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第17話
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すぐにバカらしくなった和彦は、短く息を吐いてから切り出した。
「――中嶋くんを煽っただろ」
「おや、なんのことですか」
白々しくとぼける秦の向こう脛を、和彦は遠慮なくテーブルの下で蹴りつけてやる。口元に笑みを湛えたまま眉をひそめるという、器用な表情を造った秦は、視線をちらりと他のテーブルへと向けた。二人からやや離れたテーブルについているのは、和彦の護衛の組員だ。
物言いたげな顔で再び秦がこちらを見たので、和彦はわざと意地の悪い笑みを浮かべた。
「自分と会うのに護衛がいるのか、と言いたげだな」
「先生と、せっかくシャレたカフェでお茶をしているのに、緊張すると思っただけです」
「寒い中、車で待ってもらうのも悪いだろ――と、ぼくの護衛については、君に関係ない。それより、ぼくの質問に答えろ」
秦はキザな仕草で軽く肩をすくめたあと、一瞬にして真剣な顔となった。掴み所がなく得体の知れない秦だが、こういう表情になると、ヤクザ並みの修羅場をくぐってきた男に見えてくるから不思議だ。
「……煽ったつもりはないですよ。ただ、クリスマスツリーの飾りつけを先生に手伝ってもらって、正月に先生と二人きりで散歩したことを、中嶋に知られただけです」
「知らせた、の間違いじゃないのか」
「間が悪い男なんですよ、わたしは」
「自分が今どこに住んでいるのか、教えないこともか? ぼくを連れ込むことはできても、彼に住所すら教えられない理由は?」
手厳しい、と声に出さずに秦が呟く。和彦は、口が達者な秦を言い負かしたことに爽快感を覚えるでもなく、顔をしかめてカップに口をつける。
年が明けてからの気忙しさの原因の一つは、まず間違いなく、中嶋と秦のことがある。中嶋と肌を合わせてから、和彦は落ち着かないのだ。収まるべきところに、大事なものが収まっていないような、奇妙な居心地の悪さもある。
だから、クリニックの開業を目前に控えた忙しい中、こうして秦を呼び出して話していた。
「深入りするな、厄介なことに巻き込みたくない――と、中嶋くんに言ったらしいな。そんなことを言われたら、かえって気になるし、冷静さを失う」
「本当に中嶋は、先生に懐いていますね。なんでも話す」
「それが君の望みじゃないのか。ぼくを利用して、中嶋くんを変えたいんだろ」
「少しは変わりましたか、中嶋は?」
和彦は即答を避け、中嶋とのやり取りをゆっくりと思い返す。セクシャルな行為については、考えるだけで顔が熱くなってくるが、それでも、肌を滑った指や唇、舌の感触だけでなく、交わした会話の一つ一つをよく覚えていた。
「――……君と、強く結びつきたがっていた。〈オンナ〉の悦びを知りたいとも言っていたな。胡散臭い男のために」
こう告げたとき、秦は喜びと同時に、ほろ苦さを感じたような笑みを唇に刻んだ。胡散臭い男の内面は、和彦には想像もつかないほど複雑なようだ。
「先生にお願いしてよかった……。何年も先輩・後輩としてつき合っていようが、きっかけがなければ中嶋は、口が裂けても心の内を晒したりはしませんよ。きっと、眼差しで訴えてくるだけだ」
「そして君は、気づかないふりをするわけだな」
「目の前に、佐伯和彦という〈オンナ〉が現れなければ、そうなっていたかもしれません。それとも、わたしが中嶋の前から姿を消していたか――」
秦が言うシャレたカフェだけあって、隣のテーブルに若い女性二人がつき、さっそく華やかな笑い声を立てる。昼間から、物騒で淫靡な会話を交わしている自分たちとは大違いだと和彦は思った。
「それで先生は、わたしが中嶋を煽ったから、怒っているんですか? それだけとも思えないのですが……」
耳に届く女性たちの会話に気を取られていたが、我に返って秦を見据える。和彦は、低く囁くような声で告げた。
「自分の欲望のために、長嶺組長の〈オンナ〉を利用した代償は、高くつくかもしれないぞ。君だけが代償を払うんじゃなく、中嶋くんも、何かを払うことになる」
「……堂に入ってますね、先生。下手なヤクザに恫喝されるより、怖い」
和彦はもう一度、秦の向こう脛を蹴りつけて、乱暴にカップに口をつける。秦はおかしそうに声を洩らして笑った。
「笑いごとじゃない。長嶺組の庇護を受ける君はそれでいいかもしれないが、中嶋くんは今は、総和会の人間だ。困った立場になったりしないかと思ったんだ。……こういう心配をしてイライラしているのはぼくぐらいで、みんなやけに泰然と構えているから、腹が立つというか、なんというか……」
