241 / 1,289
第13話
(4)
しおりを挟む
和彦は、この店で秦に安定剤を飲まされ、体をまさぐられたのだ。挙げ句、内奥にはローターを含まされた。長嶺組組長である賢吾と関わりを持ちたかった秦が、賢吾のオンナである和彦に目をつけたうえでの策略だ。
賭けに近い危険極まりない策略だが、秦は生殺与奪の権を賢吾に握られながらも、こうして艶やかな存在感を放ち、元気にしている。そのうえ、賢吾の許可を得て、和彦の〈遊び相手〉という立場に収まっている。
よくこの店に招待できたものだと、見た目に反した秦の神経の図太さに、和彦は感心すらしてしまう。
「……中嶋くんに肩入れしたくなる……」
聞こえよがしに和彦が呟くと、慣れた手つきで氷を砕きながら、秦が囁くような声で言った。
「わたしなりに、必死に考えたんですよ。中嶋の出世を祝いたい気持ちもあるし、中嶋の思い詰めた顔も見たくないという気持ちもあって」
「だからといって、ぼくを巻き込むな。この間、確かそう言ったはずだ」
グラスに氷を入れた秦が、嫌味なほど清々しい微笑みを浮かべた。
「それは、無理ですね。わたしも中嶋も、先生が好きですから」
グラスとウィスキーのボトルをカウンターに置かれ、和彦はそれらを持って席に戻る。すると中嶋が、肩に腕を回してきた。
「――二人して、内緒話ですか」
いかにも酔っ払いらしい気の抜けた笑みを向けてくる中嶋だが、芝居の可能性が高い。
切れ者のヤクザで、恩人ですら利用できると断言するしたたかさを持つ反面、その恩人が絡むときだけ、妙に〈女〉を感じさせ、健気さすら見せるこの青年を、和彦なりに傷つけたくないと思っている。
周囲にいる男たちからは甘いと笑われるだろうが、中嶋に対して友情めいた感情を抱きつつあるのだ。
「出世祝いに、君に何か贈ったほうがいいだろうかと、相談してみたんだ」
和彦のウソに、中嶋は一瞬真顔となってから、次の瞬間には困ったように眉をひそめた。やはり、酔ったふりをしていたのだ。和彦のウソなど、簡単に見抜かれた。
「……先生は、甘いですね。男に対して」
「この世界で生きていく武器だ――と、最近思わなくもない。千尋みたいに、見た目からして犬っころみたいな奴なら、いくらでも頭を撫でてやれるんだが、それ以外の男たちは、可愛いとは言いがたい。だけど、甘やかしたくなる。ヤクザなんて、この世でもっとも親しくなりたくない人種だっていうのにな。自分で自分の甘さが、嫌になる」
そう言いながらも和彦は、自分の口調が柔らかだという自覚はあった。
グラスをゆっくり揺らしてから、ウィスキーを一口飲む。美味しい、と思わず洩らしていた。中嶋の元には、琥珀色が美しいマンハッタンが置かれ、しっかりとチェリーも添えられている。
秦は、中嶋の満足そうな顔を見て小さく微笑むと、自分の分のカクテルを作るため、カウンターに戻る。
もてなされる側の和彦と中嶋は、ゆったりと美味しいアルコールを楽しんでいるが、もてなす側に回っている秦は、テーブルとカウンターを行き来して、なかなか慌ただしい。
もっとも、秦本人は楽しそうにしているので、かつての仕事柄というより、人にサービスすることが好きな性質なのかもしれない。
しかし、いくらこんなことを推測しても、秦の本性に触れた気がしない。相変わらず謎の男のままだ。
機嫌よく飲んでいるうちに、次第に和彦も緊張を解く。いい思い出があるとは言いがたい店であることや、一緒に飲んでいる面子にクセがあるということを差し引いて、それでも気分はよかった。
護衛を待たせているという心苦しさを感じなくていいのが、その気分に拍車をかけている。
カウンターに入ってオレンジを絞っている秦を、ソファの背もたれに腕を預けて和彦は眺める。
「――ああいう姿を見ていると、秦静馬というのは何者なんだろうかと思えてきません?」
和彦と同じような姿勢となって、中嶋が話しかけてくる。
「何者なのかはともかく、抜け目がないな。物騒なことに巻き込まれたと思ったら、いつの間にか、長嶺組を後ろ盾にしたんだ」
若い頃、警察に目をつけられるようなこともしているらしい秦だが、結局、補導歴も逮捕歴もないのだ。やはり、抜け目がない。
「あまり、何者なのか考えないほうがいいのかもしれない。ぼくは今みたいな生活を送っていて、自分の好奇心に折り合いをつけている。知りたいこと、知りたくないこと、知ったところで、つらくなるだけのこと――」
「俺も、わかってはいるんですけどね。ただ、秦さんと知り合って十年以上になるのに、ほとんど何も知らないっていうのは、けっこうキツイ」
中嶋は、苦々しげに唇を歪めていた。そんな表情を目にして、和彦のほうが胸苦しくなる。
賭けに近い危険極まりない策略だが、秦は生殺与奪の権を賢吾に握られながらも、こうして艶やかな存在感を放ち、元気にしている。そのうえ、賢吾の許可を得て、和彦の〈遊び相手〉という立場に収まっている。
よくこの店に招待できたものだと、見た目に反した秦の神経の図太さに、和彦は感心すらしてしまう。
「……中嶋くんに肩入れしたくなる……」
聞こえよがしに和彦が呟くと、慣れた手つきで氷を砕きながら、秦が囁くような声で言った。
「わたしなりに、必死に考えたんですよ。中嶋の出世を祝いたい気持ちもあるし、中嶋の思い詰めた顔も見たくないという気持ちもあって」
「だからといって、ぼくを巻き込むな。この間、確かそう言ったはずだ」
