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第22話
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あえて、千尋と引き離されたのだろうか――。和彦はふっとそんなことを考えてしまう。
『先生?』
「あっ……、聞いている」
『いい機会だから、じいちゃんにたっぷり甘えて、いろいろ買ってもらうといいよ。なんといっても総和会会長は、太っ腹だから』
「……返事がしにくいことを言うな」
守光に代わろうかと聞いてみたが、あっさりと千尋に断られた。
和彦が携帯電話をポケットに仕舞うと、守光が楽しそうに話しかけてきた。
「薄情な孫だな。わしの声は聞きたくないと言ったんだろ?」
「そこまでは……。お腹が空いているらしくて、これからラーメン屋に行くそうです」
「だったら千尋の分まで、しっかり料理を味わっておこう」
守光の言葉に、座椅子に座り直した和彦はぎこちなく微笑んで頷いた。
夕食後すぐに、部屋の露天風呂にゆっくりと浸かった和彦は、板の間の籐椅子に腰掛けて、体の火照りを鎮めていた。
外はすでに闇に覆われており、窓から見えるのは、微かな月明かりが生み出す木々の影ぐらいだ。街中で生活していると、これほど人工的な明かりのない夜というのも珍しい。
和彦は改めて、ここは旅先なのだと実感していた。総和会の人間と行動をともにしながら、ずっと肩に力が入っていたが、そのおかげというのも変な表現だが、抱えた問題について考える余裕はなかった。
一人になって落ち着いた今になって、里見と英俊が一緒にいた光景が脳裏に蘇る。見かけたときの衝撃は少しずつ薄まりつつあるが、嫉妬してしまったという事実は、胸の奥で重みを増しているようだ。
首筋を伝い落ちる汗をタオルで拭い、ペットボトルの水を飲む。
いくら昼間は春らしい気候だったとはいえ、夜の山間はさすがに少し冷える。湯冷めする前に、ベッドの上に置いた茶羽織を取ってこようと和彦が立ち上がりかけたとき、前触れもなく部屋の電気が消えて暗くなった。
「えっ……」
反射的に洋間のほうを振り返った和彦が見たのは、こちらに近づいてくる人影だった。次の瞬間、再び窓のほうを向く。いくら部屋が暗くなろうが、月明かりのせいでおぼろながら相手を認識することはできる。だから、はっきりと相手を見ることを避けたのだ。
相手が背後にやってくるまでのわずかな間に、和彦の心臓の鼓動は壊れそうなほど速くなっていた。部屋への侵入者が怖いわけではない。これから自分の身に何が起こるか、一瞬にして理解したからだ。
和彦は体を硬くして、じっとしていた。相手も心得ているように、声をかけてくることなく行動を起こす。
ひんやりとして滑らかな感触の布が和彦の両目を覆い、あっという間に頭の後ろで結ばれる。そして、手を取られた。促されるまま立ち上がった和彦は、手を引かれておそるおそる歩く。
取られた手を振り払い、目隠しを外すという選択肢はなかった。旅行に誘われたときから、覚悟はしていたことだ。
決して期待していたわけではない――。
誰に対してのものかわからない言い訳を、ベッドに着くまでの間、和彦は繰り返す。いざベッドに押し倒されたときには、もう何も考えられなくなっていた。ただ、与えられる感触がすべてになる。
覚えのある手順で帯を解かれ、浴衣の前を開かれると、下着を脱がされた。サイドテーブルのライトがつけられて、まだ汗ばんでいる肌を撫で回される。
まるで儀式のように体を検分されると、次は両足の間にあるものを握り締められるはずだ。はしたないと思いながらも、頭の中で行為の手順をなぞっていた和彦だが、相手の行動はあっさりと予想を裏切った。
覆い被さってきた相手の重みに続いて、首筋に熱い息遣いを感じる。
「うっ」
動揺した弾みから、和彦は小さく声を洩らした。首筋に、柔らかく濡れた感触が触れたからだ。まったく知らない感触ではないが、まさか今、自分にのしかかっている相手から与えられるとは思わなかった。
和彦の戸惑いをよそに、相手の唇がゆっくりと首筋に這わされる。これまでの行為で、相手の唇が肌に触れたことはなく、いつも指先やてのひらで撫でてくるだけだった。しっかりと肉で繋がりながら、〈情を交わす〉という感覚とは無縁だったのは、姿が見えず、声も聞けず、相手の唇の感触を知らなかったからだ。
どうして今日は、と相手に問いかけたかったが、和彦はすぐに冷静ではいられなくなる。
浴衣を脱がされながら肌を唇でまさぐられ、舌も這わされているうちに、嫌でも和彦の官能は高まり、息が乱れる。これまでのように体をてのひらで撫でられ、追いかけるように唇と舌が這わされて、愛撫の心地よさに体の強張りが解けていた。