「ヤクザの手口のえげつなさが、骨身に沁みているという口調ですね」
「実際、沁みるどころか、刻みつけられているんだ」
「――中嶋くんを煽っただろ」
「おや、なんのことですか」
白々しくとぼける秦の向こう脛を、和彦は遠慮なくテーブルの下で蹴りつけてやる。口元に笑みを湛えたまま眉をひそめるという、器用な表情を造った秦は、視線をちらりと他のテーブルへと向けた。二人からやや離れたテーブルについているのは、和彦の護衛の組員だ。
物言いたげな顔で再び秦がこちらを見たので、和彦はわざと意地の悪い笑みを浮かべた。
「自分と会うのに護衛がいるのか、と言いたげだな」
「先生と、せっかくシャレたカフェでお茶をしているのに、緊張すると思っただけです」
「寒い中、車で待ってもらうのも悪いだろ――と、ぼくの護衛については、君に関係ない。それより、ぼくの質問に答えろ」
秦はキザな仕草で軽く肩をすくめたあと、一瞬にして真剣な顔となった。掴み所がなく得体の知れない秦だが、こういう表情になると、ヤクザ並みの修羅場をくぐってきた男に見えてくるから不思議だ。
「……煽ったつもりはないですよ。ただ、クリスマスツリーの飾りつけを先生に手伝ってもらって、正月に先生と二人きりで散歩したことを、中嶋に知られただけです」
「知らせた、の間違いじゃないのか」
「間が悪い男なんですよ、わたしは」
「自分が今どこに住んでいるのか、教えないこともか? ぼくを連れ込むことはできても、彼に住所すら教えられない理由は?」
手厳しい、と声に出さずに秦が呟く。和彦は、口が達者な秦を言い負かしたことに爽快感を覚えるでもなく、顔をしかめてカップに口をつける。
年が明けてからの気忙しさの原因の一つは、まず間違いなく、中嶋と秦のことがある。中嶋と肌を合わせてから、和彦は落ち着かないのだ。収まるべきところに、大事なものが収まっていないような、奇妙な居心地の悪さもある。
だから、クリニックの開業を目前に控えた忙しい中、こうして秦を呼び出して話していた。
「深入りするな、厄介なことに巻き込みたくない――と、中嶋くんに言ったらしいな。そんなことを言われたら、かえって気になるし、冷静さを失う」
「本当に中嶋は、先生に懐いていますね。なんでも話す」
「それが君の望みじゃないのか。ぼくを利用して、中嶋くんを変えたいんだろ」
「少しは変わりましたか、中嶋は?」
和彦は即答を避け、中嶋とのやり取りをゆっくりと思い返す。セクシャルな行為については、考えるだけで顔が熱くなってくるが、それでも、肌を滑った指や唇、舌の感触だけでなく、交わした会話の一つ一つをよく覚えていた。
「――……君と、強く結びつきたがっていた。〈オンナ〉の悦びを知りたいとも言っていたな。胡散臭い男のために」
こう告げたとき、秦は喜びと同時に、ほろ苦さを感じたような笑みを唇に刻んだ。胡散臭い男の内面は、和彦には想像もつかないほど複雑なようだ。
「先生にお願いしてよかった……。何年も先輩・後輩としてつき合っていようが、きっかけがなければ中嶋は、口が裂けても心の内を晒したりはしませんよ。きっと、眼差しで訴えてくるだけだ」
「そして君は、気づかないふりをするわけだな」
「目の前に、佐伯和彦という〈オンナ〉が現れなければ、そうなっていたかもしれません。それとも、わたしが中嶋の前から姿を消していたか――」
秦が言うシャレたカフェだけあって、隣のテーブルに若い女性二人がつき、さっそく華やかな笑い声を立てる。昼間から、物騒で淫靡な会話を交わしている自分たちとは大違いだと和彦は思った。
「それで先生は、わたしが中嶋を煽ったから、怒っているんですか? それだけとも思えないのですが……」
耳に届く女性たちの会話に気を取られていたが、我に返って秦を見据える。和彦は、低く囁くような声で告げた。
「自分の欲望のために、長嶺組長の〈オンナ〉を利用した代償は、高くつくかもしれないぞ。君だけが代償を払うんじゃなく、中嶋くんも、何かを払うことになる」
「……堂に入ってますね、先生。下手なヤクザに恫喝されるより、怖い」
和彦はもう一度、秦の向こう脛を蹴りつけて、乱暴にカップに口をつける。秦はおかしそうに声を洩らして笑った。
「笑いごとじゃない。長嶺組の庇護を受ける君はそれでいいかもしれないが、中嶋くんは今は、総和会の人間だ。困った立場になったりしないかと思ったんだ。……こういう心配をしてイライラしているのはぼくぐらいで、みんなやけに泰然と構えているから、腹が立つというか、なんというか……」
「ヤクザの手口のえげつなさが、骨身に沁みているという口調ですね」
「実際、沁みるどころか、刻みつけられているんだ」
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