血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
684 / 1,289
第30話

(2)

しおりを挟む
「あの家が、ぼくを必要としていると知ったところで、少しも嬉しくないんだ。きっともう、ぼくとあの家が歩み寄ることはできない。それが確認できただけでも、会ってよかったと思う。間に入った里見さんには、申し訳ないけど」
 座卓に置いた文庫本の表紙を、手慰みに撫でる。そうしながら和彦の脳裏に蘇るのは、英俊と会ったときの光景だ。
 思い返すたびに息苦しい感覚に襲われていたが、自分を駆り立てるように仕事をこなし、すっかり慣れ親しんだ男たちと顔を合わせていくうちに、その感覚も薄れつつある。だから、里見に連絡を取ることにしたのだ。今回は、悲壮な覚悟は必要としなかった。
「兄さんに、言いたいことは言えたと思う。そのことを、あの人たちは納得しないだろうけど、ぼくはこれ以上話をするつもりはない。また里見さんに何か頼んできたときは、そう伝えてもらえるかな。一生連絡を取らない――という決心まではしていないけど、当分、話をするつもりはない」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、深いため息だった。一瞬、里見を失望させただろうかと身構えた和彦だが、次に耳に届いたのは、鼓膜をくすぐるような笑い声だった。
「……里見さん?」
『ごめん。最初の頃は、君は誰かに脅されていると思っていたんだ。だけど直接君に会って、英俊くんからも話を聞いて、今の君の言葉を聞いて、ようやく受け入れるしかないと思った。――君は、今いる場所で必要とされて、それ以上に大事にされているんだって』
 里見が想像しているのは、穏やかで優しくて、美しい環境なのだろうと思うと、現実とのギャップに和彦もつい声を洩らして笑ってしまう。だが、男たちの情や、複雑な事情に雁字搦めになりながらも、和彦にとってこの世界が心地いいのは間違いない。
「そう……、単純なものじゃないけどね」
 ほろ苦い気持ちを噛み締めながら和彦が呟いたとき、廊下を歩く足音が聞こえてくる。
「それじゃあ、もう切るね」
『和彦くんっ』
 携帯電話を耳元から離そうとしたとき、突然里見が大きな声を発する。
「何?」
『この電話を切ったあと、携帯の番号を変えたりしないでくれ。英俊くんに番号を知られて、君は嫌だろうけど、今の君とわたしを繋いでいるのは、この番号しかないんだ。だから――』
 和彦は外の様子をうかがいながら、早口で告げた。
「考えておくよ」
 電話を切ったのと、障子が開くのは同時だった。和彦は落ち着いて携帯電話を置くと、部屋に入ってきた人物に声をかける。
「――寝る準備は万端って感じだな」
 ハーフパンツにTシャツという、今すぐにでもベッドに飛び込めそうな格好をした千尋は、和彦の言葉を受けてニッと笑う。一方の和彦も、本宅で寛ぐときの定番となっている浴衣姿だ。里見との電話を終えたら、さっさと横になって文庫本の続きを読もうと思っていたのだ。
 今夜は、この部屋の主が外泊になるかもしれないということで、一人でゆっくりと過ごせると思っていたが――。
 障子を閉めた千尋が、いそいそと和彦の側にやってくる。人懐こい犬っころを思わせる行動に、思わず唇を緩めた和彦は、千尋の生乾きの髪を手荒く撫でてやる。
「どうしたんだ、ここまでやってきて」
 和彦の問いかけに、千尋が唇を尖らせる。最近ますます、長嶺組の跡目としての責任感に目覚めてきたのか、風格らしきものが漂い始めた千尋だが、和彦の前では相変わらずだ。年相応の青年――よりもさらに子供っぽい言動を取る。
「だって先生、クリニックから戻ってきても、メシ食って、風呂入ったら、さっさとオヤジの部屋にこもるだろ。今晩なんて、オヤジはいないのに、それでもこの部屋がいいんだ」
「それは……、お前の父親が、ここで寝泊まりしろって言い出したから……。ぼくが嫌だと言ったところで、聞き入れる男じゃないだろ」
「でも、嫌なんて言うつもりなかったんでしょ?」
 千尋から、恨みがましい目でじっと見つめられ、和彦は露骨な困り顔で返す。
 当分、和彦を一人にしておけないからと、本宅からクリニックに通うよう、賢吾から言われた。いつになく人恋しさを感じていた和彦は、それに素直に従ったのだが、賢吾の要求はそれだけでは済まなかった。
 いつものように客間を使うつもりだったが、和彦が案内されたのは、賢吾の部屋だったのだ。仕事を終えて本宅に戻ると、賢吾の部屋で食事を済ませ、寛ぎ、布団を並べて休む――という生活を、もう一週間近く送っている。
 賢吾なりに、和彦の精神状態を慮ってのことだろうと理解はしているが、当然のようにこの部屋で二人で過ごしていると、自分と賢吾の関係が変化したと強く実感できる。強要されているのではなく、自分は望んで、賢吾の側にいるのだと。

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...