血と束縛と

北川とも

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第36話

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 三連休に入る前日、和彦の予定は非常に慌しいものとなった。
 平日であるため、当然のように日中はクリニックでの仕事をこなしたのだが、こんな日に限って、どうしても今日診てほしいと急な予約が入ったため、時間の調整に四苦八苦することになったのだ。おかげで、最後の患者を見送ったとき、診療時間を三十分ほど過ぎていた。
 そこから、連休に入る前ということで、スタッフにはいつもより念入りに清掃を行ってもらう傍ら、和彦は休み明けの業務の準備を整えておく。
 和彦の場合、他人の予定に振り回されることが多いため、万が一を考えておく必要がある。例えば休み明け、きちんと出勤できるとは限らないのだ。
 自分の手帳に必要なことを書き込みながら、意識しないまま和彦は眉をひそめる。休み明けが平穏無事であることを願うのはもちろんだが、何より重要なのは、連休中、自分が無難に過ごせるかどうかだ。
 すでにもう不安しか感じない――とは、口が裂けても言いたくないが、やはり不安だ。
 スタッフたちが帰ると、和彦は即座に戸締りなどを確認して回り、アタッシェケースを掴んでクリニックをあとにする。
 ビルを出ると、大通りとは逆方向へと向かって、ほとんど小走りで移動する。息が上がりかけたところで傍らにスッと車が停まり、和彦は素早く乗り込んだ。
 シートベルトを締めながら隣に目をやると、朝、和彦が運び込んでおいたボストンバッグだけではなく、見覚えのないガーメントバッグもある。
「……これ、ダークスーツが入っているのかな……」
 思わず呟いた和彦に応じたのは、ハンドルを握る長嶺組の組員だ。
「いえ、普通のスーツです。あちら――清道会からの要望だそうで、堅苦しい席ではないからということで。時間がなかったため、さすがにオーダーメイドというわけにはいきませんが、先生に似合いそうだとおっしゃられて、組長自ら選ばれたものです」
 そうなのか、と和彦は口中で洩らす。慌しい思いをしたのは、どうやら自分だけではないらしく、和彦を送り出す長嶺組も、いろいろと準備に追われたようだ。
 シートに身を預け、すっかり日が落ちるのが早くなった外の景色を眺めていると、ここ最近のうちに自分の身に起きたことが、遠い昔のことのように思えてくる。
 鷹津が姿を消してから、和彦自身は周囲から気遣われ、ただクリニックと自宅を往復するだけの、ある意味平穏ともいえる日々を過ごしている。その時間が、和彦の気持ちを落ち着かせてくれてはいたのだが、一方で、臆病といえるほど鋭敏だった感覚が鈍くなっていくような、焦燥感を生み出しつつあった。
 今回の御堂からの申し出は、何かしらのきっかけになる予感があった。自分を守るためにこもっていた殻から、抜け出せる勇気が持てるかもしれないと。
 途中、適当な店で夕食を済ませて、一時間以上車を走らせている間に、外はすっかり闇に包まれる。最初はつけられていた冷房はいつの間にか切られていたが、それに気づかなかったということは、気温が下がってきているのかもしれない。
 もうそろそろ秋を感じ始める頃だなと、落ち着いた佇まいを見せる町並みを眺めている和彦に、組員が声をかけてきた。
「――先生、もうすぐ到着します」
 車のライトが照らした先に、人影が立っていた。ゆったりとしたパンツにカーディガンという、いかにも寛いだ服装がまず目につき、次に、印象的な特徴がはっきりと見て取れた。息を呑むほど秀麗な顔立ちと、灰色がかった髪だ。
 車から降りた和彦は挨拶をしてから、辺りを見回す。御堂ほどの人物が、無防備に外で一人で立っているとは思えなかったのだ。御堂は声を洩らして笑った。
「一人だよ。それでなくても仕事終わりで疲れている君を、気疲れさせるわけにはいかないからね。清道会の人間は、出迎えて、挨拶したがっていたけど、面倒だろ?」
 なんとも返事がしにくいことを言われ、和彦は曖昧な笑みで返す。これまでも親しげに話しかけてくれていた御堂だが、今夜は特に口調も表情も穏やかで、だからこそ和彦は戸惑う。正直、御堂とどう接すればいいのか、まだ模索中だ。
「とにかく入って。そろそろ夜は肌寒くなってきた」
 そう言って御堂が門戸を開け、中に入るよう促す。和彦は、荷物を持った組員とともに玄関に続く露地を歩きながら、視線を上げる。
 周囲に建ち並ぶ家々の中でも、一際目を惹く立派な建物だった。古くはあるのだが、よく手入れされていて趣がある。それはどうやら、ちらりとしか見えなかったが庭も同じようだ。
 玄関で組員と別れると、さっそく部屋へと案内してもらうことにする。荷物は、和彦のバッグだけではなく、手土産などもあるのだが、当然のように御堂が運んでくれるため、恐縮しながら後ろをついていく。

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