グラスに氷を入れた秦が、嫌味なほど清々しい微笑みを浮かべた。
「それは、無理ですね。わたしも中嶋も、先生が好きですから」
グラスとウィスキーのボトルをカウンターに置かれ、和彦はそれらを持って席に戻る。すると中嶋が、肩に腕を回してきた。
「――二人して、内緒話ですか」
いかにも酔っ払いらしい気の抜けた笑みを向けてくる中嶋だが、芝居の可能性が高い。
切れ者のヤクザで、恩人ですら利用できると断言するしたたかさを持つ反面、その恩人が絡むときだけ、妙に〈女〉を感じさせ、健気さすら見せるこの青年を、和彦なりに傷つけたくないと思っている。
周囲にいる男たちからは甘いと笑われるだろうが、中嶋に対して友情めいた感情を抱きつつあるのだ。
「出世祝いに、君に何か贈ったほうがいいだろうかと、相談してみたんだ」
和彦のウソに、中嶋は一瞬真顔となってから、次の瞬間には困ったように眉をひそめた。やはり、酔ったふりをしていたのだ。和彦のウソなど、簡単に見抜かれた。
「……先生は、甘いですね。男に対して」
「この世界で生きていく武器だ――と、最近思わなくもない。千尋みたいに、見た目からして犬っころみたいな奴なら、いくらでも頭を撫でてやれるんだが、それ以外の男たちは、可愛いとは言いがたい。だけど、甘やかしたくなる。ヤクザなんて、この世でもっとも親しくなりたくない人種だっていうのにな。自分で自分の甘さが、嫌になる」
そう言いながらも和彦は、自分の口調が柔らかだという自覚はあった。
グラスをゆっくり揺らしてから、ウィスキーを一口飲む。美味しい、と思わず洩らしていた。中嶋の元には、琥珀色が美しいマンハッタンが置かれ、しっかりとチェリーも添えられている。
秦は、中嶋の満足そうな顔を見て小さく微笑むと、自分の分のカクテルを作るため、カウンターに戻る。
もてなされる側の和彦と中嶋は、ゆったりと美味しいアルコールを楽しんでいるが、もてなす側に回っている秦は、テーブルとカウンターを行き来して、なかなか慌ただしい。
もっとも、秦本人は楽しそうにしているので、かつての仕事柄というより、人にサービスすることが好きな性質なのかもしれない。
しかし、いくらこんなことを推測しても、秦の本性に触れた気がしない。相変わらず謎の男のままだ。
機嫌よく飲んでいるうちに、次第に和彦も緊張を解く。いい思い出があるとは言いがたい店であることや、一緒に飲んでいる面子にクセがあるということを差し引いて、それでも気分はよかった。
護衛を待たせているという心苦しさを感じなくていいのが、その気分に拍車をかけている。
カウンターに入ってオレンジを絞っている秦を、ソファの背もたれに腕を預けて和彦は眺める。
「――ああいう姿を見ていると、秦静馬というのは何者なんだろうかと思えてきません?」
和彦と同じような姿勢となって、中嶋が話しかけてくる。
「何者なのかはともかく、抜け目がないな。物騒なことに巻き込まれたと思ったら、いつの間にか、長嶺組を後ろ盾にしたんだ」
若い頃、警察に目をつけられるようなこともしているらしい秦だが、結局、補導歴も逮捕歴もないのだ。やはり、抜け目がない。
「あまり、何者なのか考えないほうがいいのかもしれない。ぼくは今みたいな生活を送っていて、自分の好奇心に折り合いをつけている。知りたいこと、知りたくないこと、知ったところで、つらくなるだけのこと――」
「俺も、わかってはいるんですけどね。ただ、秦さんと知り合って十年以上になるのに、ほとんど何も知らないっていうのは、けっこうキツイ」
中嶋は、苦々しげに唇を歪めていた。そんな表情を目にして、和彦のほうが胸苦しくなる。
83
あなたにおすすめの小説
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
オム・ファタールと無いものねだり
狗空堂
BL
この世の全てが手に入る者たちが、永遠に手に入れられないたった一つのものの話。
前野の血を引く人間は、人を良くも悪くもぐちゃぐちゃにする。その血の呪いのせいで、後田宗介の主人兼親友である前野篤志はトラブルに巻き込まれてばかり。
この度編入した金持ち全寮制の男子校では、学園を牽引する眉目秀麗で優秀な生徒ばかり惹きつけて学内風紀を乱す日々。どうやら篤志の一挙手一投足は『大衆に求められすぎる』天才たちの心に刺さって抜けないらしい。
天才たちは蟻の如く篤志に群がるし、それを快く思わない天才たちのファンからはやっかみを買うし、でも主人は毎日能天気だし。
そんな主人を全てのものから護る為、今日も宗介は全方向に噛み付きながら学生生活を奔走する。
これは、天才の影に隠れたとるに足らない凡人が、凡人なりに走り続けて少しずつ認められ愛されていく話。
2025.10.30 第13回BL大賞に参加しています。応援していただけると嬉しいです。
※王道学園の脇役受け。
※主人公は従者の方です。
※序盤は主人の方が大勢に好かれています。
※嫌われ(?)→愛されですが、全員が従者を愛すわけではありません。
※呪いとかが平然と存在しているので若干ファンタジーです。
※pixivでも掲載しています。
色々と初めてなので、至らぬ点がありましたらご指摘いただけますと幸いです。
いいねやコメントは頂けましたら嬉しくて踊ります。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる