772 / 1,289
第33話
(7)
しおりを挟む
ふっと口元に笑みを湛え、御堂は窓のほうへと顔を向ける。非の打ちどころのない横顔に、つい和彦は見惚れる。話を聞いているうちにずいぶん気持ちが和らぎ、こんな質問をぶつけていた。
「……御堂さんは、自分の過去をどう思っていますか」
こちらに向き直った御堂は一声唸り、灰色の髪に指を差し込んだ。
「苦いような、甘いような、複雑な感じだ。――大事に愛してくれたと思うよ。二人とも、わたしより遥かに大人だったから。いろんなことを教えてもらった。打算的なことを言うなら、あらゆる面で後ろ盾にもなってもらっている。君が見たとおり、今でもセックスできるぐらいだから、否定したい過去ではない」
ニヤリと笑いかけられ、和彦のほうがうろたえてしまう。
「それに嫌いではない。オンナであった自分は。ただ……、君のほうは、わたしよりずっと大変だ。賢吾から聞いたけど、長嶺の三人以外とも――」
「ぼくは淫奔なんです。束縛も執着もしない相手と気まぐれに、気軽に寝てきて――、それが今はこの状態です。束縛されて、執着されて……。嫌いじゃない、という表現では足りません。きっとぼくは、そうされることが好きなんです」
「ふふ。いいことを聞いた。賢吾や千尋が聞いたら喜ぶだろうな」
和彦が慌てて腰を浮かせようとすると、御堂は片手を振った。
「冗談だよ。これは〈オンナ〉同士の秘密だ」
なかなか際どい冗談だなと、和彦はぎこちない笑みをこぼしたが、次の瞬間には小さくため息をつき、コーヒーカップに口をつける。
〈オンナ〉というのは、単なる言葉でしかない。どこか言葉遊びのような、そこに込められた淫靡な響きに妖しく胸を疼かせ、体を開く媚薬のようなものだ。だが、その単なる言葉が、どんどん和彦の中だけではなく、周囲の男たちにとっても重みを増し、まるで囚われているようだ。
このままでは危険だと、和彦自身、頭ではわかっている。しかしもう、その立場を捨て去った自分の姿が想像できなくなっている。日々を重ねるごとに、そういう生き物になっているのだ。
答えの見えない思索に耽っていると、聞き覚えのない着信音が響く。御堂の携帯電話が鳴っているのだ。携帯電話を操作した御堂は、一切の表情を消してメールを読む。普段、少なくとも和彦の前では柔らかな表情を見せている御堂だが、どちらの表情がより御堂という人間の本質を表しているのだろうかと、ぼんやりと和彦は考える。
もしかすると、綾瀬の下で浮かべていた悦びの表情が――と、艶めかしい場面が脳裏に蘇りそうになったが、寸前のところで御堂と目が合い、我に返った。
「本部にいる、うちの隊員からだ。君を連れ回さないでくれと、第二遊撃隊から苦情があったそうだ。何様のつもりなんだろうね。――南郷は」
和彦は微かに肩を揺らす。どうしても南郷の名には無反応ではいられない。御堂はスッと目を細め、いくらか声を潜めて言った。
「君は、南郷が見た目通りの、粗野で野蛮な男だとは思っていないだろう。長嶺会長に目をかけられ、着実に力をつけている。総和会の中でも独特の存在感を放っていて、いくつかの組とも関わりを深くしているらしい。……総和会の中で何を目指しているのか、わたしは気になるんだ」
御堂の迫力に圧されて返事もできず、ただ瞬きを繰り返す。御堂はふっと眼差しを緩めた。
「余計なことまで言いすぎた。君に毒を吹き込んでいるようなものだな」
「……毒なら、もうたっぷり吸い込んでます」
自虐的な和彦の呟きを耳にして、御堂は一瞬物言いたげな顔をしたが、何事もなかったようにコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「君はゆっくりコーヒーを飲んでいてくれ。わたしはその間に、さっさと荷物をまとめるから」
はい、と返事をした和彦は、コーヒーを飲むふりをしながら、部屋を行き来する御堂の姿を目で追いかける。
御堂はたくさん話してくれたが、和彦が本当に知りたいのは、二人の男のオンナであった頃、毎日何を考えていたのかということだった。そして、オンナでいることをやめたきっかけも――。
知ってどうするのかという自身への問いかけは、今はやめておいた。
「……御堂さんは、自分の過去をどう思っていますか」
