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第16話
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しおりを挟む小気味いい衣擦れの音が室内に響く。なんとなく足を崩せる空気ではなく、和彦は畳の上に正座したまま、姿見の前に立つ男の後ろ姿を見上げていた。
賢吾は長襦袢の上から、慣れた手つきで腰紐を結ぶ。いままで和彦の周囲には、着物を着こなす男はいなかった。そのせいか、無駄のない所作で着付けていく姿に、つい見入ってしまう。
「――先生、着物を取ってくれねーか」
ふいに賢吾に声をかけられ、和彦はピクリと肩を揺らす。熱心に見つめる和彦の視線に気づいていたのか、姿見に映る賢吾はニヤニヤとしている。
急いで立ち上がり、衝立に引っ掛けられている着物を取って賢吾に手渡した。ついでに帯を手にして、傍らに立つ。
「元日に先生が見かけたのは、総和会の第二遊撃隊の連中だ。中嶋は、そこの所属だろ。知らなかったのか?」
「さあ……。遊撃隊云々というのは前に教えてもらったが、詳しくは聞いていない」
元日に、本宅の廊下を歩いていた一団について、ずっと気になっていた。正確には、その一団の中にいた中嶋の態度が、なのだが。
元日早々、中嶋のことについて尋ねるのはためらわれ、結局、三日になってからやっと、世間話を装って賢吾に問いかけたというわけだ。
中嶋から向けられた冷たい一瞥が、脳裏に焼きついている。あの一瞥を見てまっさきに和彦が考えたのは、広場での秦との行為を見られたかもしれないということだ。かつて和彦は、中嶋が見ている前で秦にキスをされた。あのときの中嶋は、和彦に敵意を向けることはなかったが、現在とは状況が違っていた。
もしかすると、広場での行為は関係なく、秦が和彦の〈遊び相手〉だということが知られたのかもしれない。
中嶋に隠し事をしているのは事実で、だからこそ、何が理由なのか見当がつかなかった。和彦は一人うろたえ、あれこれと思い悩んだ挙げ句に、賢吾に遠回しな質問をするしかないのだ。
和彦の様子に気づいているのかいないのか、組織の説明をする賢吾は、どこか楽しそうだ。
「第二遊撃隊ってのは、けっこう血の気の多い、荒っぽい連中が揃ってる。元は、ある組の直系傘下の小さな組だったんだが、いろいろあって、総和会の遊撃隊として組み込まれた。それを機に組長が引退して、組長代行だった南郷って男が率ることになった。色黒の、でかい図体をした男がいただろ」
「ああ。いかにも、怖いヤクザといった感じの……」
「俺もそう見えるか?」
鏡越しに賢吾からちらりと一瞥を向けられ、和彦は軽く睨み返す。
「今、あんたのことなんて言ってないだろ。――心配しなくても、一癖も二癖もあるヤクザに見える」
ぼそぼそと応じると、衿を整えながら賢吾が満足げに頷く。片手を差し出してきたので、今度は帯を渡す。
「遊撃隊は、必要に応じてどんな仕事でもやる。最近は、縄張りの管理や、情報収集を担当しているようだが、裏で……な。俺のオヤジのお気に入りだから、総和会の幹部連中も把握してないことを、いろいろと任されているみたいだ」
「……なんだか、危ないところみたいだな。中嶋くんだけを見ていると、そういうイメージを抱かなかったんだが」
「手っ取り早く総和会で出世したかったら、ルートは限られる。中嶋はよく調べてるようだな。総和会会長のお気に入りの男に近づき、ちゃっかり第二遊撃隊に潜り込んだ。ただし、野獣みたいな連中揃いの中で、ホスト上がりの中嶋の経歴は、澄ました二枚目ぶりもあって、少し浮いている」
それは和彦も感じた。元日に出くわした一団の中で、中嶋の存在は目を引いたのだ。
「中嶋が心配か?」
帯を結びながら賢吾に問われ、思わず苦い表情を浮かべた和彦は、首を横に振る。
「そういうんじゃない。彼は一人で行動しているイメージが強かったから、ああいうふうに、いかにもヤクザらしい集団の中にいるのを見て、少し驚いた。中嶋くんが、頭の切れるヤクザだと、理解しているつもりだったんだけど――」
「現状、先生の周りにいるのは、ヤクザか、ヤクザみたいな男ばかりだ。善良な人間はいない。もし仮にいたとしても、そういう奴は、今の先生には指一本触れられない。怖い連中が先生を守っているからな。つまり、先生に近づくのは、ふてぶてしくて食えない男ばかりだということだ。見た目に関係なくな」
賢吾としては、中嶋に対して生ぬるい感情を抱く必要はないと言いたいのだろう。
笑みをこぼした和彦は、ああ、と短く答えた。その返事に賢吾は満足したようで、手慰みのように和彦の頭を撫でてくる。
なんだかくすぐったくて、同時に、照れくさい。和彦は大きな手を押し戻そうとしたが、反対に手を握られた。
「――ちょっと着物を着てみないか」
意外な賢吾の言葉に、和彦は首を傾げる。
「誰が……?」
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