血と束縛と

北川とも

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第6話

(19)

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 柔らかくいい香りではあるが、特徴的ではないと思っていた秦のコロンだが、時間とともに香りが変化したらしい。特徴がないどころか、甘いのに刺激のある香りは、官能的ともいえた。不思議なもので、香りの変化とともに、秦自身の印象も一変したように感じた。
 たとえば、さりげなく和彦の肩に回された腕の力強さや、熱さだ。まるで自分が、秦に接客されている女性客になったように、その感触を意識してしまう。
 空になったグラスにまたワインが注がれ、和彦はそれもすぐに飲み干した。
 大きく息を吐き出して、辺りを見回す。時間を意識させないようにという配慮なのか、この店は目立つところに時計を飾っていないのだ。
「――さすがにまだ、先生のお迎えはこないですよ。電話をして、十分も経ってませんから」
 和彦が何を気にしているのかわかったらしく、柔らかな苦笑を浮かべた秦に言われる。見透かされたことに顔を熱くした和彦は、あえて話題を逸らした。
「店の従業員の方は、まだ出勤されないんですか?」
「夕方からですね。開店準備に取り掛かるのは。だから、安心して寛いでください」
 曖昧な返事をした和彦の視線は、ついカウンターの電話へと向く。タクシーの中で物騒な話をするわけにもいかず、秦の経営するこのホストクラブに着いてすぐ、電話を借りた和彦は、三田村の携帯電話に連絡した。
 気が高ぶって混乱していたため、自分でも要領の得ない説明だったと思うが、それでも三田村は事態を素早く理解してくれた。
 組長にも連絡を取って、すぐに迎えに行く――。
 三田村は、ハスキーな声で力強くそう言ってくれ、和彦はやっと人心地がついた気がしたのだ。
 今頃三田村は、忙しく動いているだろう。多分、三田村から説明を受けた賢吾も。そんな中、気持ちを落ち着けるためとはいえ、騒動の渦中にいる自分が秦の隣でワインを飲んでいるのは、ひどく気が咎めた。
「――恋人を待っているような顔ですね、先生」
 突然の秦の言葉に、和彦は目を丸くする。普段であれば、簡単に躱して冗談にできたのだろうが、今の和彦はあまりに無防備だった。つまり、何も言い返せないどころか、ひどくうろたえてしまったのだ。そんな和彦を、秦は艶を含んだ表情でじっと見つめてくる。
「迎えにきてくれるのは、先日の花火大会のとき、必死な様子でクラブまで先生を捜しに来た方ですか? 確か、三田村さん……」
「ぼくの本当の護衛です。というより、頼めば、家の片付けすらしてくれるので、世話係みたいなものですね」
「今日は先生についていなかったのは、どうしてですか?」
「最近、本来の仕事が忙しいみたいです。組のトラブル処理に当たっているそうです。ぼくは、組絡みのそういった事情には首を突っ込まないようにしているので、詳しくは知りませんが」
 ワインをグラス二杯飲んだぐらいでは酔わない和彦だが、今日は気が高ぶっているせいか、軽い酩酊感がもう押し寄せてくる。ただ、悪い気分ではない。
 グラスを置き、自分の手を見る。すでに震えは治まっていた。ごく自然な動作で、秦がその手を握ってくる。
「ああ、やっと震えが止まりましたね」
「……すみません。パニックになって、秦さんにご迷惑を……」
「仕方ありませんよ。先生の反応が、普通の反応です。いきなり怪しい男に絡まれて、同行者は外で警官から職質を受けている。挙げ句に、その怪しい男から二人きりで話したいと言われて、強引に連れて行かれそうになったら――、他人のわたしですら、思わず暴力に訴える」
 最後の言葉は冗談めかして言った秦が、拳を作って見せてくれる。和彦の気持ちを解そうとしているのだ。思わず笑みをこぼすと、秦は新たなグラスに、水でかなり薄めたウィスキーを入れてくれた。
「これぐらいなら、大丈夫でしょう。今日はもう、迎えにきてもらったら、すぐに休んだほうがいいですよ。……何も考えないで」
 片手を取られてグラスを持たされる。じっと見つめてくる秦の眼差しの威力に、酩酊感もあってか和彦は逆らえなかった。実際、アルコールの力を借りて、男から与えられた嫌悪感や恐怖感から逃れるのは、いい手だろう。
 すでに三田村には、状況を説明してある。今頃、和彦たちがいたインテリアショップの駐車場にも、長嶺組の人間が向かっているはずだ。
 自分にできることは何もない。ただ、守られるのを待つだけだ――。
 和彦は薄いウィスキーをゆっくりと飲みながら、あえて物騒な話題を避け、今日見たインテリアのことを話す。
 ソファやテーブル、スリッパやカーテンに、患者に出すコーヒーカップのこと。それに、店のショールームで見て気に入った、自宅の書斎に合いそうな書棚についても。

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