血と束縛と

北川とも

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第6話

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 どうやら賢吾のほうでは、すでに男の正体を掴んだようだが、一体誰なのか、和彦は教えてもらっていない。ただ、護衛が二人に増やされた。そのことが物語るのは、男は油断できない相手だということだ。
 どこに行くにも、組員二人に護衛されるという状況に、たった一日で和彦は辟易してしまったが、嫌とも言えない。
 ここでこうして、長嶺組と関わりのない秦と会話が交わせるだけでも、今の和彦にとってはありがたい気分転換だった。
「護衛の人も一緒に、このあと、昼メシに行きませんか?」
 せっかくの秦の申し出に、苦笑して和彦は首を横に振る。
「ぼくはともかく、秦さんに気をつかわせると心苦しいので、今日は遠慮しておきます。それでなくても、忙しい中、こうしてわざわざ来ていただいているんですから」
「『先生』こそ、わたし相手に気をつかわないでください。中嶋は、おもしろい人を紹介してくれたと思って、ワクワクしているんでよ」
 秦は、中嶋に倣ったのか、和彦を『先生』と呼ぶ。前のクリニックに勤めている頃は、仕事を離れて和彦をそんなふうに呼ぶのは千尋ぐらいだったが、今では誰もかれもがこの呼び方で、すっかり定着してしまった。
「それで、ここにどういったテーブルやイスを置きたいか、イメージはできていますか?」
 秦の質問で、やっと今日の本題を思い出した和彦は、漠然としたイメージを話す。できることなら、いかにも病院の待合室らしいインテリアにしたくはなかった。
「高級な感じにしたいというのはないんです。一応表向きは個人クリニックで、肝心の医者も、ぼくみたいな若造ですから、高そうな家具を揃えても、無理してる感じがするでしょうし。でも――」
「あまりカジュアルな感じにはしたくない、ですか?」
「秦さんのお店の写真を見て、いいなと思ったんです。上品なのに、堅苦しくはなくて、女性が寛げそうな感じで。ああ、もちろん、このクリニックは、男性の患者さんも歓迎しますよ」
 秦は声を洩らして笑ってから、カタログをパラパラとめくる。
「だったら、わたしのお勧めのソファセットがあるんですよ。いつか、自分の店にも置いてみたいと思って目をつけていたんです。クリニックなら、観葉植物を置くのもいいと思いますよ」
 二人は話しながらホール内を歩き回り、どの辺りに何を置き、飾るか相談する。合間に和彦は、持ってきていた手帳を開いてメモを取っていた。いままで、インテリアというものとは無縁の世界で生きてきただけに、秦の説明は非常に勉強になるのだ。
「クリニックを開業すると決まってから、難しい書類に向き合ったり、経営のことで慣れない数字の説明を受けることが多かったんですけど、改装のことであれこれ決まっていくのは楽しかったんですよ。それに、自分のセンスに自信がないなりに、インテリアについてあれこれ考えるのも」
「順応性が高いんでしょうね、先生は」
 かつての職業ゆえか、それとも生来のものなのか、秦の物言いには柔らかな配慮が行き届いている。おかげで和彦は、ときおり秦の言葉を聞いて気恥ずかしくなってくる。
「……そう、いいものじゃないですよ。受け入れざるをえない立場にあるというだけで」
「それでも、しなやかに受け止めている」
 物言い同様、柔らかな眼差しを秦から向けられた。長嶺組とその周辺の人間たちに囲まれて生活しているせいで忘れそうになるが、世の中には、こんな男も存在しているのだ。
 和彦が照れているとわかったのか、クスッと笑った秦が、合板に覆われた床を指さした。
「先生、床はどうされるんですか?」
「えっ、ああ……、天然石のタイルを敷くことになっています」
 詳しく説明するつもりで、秦の側に歩み寄ろうとした和彦だったが、合板が重なって盛り上がった部分に足を取られてよろめく。
 あっ、と声を洩らしたときには、秦の肩にぶつかり、そのまま両腕でしっかりと受け止められていた。
「大丈夫ですか?」
「すみませんっ、足元をしっかり見ていなくてっ……」
「一緒にいて、先生に怪我させたなんて知られたら、わたしは中嶋に恨まれますからね。気をつけてください」
「大げさですよ」
 苦笑を洩らしながら体を離した和彦を、秦は不思議そうな顔をして眺めてくる。
「どうかしましたか?」
「……いえ。先生の中の境界線は、どの瞬間に引かれるものなのか、気になって」
 意味がわからず首を傾げる和彦に対して、まるで謎かけのように秦は意味ありげな笑みを向けてくる。
 和彦が口を開きかけたとき、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。秦に断ってから携帯電話を取り出した和彦は、表示された名を見て、慌てて電話に出る。
「千尋、どうかしたのか?」
『先生をデートに誘おうと思って』

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