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第22話
(3)
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「今日の会合は、その花見会の打ち合わせのためだ。いろいろと準備しておきたいものもあるしな。せっかくここまで足を伸ばしたんだから、いつもとは違う人間と一緒に歩きたかった。まあ、あんたにしてみれば、強面のでかい男たちに囲まれて、多少息苦しいだろうが」
ここで頷くわけにもいかず、和彦は曖昧な表情を浮かべる。逃げ場を探すように視線をさまよわせ、再び桜の木を見上げていた。
「この世界のことをほとんど知らないぼくが、あなたの隣を歩いていていいのか、という気もします……」
「知らないから、いいんだ。わしは話し好きだ。いままでは千尋がいたんだが、あれもすっかりこの世界のことを知った気になって、今ではわしの長い話を聞きたがらん」
「千尋らしいです」
「これからは、実地でいろいろと覚えさせる時期だ。わしが元気なうちにな」
ここで守光が前方を指さす。茶屋が出ており、すでに総和会の人間が席を取っていた。
「少し座って休憩しよう」
守光の言葉に、和彦は素直に頷いた。
板の間の窓を開け放った和彦は、手すりを掴んで思いきり身を乗り出す。山間にある旅館だけあって周囲を木々に覆われ、自然のカーテンとなっている。
フロントで部屋の鍵を受け取って、きれいに手入れされた庭の小道を歩き、そこから階段を上がり、離れに続く渡り廊下を通るという、少し手間のかかる移動を経て、この部屋に辿り着いた。手入れの行き届いた和洋室で、洋間に置かれたベッドはダブルだ。周囲の環境もあって、落ち着いてゆっくりと過ごせそうだ。
ちなみに、庭を挟んだ向かいに、守光が宿泊する部屋がある。
露天風呂がついているという贅沢な離れの部屋を、すべて総和会で押さえてしまったのは、やはり安全のためだろう。旅館を貸切にしたようなものだ。呼ばない限り旅館のスタッフも離れには近寄らないそうで、渡り廊下を歩く人間は、ほぼ総和会の人間ということになる。
守光はささやかな観光のあと会合に出かけ、先に旅館に戻ったのは、和彦と、護衛としてつけられた男一人だけだ。旅館を出ないでくださいと言われたが、言い換えるなら、旅館内は自由に歩き回れるということだ。
どこかに花が咲いているのか、木々の間を抜けてきた風が柔らかないい匂いを含んでいる。軽く鼻を鳴らした和彦は、部屋でおとなしくしているつもりだったが、急に気が変わった。庭を散策してこようと思い、窓を閉める。
部屋からの景色を目にして、旅館の外を歩いてみたい気にならないといえばウソになるが、何かあったときに総和会に迷惑をかけるわけにもいかない。
和彦は、ときおり辺りに響く鳥の声を聞きつつ、人の姿がない庭をのんびりと歩き回る。
足元に咲いている花を屈み込んで眺めていて、ふと視線を感じて顔を上げる。いつからそこにいたのか、庭に植えられた木の陰に人が立っていた。反射的に和彦が立ち上がると、己の存在を知らしめるように、ヌッと南郷が姿を現す。
思いがけない人物の登場に、和彦の頭は軽く混乱する。守光と一緒に観光をしている間、確かに南郷はいなかったのだ。だから安心もしていた。
「どうしてっ……」
和彦が声を洩らすと、南郷は無遠慮に距離を縮めてくる。本能的な怯えから後退ろうとしたが、さらに南郷が近づいてきたので、妙な意地から踏み止まる。
「――俺は用事があったんで、あとから合流することになってたんだ」
「そう、なんですか」
落ち着いた雰囲気の庭にあって、南郷の存在は異様なほど浮いていた。ダークスーツを端然と着込んではいるものの、凶暴な空気が滲み出ており、崩れた格好をするよりよほど南郷を怖い存在に見せている。今日一緒に行動をともにした総和会の男たちも、きちんとした格好はしていたが、南郷のような印象は受けなかった。
何が違うのかと思えば、簡単だ。南郷はあざといほどに己の存在――いや、力を誇示している。それが和彦には、堪らなく受け入れがたいのだ。
「これから、旅館の周囲に怪しい人間がうろついていないか、見回ってくる。あんたも一緒に来るか?」
南郷の提案に、和彦は不信感を露わにする。
「どうして、ぼくが?」
「暇そうだったから、見回りのついでに散歩に連れ出してやろうと思って」
「……お気遣いはありがたいですが、会長から旅館から出ないよう言われています」
「俺と一緒なら、オヤジさんも許可してくれるだろうが、まあ、俺みたいな見てくれの悪い男と並んで歩きたくないか」
