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第26話
(25)
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連休中はどこかに出かけるのかと尋ねられ、まさか今のような状況になるとは思ってもいなかった和彦は、自宅でのんびりと過ごすと返信したのだ。一方の里見は、仕事が忙しくて休みどころではないらしい。
のんびり過ごすと返信した手前、いつ里見から連絡がきても応対できるようにと、こうして携帯電話を持ってきたのだが、三田村もともに過ごしているこの場所で、果たしてこれは正しい行動だったのだろうかと思わなくもない。
「本当にぼくの生き方は、そういうことで成り立っているな。厄介で物騒な男たちの事情に雁字搦めになって、受け入れて、身を委ねて……」
「そんなふうに言われると、俺の目の前にいる人は、自分の意思がなくて、弱いのかと思えますが、違いますよね。先生は、したたかでタフだ」
「昔から、鍛えられているからな」
自分でもわかるほど素っ気なく応じて、携帯電話をナイトテーブルの上に戻すと、仰向けで再びベッドに横になり、窓の外に目を向ける。
「……今は、甘やかされていると思っている。それに、いろいろと不便で窮屈なところもあるが、少なくとも、佐伯和彦という存在は認識されているし、必要ともされている」
「その言い方だと、認識すらされていないときがあったみたいだ。――総和会も長嶺組も、徹底して先生のことは調べ上げているはずなのに、先生には秘密があるんじゃないか、なんてことを考えてしまいますよ」
「そうだ。ぼくには、大きな秘密がある」
軽い口調で応じた和彦は、ニヤリと中嶋に笑いかける。虚をつかれたように目を丸くした中嶋だが、同じような笑みを返してきた。
「聞いたところで、教えてくれないんでしょう。その様子だと」
「冗談だ。本気にしないでくれ。ぼくは、長嶺の男に目をつけられるまでは、普通の暮らしをしていた、遊び好きの美容外科医だった。それだけだ……」
ふうん、と意味ありげに声を洩らして、中嶋が和彦の隣に横になる。ごろりと転がってうつ伏せになると、やはり窓のほうを見て目を細めた。
「昼寝するには最高の陽気ですね。午前中は体を動かしたし、昼メシも食ったあとだし。俺も、釣ってきた魚の下処理を済ませたら、少しごろごろしようかな」
「こういうとき、器用な人間は損だな。なんでもやらなきゃいけなくなる」
「日ごろのハードな仕事に比べれば、申し訳ないぐらい楽させてもらってますよ。なんといっても先生は、あまり手がかからない。三田村さんがまた、黙々とあれこれ手伝ってくれますし」
その三田村は、夕食の材料で足りないものがあるという中嶋の言葉を受け、自ら申し出て買い物に出かけている。
中嶋という第三者がいる中、三田村もいつもとは勝手が違い、落ち着かないのではないかと和彦は推測している。すでに和彦との関係は中嶋に知られているとはいえ、だからこそ節度と、自分の立場というものを示そうとしているように感じられるのだ。
中嶋と友人として親しくしている和彦とは違い、長嶺組の組員である三田村にとって、中嶋は総和会の人間でしかない。
「――三田村さんが側にいなくて、心細いですか?」
外を眺めていたはずの中嶋が、いつの間にかこちらを見ていた。冗談めかしてかけられた言葉に、和彦は苦笑いで返す。
「普段は、三田村が側にいないことのほうが多いのに、そんなわけないだろう。だいたい、心細いってなんだ。ぼくは子供か」
「でも今、三田村さんのことを考えていたでしょう」
返事に詰まった和彦は、寝返りを打って中嶋に背を向ける。背後からは、押し殺した笑い声がしばらく聞こえていた。
賢吾から電話がかかってきたとき、和彦はテラスに出したデッキチェアに身を預け、夕闇に覆われつつある庭を眺めていた。
特に花を愛でる趣味があるわけではないが、手入れされた庭でさまざまな花が咲いている光景を眺めていると、なんとなく自分が優しい人間になったような気がする。そういう気分に浸っている自分が、心地いいのかもしれない。
賢吾からの電話は、切り離していた日常が一気に戻ってきたようで、傍迷惑なような、それでいて安堵できるような、奇妙な感じだ。
『連休は楽しんでいるようだな。定時連絡は三田村に任せっきりで、先生からは電話の一本もかからないぐらいだ。千尋が寂しがってるぞ。――俺も』
鼓膜に響く魅力的なバリトンが、ずいぶん懐かしいもののように感じられる。そのせいか、違和感なく耳に馴染み、溶けていく。
庭に視線を向けたまま和彦は顔をしかめた。
