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第10話
(4)
しおりを挟む開けたドアから心地いい風が入り、待合室を吹き抜けていく。空気の入れ替えも兼ねて、待合室に面している部屋のドアや窓はすべて開け放っているので、風の通りは抜群だ。
髪を掻き上げた和彦は、ページの端を折った医療用品のカタログをテーブルに置き、周囲にぐるりと視線を向ける。運び込まれた備品から小物に至るまで、一応、収まるべきところに収まり、照明器具も設置した。おかげで、ぐっとクリニックの待合室らしくなった。
医療機器を入れるまで人が出入りすることもないため、当分の間、和彦はここを一人で自由に使える。部屋に閉じこもっていても不健康なので、昼間は毎日通ってくるのもいいと、実は考えていた。外で護衛をしている組員には申し訳ないが、人形でもない限り、生活空間以外で、一人で気楽に過ごす時間は必要なのだ。
そう、一人で気楽に――。
和彦はソファの背もたれに頭を預け、ぼんやりと天井を見上げる。すると、前触れもなく声をかけられた。
「――寛いでるね、先生」
ビクリと体を震わせて、慌てて姿勢を直す。出入り口のドアから待合室へと通じている廊下のほうを見ると、いつからいたのか、窓枠に手をかけた千尋が立っていた。驚いたことに、今日もスーツ姿だ。しかも、髪もきちんとセットしてある。
千尋の姿に目を丸くした和彦は、率直に感想を洩らした。
「この間も思ったが、就職活動をしている学生みたいだ……」
「ひでー。確かに、スーツは着慣れてないけどさ」
苦笑した千尋がこちらに歩み寄ってくる。
「普通のスーツが似合わないなら、マオカラーに挑戦してみようかな――」
「あれはやめておけ。あんなものを着たら、ぼくは遠慮なく、『学生服を着ているみたいだ』と言うぞ」
「……先生、厳しい」
小さく笑い声を洩らした和彦の隣に、当然のように千尋は腰掛ける。
「今日も、総和会の用事か?」
「じいちゃんについてね」
「跡継ぎ修行のために、ずっとついていなくていいのか」
和彦がこう言うと、急に怖い顔となった千尋が、ぐいっと身を乗り出してくる。間近から顔を覗き込まれ、その迫力にさすがに和彦も息を呑む。
「――何があったのか、オヤジから聞いた」
千尋の言葉に、和彦はそっとため息を洩らす。
「知らせなくていいと言ったのに……」
「ダメだっ。大事なことだよっ。それに――オヤジだけ知っていて、俺が知らないなんて、おかしいだろ。先生は、オヤジだけじゃなく、俺の〈オンナ〉なんだ」
和彦はじっと千尋の顔を見つめる。脳裏に、つい最近、三人の男たちに同時に体を嬲られた体験が蘇る。その中に、まだ若い千尋が加わっていたのだ。しかも、行為のあと、和彦の体を丹念に洗ってくれた。その手つきは、優しくはあったが、傲慢でもあった。〈これ〉は自分のものだと、主張しているようだった。
傲慢で純粋で、甘ったれ。それが、千尋だ。そして和彦は、そんな千尋のオンナとして大事にされている。方法は独特だが。
苦笑に近い表情を浮かべた和彦が頬を撫でてやると、人懐こい犬っころ並みの反応のよさで、千尋は抱きついてきた。ただし、発言そのものは物騒だ。
「……あいつ、許さない……。先生にひどいことをした」
「殴られたりはしなかったがな。……さすがに、ショックだった。ああいう辱められ方もあるのかと思った。ヤクザの手口は体で覚えたつもりだったが、まさか、刑事に――」
和彦の淡々とした言葉に刺激されたのか、抱き締めてくる千尋の腕の力が強くなり、息苦しくなる。
「千尋っ」
咄嗟に呼びかけて、千尋の顔を上げさせる。思ったとおり、千尋は激しい炎を孕んだ目をしていた。大蛇の化身のような賢吾なら、まずこんな目はしないだろう。
「怒るのはいいが、鷹津を見かけても、飛びかかるなよ。あの男は、長嶺組を刺激して、反応するのを待っている。お前みたいに頭に血が上りやすい奴は、絶対にあの男に近づくな」
両手で千尋の頬を挟み込んで諭すと、なぜか千尋は目を丸くする。和彦は眉をひそめて首を傾げた。
「お前、聞いてるのか?」
「いや……、なんというか、俺としては、鷹津に近づくなというのは、先生に言いたい言葉なんだけど……」
「誰が、あんな男に近づくかっ」
和彦がムキになって声を荒らげると、千尋は露骨に疑いの眼差しを向けてくる。
「そうは言うけど、先生、ガード甘いじゃん」
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