「んうっ……」
『先生?』
「あっ……、聞いている」
『いい機会だから、じいちゃんにたっぷり甘えて、いろいろ買ってもらうといいよ。なんといっても総和会会長は、太っ腹だから』
「……返事がしにくいことを言うな」
守光に代わろうかと聞いてみたが、あっさりと千尋に断られた。
和彦が携帯電話をポケットに仕舞うと、守光が楽しそうに話しかけてきた。
「薄情な孫だな。わしの声は聞きたくないと言ったんだろ?」
「そこまでは……。お腹が空いているらしくて、これからラーメン屋に行くそうです」
「だったら千尋の分まで、しっかり料理を味わっておこう」
守光の言葉に、座椅子に座り直した和彦はぎこちなく微笑んで頷いた。
夕食後すぐに、部屋の露天風呂にゆっくりと浸かった和彦は、板の間の籐椅子に腰掛けて、体の火照りを鎮めていた。
外はすでに闇に覆われており、窓から見えるのは、微かな月明かりが生み出す木々の影ぐらいだ。街中で生活していると、これほど人工的な明かりのない夜というのも珍しい。
和彦は改めて、ここは旅先なのだと実感していた。総和会の人間と行動をともにしながら、ずっと肩に力が入っていたが、そのおかげというのも変な表現だが、抱えた問題について考える余裕はなかった。
一人になって落ち着いた今になって、里見と英俊が一緒にいた光景が脳裏に蘇る。見かけたときの衝撃は少しずつ薄まりつつあるが、嫉妬してしまったという事実は、胸の奥で重みを増しているようだ。
首筋を伝い落ちる汗をタオルで拭い、ペットボトルの水を飲む。
いくら昼間は春らしい気候だったとはいえ、夜の山間はさすがに少し冷える。湯冷めする前に、ベッドの上に置いた茶羽織を取ってこようと和彦が立ち上がりかけたとき、前触れもなく部屋の電気が消えて暗くなった。
「えっ……」
反射的に洋間のほうを振り返った和彦が見たのは、こちらに近づいてくる人影だった。次の瞬間、再び窓のほうを向く。いくら部屋が暗くなろうが、月明かりのせいでおぼろながら相手を認識することはできる。だから、はっきりと相手を見ることを避けたのだ。
相手が背後にやってくるまでのわずかな間に、和彦の心臓の鼓動は壊れそうなほど速くなっていた。部屋への侵入者が怖いわけではない。これから自分の身に何が起こるか、一瞬にして理解したからだ。
和彦は体を硬くして、じっとしていた。相手も心得ているように、声をかけてくることなく行動を起こす。
ひんやりとして滑らかな感触の布が和彦の両目を覆い、あっという間に頭の後ろで結ばれる。そして、手を取られた。促されるまま立ち上がった和彦は、手を引かれておそるおそる歩く。
取られた手を振り払い、目隠しを外すという選択肢はなかった。旅行に誘われたときから、覚悟はしていたことだ。
決して期待していたわけではない――。
誰に対してのものかわからない言い訳を、ベッドに着くまでの間、和彦は繰り返す。いざベッドに押し倒されたときには、もう何も考えられなくなっていた。ただ、与えられる感触がすべてになる。
覚えのある手順で帯を解かれ、浴衣の前を開かれると、下着を脱がされた。サイドテーブルのライトがつけられて、まだ汗ばんでいる肌を撫で回される。
まるで儀式のように体を検分されると、次は両足の間にあるものを握り締められるはずだ。はしたないと思いながらも、頭の中で行為の手順をなぞっていた和彦だが、相手の行動はあっさりと予想を裏切った。
覆い被さってきた相手の重みに続いて、首筋に熱い息遣いを感じる。
「うっ」
動揺した弾みから、和彦は小さく声を洩らした。首筋に、柔らかく濡れた感触が触れたからだ。まったく知らない感触ではないが、まさか今、自分にのしかかっている相手から与えられるとは思わなかった。
和彦の戸惑いをよそに、相手の唇がゆっくりと首筋に這わされる。これまでの行為で、相手の唇が肌に触れたことはなく、いつも指先やてのひらで撫でてくるだけだった。しっかりと肉で繋がりながら、〈情を交わす〉という感覚とは無縁だったのは、姿が見えず、声も聞けず、相手の唇の感触を知らなかったからだ。
どうして今日は、と相手に問いかけたかったが、和彦はすぐに冷静ではいられなくなる。
浴衣を脱がされながら肌を唇でまさぐられ、舌も這わされているうちに、嫌でも和彦の官能は高まり、息が乱れる。これまでのように体をてのひらで撫でられ、追いかけるように唇と舌が這わされて、愛撫の心地よさに体の強張りが解けていた。
「んうっ……」
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