観察する。
千尋はどうやら、自分の父親と和彦、それに三田村の三人の間で異変が起こっていることに気づいていないらしい。それとも、そう装っているのか――。
ストローに口をつけていた千尋が、ふいに笑いかけてきた。
「――先生、色っぽいね。じっと俺を見るときの表情とか」
突然の千尋の言葉に、和彦はうろたえる。
「なっ、何、言ってるんだ、お前はっ……」
「初めて会ったときからさ、先生には独特の雰囲気があったんだよ。妙に惹きつけるっていうか。それに加えて、今は婀娜っぽい。ヤクザと渡り合ってると、必然的にそうなっちゃうのかな」
「……渋い言葉知ってるな、お前」
褒めたつもりはないのだが、千尋が照れたように笑ったので、つられて和彦も口元に笑みを浮かべる。本当は、変なことを言うなと怒るつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「ねえ、まだ買い物につき合ってもらっていい?」
「それはいいが、ぼくの買い物にもつき合えよ」
当然、と言わんばかりに、満面の笑みで千尋が頷いた。
クリニックに勤めている頃、敏感な女性患者の鼻を気にかけ、職場ではまったくコロンをつけていなかった和彦だが、皮肉なことに今の生活は、そういった気遣いからは解放されている。
もともと好みであるユニセックスな香りのコロンを、衝動買いすることが増えていた。どうせクリニックを開業するまでの間のことだ。
和彦はコロンが入っている小さな紙袋を掲げて眺めてから、視線を向かいのショップに向ける。雑誌で頻繁に取り上げられるというカジュアルブランドのショップだけあって、客のほとんどが二十歳前後の若者だ。
その中で一際目立つのは、楽しそうにTシャツを選んでいる千尋だった。
決して贔屓目ではなく、千尋の存在感は特別なのだ。さきほど、実家の仕事のせいで孤立していたと話した千尋だが、本当はそれだけではないだろうと和彦は考えている。魅力的な存在は、人を惹きつける一方で、それが過ぎて、近づくことを臆させてしまうものなのだ。
和彦の視線に気づいたのか、千尋が手にしたTシャツを胸元に当ててこちらに見せてくる。似合っているという意味を込めて和彦が頷いて見せると、子犬のような素直さで、千尋がパッと顔を輝かせる。
「……ああして見ると、本当に、いいところの坊ちゃんにしか見えないんだがな……」
千尋の屈託ない表情につられて、口中でそう呟きながらも和彦は、つい笑みを浮かべていた。
手すりにもたれかかり、吹き抜けとなっている階下を何げなく見下ろす。雑多に行き交う客の姿を漫然と目で追っていた和彦だが、突然背後で、言い争うような声が上がった。
「おい、なんだよ、あんたっ」
それが千尋の声だとわかり、素早く振り返る。すると、少し前まで楽しそうにTシャツを選んでいた千尋が、殺気立った様子で目を吊り上げていた。そして、そんな千尋の髪を鷲掴んでいる男がいる。
一目見て異常な状況がわかり、和彦は総毛立つ。
「離せよっ。俺が何したってんだっ」
千尋が男の手を振り払おうとしたが、もう片方の手が、今度は千尋の喉元を掴む。それを見た瞬間、和彦は駆け出していた。
「千尋っ」
二人の側に行くと、男の言葉が耳に届いた。
「――お前、長嶺のところのガキだな」
この言葉を聞いた瞬間、和彦の体は勝手に反応する。千尋の喉元にかかる男の手に、自分の手をかけていた。
ようやく和彦の存在に気づいたように、男がゆっくりとこちらを見た。
「先生っ、離れててっ……」
千尋が悲鳴のような声を上げるが、和彦は男から目が離せなかった。離した瞬間、どんな危害を加えられるかわからなかったからだ。
男からは、嫌なものを感じた。怖いのではない。ただ、生理的な嫌悪感を覚える。
「……長嶺組も変わったな。こんな優男が組にいるのか」
男はそう言って薄い笑みを浮かべ、和彦はそんな男を見据える。
癖のある長めの髪をオールバックにしており、彫りの深い顔には無精ひげが目立つ。顔の部位の一つ一つが日本人離れして大きく、国籍不明の外国人のようにも見え、三十代後半から四十代前半ぐらいの男を胡散臭く見せている。
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