こちらに向き直った御堂は一声唸り、灰色の髪に指を差し込んだ。
「苦いような、甘いような、複雑な感じだ。――大事に愛してくれたと思うよ。二人とも、わたしより遥かに大人だったから。いろんなことを教えてもらった。打算的なことを言うなら、あらゆる面で後ろ盾にもなってもらっている。君が見たとおり、今でもセックスできるぐらいだから、否定したい過去ではない」
ニヤリと笑いかけられ、和彦のほうがうろたえてしまう。
「それに嫌いではない。オンナであった自分は。ただ……、君のほうは、わたしよりずっと大変だ。賢吾から聞いたけど、長嶺の三人以外とも――」
「ぼくは淫奔なんです。束縛も執着もしない相手と気まぐれに、気軽に寝てきて――、それが今はこの状態です。束縛されて、執着されて……。嫌いじゃない、という表現では足りません。きっとぼくは、そうされることが好きなんです」
「ふふ。いいことを聞いた。賢吾や千尋が聞いたら喜ぶだろうな」
和彦が慌てて腰を浮かせようとすると、御堂は片手を振った。
「冗談だよ。これは〈オンナ〉同士の秘密だ」
なかなか際どい冗談だなと、和彦はぎこちない笑みをこぼしたが、次の瞬間には小さくため息をつき、コーヒーカップに口をつける。
〈オンナ〉というのは、単なる言葉でしかない。どこか言葉遊びのような、そこに込められた淫靡な響きに妖しく胸を疼かせ、体を開く媚薬のようなものだ。だが、その単なる言葉が、どんどん和彦の中だけではなく、周囲の男たちにとっても重みを増し、まるで囚われているようだ。
このままでは危険だと、和彦自身、頭ではわかっている。しかしもう、その立場を捨て去った自分の姿が想像できなくなっている。日々を重ねるごとに、そういう生き物になっているのだ。
答えの見えない思索に耽っていると、聞き覚えのない着信音が響く。御堂の携帯電話が鳴っているのだ。携帯電話を操作した御堂は、一切の表情を消してメールを読む。普段、少なくとも和彦の前では柔らかな表情を見せている御堂だが、どちらの表情がより御堂という人間の本質を表しているのだろうかと、ぼんやりと和彦は考える。
もしかすると、綾瀬の下で浮かべていた悦びの表情が――と、艶めかしい場面が脳裏に蘇りそうになったが、寸前のところで御堂と目が合い、我に返った。
「本部にいる、うちの隊員からだ。君を連れ回さないでくれと、第二遊撃隊から苦情があったそうだ。何様のつもりなんだろうね。――南郷は」
和彦は微かに肩を揺らす。どうしても南郷の名には無反応ではいられない。御堂はスッと目を細め、いくらか声を潜めて言った。
「君は、南郷が見た目通りの、粗野で野蛮な男だとは思っていないだろう。長嶺会長に目をかけられ、着実に力をつけている。総和会の中でも独特の存在感を放っていて、いくつかの組とも関わりを深くしているらしい。……総和会の中で何を目指しているのか、わたしは気になるんだ」
御堂の迫力に圧されて返事もできず、ただ瞬きを繰り返す。御堂はふっと眼差しを緩めた。
「余計なことまで言いすぎた。君に毒を吹き込んでいるようなものだな」
「……毒なら、もうたっぷり吸い込んでます」
自虐的な和彦の呟きを耳にして、御堂は一瞬物言いたげな顔をしたが、何事もなかったようにコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「君はゆっくりコーヒーを飲んでいてくれ。わたしはその間に、さっさと荷物をまとめるから」
はい、と返事をした和彦は、コーヒーを飲むふりをしながら、部屋を行き来する御堂の姿を目で追いかける。
御堂はたくさん話してくれたが、和彦が本当に知りたいのは、二人の男のオンナであった頃、毎日何を考えていたのかということだった。そして、オンナでいることをやめたきっかけも――。
知ってどうするのかという自身への問いかけは、今はやめておいた。
71
あなたにおすすめの小説
水仙の鳥籠
下井理佐
BL
とある遊郭に売られた少年・翡翠と盗人の一郎の物語。
翡翠は今日も夜な夜な男達に抱かれながら、故郷の兄が迎えに来るのを格子の中で待っている。
ある日遊郭が火に見舞われる。
生を諦めた翡翠の元に一人の男が現れ……。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる