312 / 1,289
第16話
(5)
しおりを挟む
薄い笑みを浮かべた秦が、自分の口元を指さす。ああ、と声を洩らした和彦は、顔をしかめる。
「君に避けられ続けて、少し落ち込んでいるようだったぞ、中嶋くん。ぼくとしては、困惑する彼の姿を想像して、君は楽しんでいるんじゃないかと思っているんだが――」
「残念ながら、本当に忙しかったんです。しかし中嶋は、先生に対しては素直なんですね。少し妬けますよ」
「……自分の素性を明かしもしないくせに、相手の心の内は知りたいなんて、ずいぶん都合がいいな。それだけで愛想をつかされても、仕方ないぞ」
「手厳しい」
「ぼくだって、彼に隠し事をしていて、心苦しい思いをしているんだ。少しぐらい言わせてくれ」
苦笑した秦に促され、広場に入る。初めて立ち寄ったが、住宅街の中にあるこの場所は、広場とはいっても、整備されたグラウンドがあるわけでもなく、子供がボール遊びをできる程度のスペースと、こじんまりとした遊具がいくつかあるぐらいだ。しかし、景観はいい。花壇や植木はきれいに手入れされ、ゴミ一つ落ちていない。この辺りの住人たちに大事にされている場所のようだ。
ただし、元日の昼下がりに、寒さに震えながら広場で過ごそうという物好きは、和彦と秦の二人しかいない。
和彦はジャングルジムに歩み寄り、パイプに手をかける。ここで、マフラーをしてきたものの、手袋を忘れたことに気づいた。両手を擦り合わせて温めようとすると、すかさず秦に両手を挟み込まれた。
驚いて目を丸くする和彦にかまわず、秦は鼻歌でも歌い出しそうな表情で、優しく手をさすり始める。
武骨さとは無縁のこの手が繊細に動き、どんな快感を生み出すのか、和彦は知っている。それに、この手を本当に欲している男のことも。
「……君がどれだけすごいホストだったのか、よくわかるな」
「相手が先生だと、尽くすほうとしても身が入りますよ」
「どうせ尽くしてくれるなら、下心のない相手のほうがいい」
「三田村さんのような?」
和彦がジロリと睨みつけると、秦はおかしそうに声を洩らして笑う。正月ともなると、誰も彼も機嫌がよくなるものなのだろうかと、和彦は少し不思議だった。
「さっきの話の続きだが……」
「先生は本当に、中嶋のことを心配してくれているんですね」
「彼を振り回している元凶が、何言ってる。……知らん顔はできないだろ。それにぼくも、彼とはちょっと込み入った事情がある」
「その口ぶりだと、わたしのキスをしっかりと、中嶋に教えてくれたということですか」
どう答えるべきなのかと、本気で和彦は悩む。それが何より雄弁な返事になっていたらしく、秦はくっくと声を洩らして笑う。
「おい――」
和彦が声を荒らげようとした瞬間、握られていた手がパッと離される。秦の両腕が体に回され、しっかりと抱き締められていた。
「……ぼくは、君が抱きたい男の〈教育係〉なんて、やる気はないからな」
甘く絡みつくような抱擁が、しっかりと寒さを防いでくれる。秦の腕の中で強気な発言をするのは、なかなか至難の業だ。
自分の美貌の威力をよく知っている秦は、容赦なく和彦の顔を覗き込んでくる。
「先生に接することで、嫌でも中嶋は変わらざるを得ない。貪欲で淫弄な〈オンナ〉の本質に触れて、中嶋はリアルに感じますよ。男と体を重ねるということを。それが決して、綺麗事とは相容れない行為だということも。そういう意味で先生は、生きる教本みたいな存在です。いろんなことを中嶋に教えて、刺激してやってください」
秦の腕に力が込められ、和彦はわずかに身じろぐ。柔らかく艶やかな存在感を放ってはいても、こうしていれば、秦がそれだけの男ではないと感じ取ることができる。明け透けな欲望を知っている分、〈雄〉という表現がしっくりくる。
「ぼくは、ヤクザと、ヤクザに近い連中の言うことは信じないようにしている。ウソの中に事実を紛れ込ませているのか、事実の中にウソを紛れ込ませているのか、それすら読ませない、食えない奴ばかりだからな。だけど、これだけは信じられるんだ」
「なんです?」
「――肉欲。その点は、わかりやすい男ばかりだ。ぼくも含めて。もちろん、君も」
この瞬間、秦の顔から柔らかさが消える。少し余裕を失ったほうが、人間味が増して好感が持てると思いながら、和彦は秦の頬にてのひらを押し当てた。
「本気で、抱きたいと思ってるんだな、中嶋くんを。純粋に、欲望の対象にしている」
甘くぬるい感情の入る余地のない、苛烈なほどの欲望だ。その欲望に、複数の男と同時に情を交し合っている和彦は、心惹かれる。
和彦が向ける眼差しの変化に気づいたのか、秦が顔を寄せ、目を覗き込んでくる。息もかかる距離に、和彦の鼓動はわずかに速くなっていた。
「君に避けられ続けて、少し落ち込んでいるようだったぞ、中嶋くん。ぼくとしては、困惑する彼の姿を想像して、君は楽しんでいるんじゃないかと思っているんだが――」
「残念ながら、本当に忙しかったんです。しかし中嶋は、先生に対しては素直なんですね。少し妬けますよ」
「……自分の素性を明かしもしないくせに、相手の心の内は知りたいなんて、ずいぶん都合がいいな。それだけで愛想をつかされても、仕方ないぞ」
「手厳しい」
「ぼくだって、彼に隠し事をしていて、心苦しい思いをしているんだ。少しぐらい言わせてくれ」
苦笑した秦に促され、広場に入る。初めて立ち寄ったが、住宅街の中にあるこの場所は、広場とはいっても、整備されたグラウンドがあるわけでもなく、子供がボール遊びをできる程度のスペースと、こじんまりとした遊具がいくつかあるぐらいだ。しかし、景観はいい。花壇や植木はきれいに手入れされ、ゴミ一つ落ちていない。この辺りの住人たちに大事にされている場所のようだ。
ただし、元日の昼下がりに、寒さに震えながら広場で過ごそうという物好きは、和彦と秦の二人しかいない。
和彦はジャングルジムに歩み寄り、パイプに手をかける。ここで、マフラーをしてきたものの、手袋を忘れたことに気づいた。両手を擦り合わせて温めようとすると、すかさず秦に両手を挟み込まれた。
驚いて目を丸くする和彦にかまわず、秦は鼻歌でも歌い出しそうな表情で、優しく手をさすり始める。
武骨さとは無縁のこの手が繊細に動き、どんな快感を生み出すのか、和彦は知っている。それに、この手を本当に欲している男のことも。
「……君がどれだけすごいホストだったのか、よくわかるな」
「相手が先生だと、尽くすほうとしても身が入りますよ」
「どうせ尽くしてくれるなら、下心のない相手のほうがいい」
「三田村さんのような?」
和彦がジロリと睨みつけると、秦はおかしそうに声を洩らして笑う。正月ともなると、誰も彼も機嫌がよくなるものなのだろうかと、和彦は少し不思議だった。
「さっきの話の続きだが……」
「先生は本当に、中嶋のことを心配してくれているんですね」
「彼を振り回している元凶が、何言ってる。……知らん顔はできないだろ。それにぼくも、彼とはちょっと込み入った事情がある」
「その口ぶりだと、わたしのキスをしっかりと、中嶋に教えてくれたということですか」
どう答えるべきなのかと、本気で和彦は悩む。それが何より雄弁な返事になっていたらしく、秦はくっくと声を洩らして笑う。
「おい――」
和彦が声を荒らげようとした瞬間、握られていた手がパッと離される。秦の両腕が体に回され、しっかりと抱き締められていた。
「……ぼくは、君が抱きたい男の〈教育係〉なんて、やる気はないからな」
甘く絡みつくような抱擁が、しっかりと寒さを防いでくれる。秦の腕の中で強気な発言をするのは、なかなか至難の業だ。
自分の美貌の威力をよく知っている秦は、容赦なく和彦の顔を覗き込んでくる。
「先生に接することで、嫌でも中嶋は変わらざるを得ない。貪欲で淫弄な〈オンナ〉の本質に触れて、中嶋はリアルに感じますよ。男と体を重ねるということを。それが決して、綺麗事とは相容れない行為だということも。そういう意味で先生は、生きる教本みたいな存在です。いろんなことを中嶋に教えて、刺激してやってください」
秦の腕に力が込められ、和彦はわずかに身じろぐ。柔らかく艶やかな存在感を放ってはいても、こうしていれば、秦がそれだけの男ではないと感じ取ることができる。明け透けな欲望を知っている分、〈雄〉という表現がしっくりくる。
「ぼくは、ヤクザと、ヤクザに近い連中の言うことは信じないようにしている。ウソの中に事実を紛れ込ませているのか、事実の中にウソを紛れ込ませているのか、それすら読ませない、食えない奴ばかりだからな。だけど、これだけは信じられるんだ」
「なんです?」
「――肉欲。その点は、わかりやすい男ばかりだ。ぼくも含めて。もちろん、君も」
この瞬間、秦の顔から柔らかさが消える。少し余裕を失ったほうが、人間味が増して好感が持てると思いながら、和彦は秦の頬にてのひらを押し当てた。
「本気で、抱きたいと思ってるんだな、中嶋くんを。純粋に、欲望の対象にしている」
甘くぬるい感情の入る余地のない、苛烈なほどの欲望だ。その欲望に、複数の男と同時に情を交し合っている和彦は、心惹かれる。
和彦が向ける眼差しの変化に気づいたのか、秦が顔を寄せ、目を覗き込んでくる。息もかかる距離に、和彦の鼓動はわずかに速くなっていた。
77
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる