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第11話
(15)
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ヤクザの実態も謎が多いが、この男もまた、謎が多い。気にはなるが、うっかり踏み込むつもりはなかった。
「その道を左に曲がってくれ」
和彦の指示通りに車が左に曲がり、すぐに、懐かしい建物が視界に飛び込んでくる。
「ここですか?」
「ああ。来客用のスペースが空いているから、そこに車を停めたらいい」
駐車場に車が入り、エンジンが切られる。秦はすぐに車を降りようとしたが、シートベルトを外した和彦は、すぐには動けなかった。
「先生、大丈夫ですか。顔色が少し悪いですよ」
シートに座り直した秦が身を乗り出し、顔を覗き込んでくる。和彦はゆっくりと息を吐き出して頷くと、途中で買った手土産を持って車を降りた。
「ここがどういった場所なのか、聞いてもいいですか?」
駐車場を歩きながら秦に問われ、和彦は小さく声を洩らす。秦に『頼みごと』をしたものの、ある場所に一緒に来てくれとしか言わなかったのだ。
「……ここは、ぼくが半年ぐらい前まで住んでいたマンションだ。気に入っていたんだが、長嶺組と関わったせいで、今の部屋に引っ越すことになった」
「それが、今になってどうして?」
「引っ越しは急でバタバタしていたし、事情が事情なんで、郵便物の転送手続きをするわけにもいかないから、マンションの管理人に、何か届いたら預かってくれるよう頼んであるんだ」
現在は、私書箱に郵便物などが届くように手配してあるが、それまでに発送されたものは、このマンションに届いているだろう。
「頼むとき、管理人への言い訳に困ったんじゃありませんか? 急な引っ越しに、転送手続きもできないなんて、不審に思われかねないでしょう」
「海外研修に派遣されることになったと言った。こういうとき、医者という肩書きはけっこう便利だ。適当な理由でも、もっともらしく聞こえる」
「ならわたしは、せいぜい先生の同僚らしく見えるよう、努力しましょう」
マンションのエントランスに向かいながら和彦は、少し離れた道路脇に停められた護衛の車に気づく。不審がられないよう、気をつかってくれているのだ。
朝から夕方にかけて管理人が駐在している事務所に顔を出すと、説明をするまでもなく、管理人は和彦を覚えてくれていた。さっそく挨拶をして手土産を渡すと、人のいい管理人は、こちらが申し訳なく感じるほど何度も礼を言ってくれる。
保管されていた郵便物は、大した量ではなかった。また、重要書類の類も皆無だ。和彦は丁寧に礼を述べて受け取る。
本当は、郵便物などどうでもいい。すでに表の世界の事情から切り離されている和彦に、ダイレクトメールは意味がないし、郵便物で繋がっているような知人もいない。そもそも、処分してもらってもよかった。
だが、あえてそう伝えておかなかったのには、理由がある。万が一、という事態を想定しておいたのだ。
やや緊張しながら和彦は、さりげなく本題を切り出した。
「――わたしが引っ越してから、誰か訪ねてきませんでしたか? 突然の海外研修だったものですから、友人や知人にも、事情を説明する暇もなかったんです。あとで連絡はしたのですが、早とちりな誰かが、ここまで押しかけてきてご迷惑をかけたんじゃないかと思って」
秦が、おやっ、という顔を一瞬したのは気づいていた。しかし和彦は、笑みを浮かべながら、管理人の返事を待つ。
安堵すべきか、管理人から返ってきたのは、誰も和彦を訪ねて来なかったという言葉だった。
再び礼を述べてマンションを出ると、ほとんど出番のなかった秦が口を開いた。
「わたしは必要なかったんじゃないかと感じていましたが、先生が管理人に最後にした質問で、なんとなくわかりました。わたしは、ボディーガードだったというわけですね」
歩きながら、手にした郵便物を一通ずつ確認していた和彦は、淡々とした口調で応じる。
「何かあっても、ぼくの護衛が飛び出してくる事態だけは避けたかったんだ。その点君は、少なくともぼくより要領がいい」
「評価してもらえて、嬉しいですよ。――それで、何か、というのは?」
「可能性は低いが、誰かに待ち伏せされているかもしれないと思ったんだ。その連中に、ぼくとヤクザが繋がっていると悟られると、いろいろと面倒だ。だけど――」
こちらが危惧するまでもなく、相手は和彦になど関心はなかったらしい。それは歓迎すべきことであり、決して落胆することではない。
「少し心配しすぎたみたいだ」
「それはよかった。できることなら次は、先生を楽しませることで協力させてもらいたいですね」
助手席のドアを開けて、秦が艶やかに微笑みかけてくる。何かと怪しい男ではあるが、今回の件に関しては、つき合ってくれたことを素直に感謝するしかない。