「長嶺組組長ともあろう男が、つまらない冗談を言うんだな」
『なんだ。本気だと受け取ってくれないのか?』
「……電話しなかったのは、別にあんたに報告するようなことはないからだ。毎日電話しろと、言われもしなかったし」
のんびり過ごすと返信した手前、いつ里見から連絡がきても応対できるようにと、こうして携帯電話を持ってきたのだが、三田村もともに過ごしているこの場所で、果たしてこれは正しい行動だったのだろうかと思わなくもない。
「本当にぼくの生き方は、そういうことで成り立っているな。厄介で物騒な男たちの事情に雁字搦めになって、受け入れて、身を委ねて……」
「そんなふうに言われると、俺の目の前にいる人は、自分の意思がなくて、弱いのかと思えますが、違いますよね。先生は、したたかでタフだ」
「昔から、鍛えられているからな」
自分でもわかるほど素っ気なく応じて、携帯電話をナイトテーブルの上に戻すと、仰向けで再びベッドに横になり、窓の外に目を向ける。
「……今は、甘やかされていると思っている。それに、いろいろと不便で窮屈なところもあるが、少なくとも、佐伯和彦という存在は認識されているし、必要ともされている」
「その言い方だと、認識すらされていないときがあったみたいだ。――総和会も長嶺組も、徹底して先生のことは調べ上げているはずなのに、先生には秘密があるんじゃないか、なんてことを考えてしまいますよ」
「そうだ。ぼくには、大きな秘密がある」
軽い口調で応じた和彦は、ニヤリと中嶋に笑いかける。虚をつかれたように目を丸くした中嶋だが、同じような笑みを返してきた。
「聞いたところで、教えてくれないんでしょう。その様子だと」
「冗談だ。本気にしないでくれ。ぼくは、長嶺の男に目をつけられるまでは、普通の暮らしをしていた、遊び好きの美容外科医だった。それだけだ……」
ふうん、と意味ありげに声を洩らして、中嶋が和彦の隣に横になる。ごろりと転がってうつ伏せになると、やはり窓のほうを見て目を細めた。
「昼寝するには最高の陽気ですね。午前中は体を動かしたし、昼メシも食ったあとだし。俺も、釣ってきた魚の下処理を済ませたら、少しごろごろしようかな」
「こういうとき、器用な人間は損だな。なんでもやらなきゃいけなくなる」
「日ごろのハードな仕事に比べれば、申し訳ないぐらい楽させてもらってますよ。なんといっても先生は、あまり手がかからない。三田村さんがまた、黙々とあれこれ手伝ってくれますし」
その三田村は、夕食の材料で足りないものがあるという中嶋の言葉を受け、自ら申し出て買い物に出かけている。
中嶋という第三者がいる中、三田村もいつもとは勝手が違い、落ち着かないのではないかと和彦は推測している。すでに和彦との関係は中嶋に知られているとはいえ、だからこそ節度と、自分の立場というものを示そうとしているように感じられるのだ。
中嶋と友人として親しくしている和彦とは違い、長嶺組の組員である三田村にとって、中嶋は総和会の人間でしかない。
「――三田村さんが側にいなくて、心細いですか?」
外を眺めていたはずの中嶋が、いつの間にかこちらを見ていた。冗談めかしてかけられた言葉に、和彦は苦笑いで返す。
「普段は、三田村が側にいないことのほうが多いのに、そんなわけないだろう。だいたい、心細いってなんだ。ぼくは子供か」
「でも今、三田村さんのことを考えていたでしょう」
返事に詰まった和彦は、寝返りを打って中嶋に背を向ける。背後からは、押し殺した笑い声がしばらく聞こえていた。
賢吾から電話がかかってきたとき、和彦はテラスに出したデッキチェアに身を預け、夕闇に覆われつつある庭を眺めていた。
特に花を愛でる趣味があるわけではないが、手入れされた庭でさまざまな花が咲いている光景を眺めていると、なんとなく自分が優しい人間になったような気がする。そういう気分に浸っている自分が、心地いいのかもしれない。
賢吾からの電話は、切り離していた日常が一気に戻ってきたようで、傍迷惑なような、それでいて安堵できるような、奇妙な感じだ。
『連休は楽しんでいるようだな。定時連絡は三田村に任せっきりで、先生からは電話の一本もかからないぐらいだ。千尋が寂しがってるぞ。――俺も』
鼓膜に響く魅力的なバリトンが、ずいぶん懐かしいもののように感じられる。そのせいか、違和感なく耳に馴染み、溶けていく。
庭に視線を向けたまま和彦は顔をしかめた。
「長嶺組組長ともあろう男が、つまらない冗談を言うんだな」
『なんだ。本気だと受け取ってくれないのか?』
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