「そんなことは思ってませんっ。……が、そう思いたいなら、ご自由にどうぞ」
和彦がきつい眼差しを向けると、余裕たっぷりに南郷は肩をすくめる。明らかに、和彦の反応を楽しんでいる。
「――気が強いな、先生」
ここで頷くわけにもいかず、和彦は曖昧な表情を浮かべる。逃げ場を探すように視線をさまよわせ、再び桜の木を見上げていた。
「この世界のことをほとんど知らないぼくが、あなたの隣を歩いていていいのか、という気もします……」
「知らないから、いいんだ。わしは話し好きだ。いままでは千尋がいたんだが、あれもすっかりこの世界のことを知った気になって、今ではわしの長い話を聞きたがらん」
「千尋らしいです」
「これからは、実地でいろいろと覚えさせる時期だ。わしが元気なうちにな」
ここで守光が前方を指さす。茶屋が出ており、すでに総和会の人間が席を取っていた。
「少し座って休憩しよう」
守光の言葉に、和彦は素直に頷いた。
板の間の窓を開け放った和彦は、手すりを掴んで思いきり身を乗り出す。山間にある旅館だけあって周囲を木々に覆われ、自然のカーテンとなっている。
フロントで部屋の鍵を受け取って、きれいに手入れされた庭の小道を歩き、そこから階段を上がり、離れに続く渡り廊下を通るという、少し手間のかかる移動を経て、この部屋に辿り着いた。手入れの行き届いた和洋室で、洋間に置かれたベッドはダブルだ。周囲の環境もあって、落ち着いてゆっくりと過ごせそうだ。
ちなみに、庭を挟んだ向かいに、守光が宿泊する部屋がある。
露天風呂がついているという贅沢な離れの部屋を、すべて総和会で押さえてしまったのは、やはり安全のためだろう。旅館を貸切にしたようなものだ。呼ばない限り旅館のスタッフも離れには近寄らないそうで、渡り廊下を歩く人間は、ほぼ総和会の人間ということになる。
守光はささやかな観光のあと会合に出かけ、先に旅館に戻ったのは、和彦と、護衛としてつけられた男一人だけだ。旅館を出ないでくださいと言われたが、言い換えるなら、旅館内は自由に歩き回れるということだ。
どこかに花が咲いているのか、木々の間を抜けてきた風が柔らかないい匂いを含んでいる。軽く鼻を鳴らした和彦は、部屋でおとなしくしているつもりだったが、急に気が変わった。庭を散策してこようと思い、窓を閉める。
部屋からの景色を目にして、旅館の外を歩いてみたい気にならないといえばウソになるが、何かあったときに総和会に迷惑をかけるわけにもいかない。
和彦は、ときおり辺りに響く鳥の声を聞きつつ、人の姿がない庭をのんびりと歩き回る。
足元に咲いている花を屈み込んで眺めていて、ふと視線を感じて顔を上げる。いつからそこにいたのか、庭に植えられた木の陰に人が立っていた。反射的に和彦が立ち上がると、己の存在を知らしめるように、ヌッと南郷が姿を現す。
思いがけない人物の登場に、和彦の頭は軽く混乱する。守光と一緒に観光をしている間、確かに南郷はいなかったのだ。だから安心もしていた。
「どうしてっ……」
和彦が声を洩らすと、南郷は無遠慮に距離を縮めてくる。本能的な怯えから後退ろうとしたが、さらに南郷が近づいてきたので、妙な意地から踏み止まる。
「――俺は用事があったんで、あとから合流することになってたんだ」
「そう、なんですか」
落ち着いた雰囲気の庭にあって、南郷の存在は異様なほど浮いていた。ダークスーツを端然と着込んではいるものの、凶暴な空気が滲み出ており、崩れた格好をするよりよほど南郷を怖い存在に見せている。今日一緒に行動をともにした総和会の男たちも、きちんとした格好はしていたが、南郷のような印象は受けなかった。
何が違うのかと思えば、簡単だ。南郷はあざといほどに己の存在――いや、力を誇示している。それが和彦には、堪らなく受け入れがたいのだ。
「これから、旅館の周囲に怪しい人間がうろついていないか、見回ってくる。あんたも一緒に来るか?」
南郷の提案に、和彦は不信感を露わにする。
「どうして、ぼくが?」
「暇そうだったから、見回りのついでに散歩に連れ出してやろうと思って」
「……お気遣いはありがたいですが、会長から旅館から出ないよう言われています」
「俺と一緒なら、オヤジさんも許可してくれるだろうが、まあ、俺みたいな見てくれの悪い男と並んで歩きたくないか」
「そんなことは思ってませんっ。……が、そう思いたいなら、ご自由にどうぞ」
和彦がきつい眼差しを向けると、余裕たっぷりに南郷は肩をすくめる。明らかに、和彦の反応を楽しんでいる。
「――気が強いな、先生」
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