ありがとう、とやや照れながら礼を言ってから、和彦は助手席に乗り込んだ。
「その道を左に曲がってくれ」
和彦の指示通りに車が左に曲がり、すぐに、懐かしい建物が視界に飛び込んでくる。
「ここですか?」
「ああ。来客用のスペースが空いているから、そこに車を停めたらいい」
駐車場に車が入り、エンジンが切られる。秦はすぐに車を降りようとしたが、シートベルトを外した和彦は、すぐには動けなかった。
「先生、大丈夫ですか。顔色が少し悪いですよ」
シートに座り直した秦が身を乗り出し、顔を覗き込んでくる。和彦はゆっくりと息を吐き出して頷くと、途中で買った手土産を持って車を降りた。
「ここがどういった場所なのか、聞いてもいいですか?」
駐車場を歩きながら秦に問われ、和彦は小さく声を洩らす。秦に『頼みごと』をしたものの、ある場所に一緒に来てくれとしか言わなかったのだ。
「……ここは、ぼくが半年ぐらい前まで住んでいたマンションだ。気に入っていたんだが、長嶺組と関わったせいで、今の部屋に引っ越すことになった」
「それが、今になってどうして?」
「引っ越しは急でバタバタしていたし、事情が事情なんで、郵便物の転送手続きをするわけにもいかないから、マンションの管理人に、何か届いたら預かってくれるよう頼んであるんだ」
現在は、私書箱に郵便物などが届くように手配してあるが、それまでに発送されたものは、このマンションに届いているだろう。
「頼むとき、管理人への言い訳に困ったんじゃありませんか? 急な引っ越しに、転送手続きもできないなんて、不審に思われかねないでしょう」
「海外研修に派遣されることになったと言った。こういうとき、医者という肩書きはけっこう便利だ。適当な理由でも、もっともらしく聞こえる」
「ならわたしは、せいぜい先生の同僚らしく見えるよう、努力しましょう」
マンションのエントランスに向かいながら和彦は、少し離れた道路脇に停められた護衛の車に気づく。不審がられないよう、気をつかってくれているのだ。
朝から夕方にかけて管理人が駐在している事務所に顔を出すと、説明をするまでもなく、管理人は和彦を覚えてくれていた。さっそく挨拶をして手土産を渡すと、人のいい管理人は、こちらが申し訳なく感じるほど何度も礼を言ってくれる。
保管されていた郵便物は、大した量ではなかった。また、重要書類の類も皆無だ。和彦は丁寧に礼を述べて受け取る。
本当は、郵便物などどうでもいい。すでに表の世界の事情から切り離されている和彦に、ダイレクトメールは意味がないし、郵便物で繋がっているような知人もいない。そもそも、処分してもらってもよかった。
だが、あえてそう伝えておかなかったのには、理由がある。万が一、という事態を想定しておいたのだ。
やや緊張しながら和彦は、さりげなく本題を切り出した。
「――わたしが引っ越してから、誰か訪ねてきませんでしたか? 突然の海外研修だったものですから、友人や知人にも、事情を説明する暇もなかったんです。あとで連絡はしたのですが、早とちりな誰かが、ここまで押しかけてきてご迷惑をかけたんじゃないかと思って」
秦が、おやっ、という顔を一瞬したのは気づいていた。しかし和彦は、笑みを浮かべながら、管理人の返事を待つ。
安堵すべきか、管理人から返ってきたのは、誰も和彦を訪ねて来なかったという言葉だった。
再び礼を述べてマンションを出ると、ほとんど出番のなかった秦が口を開いた。
「わたしは必要なかったんじゃないかと感じていましたが、先生が管理人に最後にした質問で、なんとなくわかりました。わたしは、ボディーガードだったというわけですね」
歩きながら、手にした郵便物を一通ずつ確認していた和彦は、淡々とした口調で応じる。
「何かあっても、ぼくの護衛が飛び出してくる事態だけは避けたかったんだ。その点君は、少なくともぼくより要領がいい」
「評価してもらえて、嬉しいですよ。――それで、何か、というのは?」
「可能性は低いが、誰かに待ち伏せされているかもしれないと思ったんだ。その連中に、ぼくとヤクザが繋がっていると悟られると、いろいろと面倒だ。だけど――」
こちらが危惧するまでもなく、相手は和彦になど関心はなかったらしい。それは歓迎すべきことであり、決して落胆することではない。
「少し心配しすぎたみたいだ」
「それはよかった。できることなら次は、先生を楽しませることで協力させてもらいたいですね」
助手席のドアを開けて、秦が艶やかに微笑みかけてくる。何かと怪しい男ではあるが、今回の件に関しては、つき合ってくれたことを素直に感謝するしかない。
ありがとう、とやや照れながら礼を言ってから、和彦は助手席に乗り込んだ。
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