血と束縛と

北川とも

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第21話

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 和彦は、ここ最近忙しさもあってサボりがちだったジムに行き、体を動かしていた。忙しいとはいっても、基本的に座り仕事が多いし、移動は車だ。気を抜くとすぐに運動不足になる。数年ぶりに熱を出して寝込んだことで、普段からの体作りの大切さを思い知った。
 ランニングマシーンでたっぷり走ってから、軽めのメニューをこなし、ウェイトコーナーに向かう。置いてあるベンチに横になり、腹筋のトレーニングをしてみたが、やはり少し筋力が落ちているようだ。
 クリニックを開業してから、ようやく生活のリズムが掴めてきたところなので、ジム通いの回数を元に戻そうかと和彦は考えている。組からの仕事が入らなければ、比較的夜は時間が取れるのだ。ただし、賢吾に勝手に予定を押さえられなければ、という前提で。
「――あまり、病み上がりという感じじゃないですね、先生」
 ベンチの傍らに立ったジム仲間に声をかけられ、和彦は首の後ろで組んでいた両手を離す。
 久しぶりに体を思いきり動かして汗だくになっている和彦とは違い、中嶋は首筋や額にうっすらと汗をかいている程度だ。日常的に体を動かしている人間とは、こういうところで差が出るらしい。
「サボっていたツケだな。体が重くて仕方ない」
 中嶋に片手を差し出され、その手を掴んで和彦は体を起こす。館内の時計を見上げると、二時間近く、無心に体を動かしていたようだ。
「そろそろシャワーを浴びに行きませんか?」
 中嶋の言葉に頷き、和彦は立ち上がる。クリニックを閉めてから、この後、中嶋と一緒に夕食をとるのだ。
 今晩ジムに行くと、和彦が中嶋の携帯電話にメールを送り、中嶋の都合がつけばこうして合流する。お互い忙しいうえに、いつ仕事で拘束されるかわからない境遇なので、不確実な約束を交わすより合理的で、気楽なのだ。
 今日はもう、ジムで中嶋と顔を合わせた時点で、護衛の組員には帰ってもらっている。時間を気にせず、中嶋と食事を楽しむためだ。
 慌しくシャワーを浴びて髪を乾かすと、ジムのロビーに下りる。すでに中嶋は待っており、携帯電話で誰かと話している。和彦の姿を見るなり電話を切り、一緒に車に向かう。
「そういえば先生、うちの会長とバレンタインの日に飲まれたそうですね」
 車を発進させてすぐ、あざといほどに自然な調子で中嶋が切り出す。すっかり気を抜いていた和彦は思わず顔を強張らせる。後部座席に乗っているため、直接中嶋の表情を見ることはできないが、バックミラーに映る目元は微かに笑っているようだ。
 いくら親しくなり、プライベートをある程度把握する仲になっても、中嶋はヤクザだ。しかも、野心家で頭が切れる。気になることがあれば、和彦から情報を引き出そうとするのは当然だ。
「……わざと、間違っただろ。会ったのはバレンタインデーじゃなくて、その前日だ」
「先生がどんな反応をするか知りたかったんです。曖昧な返事をするか、誤魔化して答えないか――。日にちの訂正をされるとは思いませんでした」
 ここで車内に沈黙が訪れる。どうやら中嶋は、和彦の言葉を待っているらしい。
 唇を引き結び、シートに深く体を預ける。クラブで守光と同席したあと、自分の身に何が起こったのか思い返すと、体の内から震えが起こる。巨大すぎる凶暴な力に対する怯えと、目隠しをされての淫らな行為に対する疼き。それらが複雑に入り乱れ、和彦からいくらかの冷静さを奪うのだ。
「――……南郷さんが同席していた」
「あの人は会長の側に控えていることが多いので、同じ隊の人間にも、自分の行動を知らせることはあまりないんです。つまり、南郷さんの動きを追えば、会長の動きが追える。そしてその逆も言えるわけです」
「確かに、ぼくが会長と会うときは、あの人が側に控えていることが多いな……」
「先生、さらりと言ってますが、それだけ会長とお会いしているというのは、すごいことですよ」
 中嶋に指摘されて改めて、和彦は自分の立場がいかに変化したか思い知る。少し前まで、総和会会長と聞いたところで、自分にはほとんど関わりのない存在だと考えていた。それが今では――。
 知らず知らずのうちに苦い表情となり、こんなことを洩らしていた。
「ほんの一年前までのぼくなら、ヤクザの運転する車に乗って、大きな暴力団組織の会長と会ったことを話すなんて、想像すらしていなかった」
「だったら一年後は、さらにすごいことになっているかもしれませんね」
「……考えたくない」
 普段から、この先自分はどうなるのか、あえて考えないようにしているのだ。男たちの思惑に流されながらも、今を無事に過ごすことで精一杯だ。
 中嶋が連れて行ってくれたのは、複合ビル内にあるモダンな雰囲気のインド料理屋だった。

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