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第36話
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自分の発言で、思い出した。この家に泊まった日の夜、安定剤でふらふらになった和彦を助けてくれた玲の顔を見て、強烈な既視感に襲われたのだ。過去に玲と出会っている可能性は皆無に近く、単なる錯覚として片付けるべきなのだろうが、何か引っかかる。
「そういえば君も、前からぼくを知っている気がすると――」
会話を断ち切るように、低い異音が響いた。何事かと、驚いた和彦が周囲を見回すと、申し訳なさそうに玲が頭を掻いた。
「すみません。……俺の腹の音です」
数秒の間を置いて、和彦は声を上げて笑っていた。おかげで、自分が何を質問しようとしたのか、すっかり忘れてしまった。
御堂に見送られて出発した車内は、昨日とまったく同じ面子が揃っている。和彦と玲、運転手兼護衛である綾瀬の部下の三人だ。おかげで、堅苦しい空気もなく、気楽に会話を交わせる程度には馴染んでいた。
玲の要望を受けて、これから一時間ほどドライブだ。
和彦は、玲がさきほどから触れているスマートフォンの画面を覗き込む。表示されているのは、『お勧め観光スポット』という文字と、さまざまな施設の画像だった。
和彦の視線に気づいた玲が、照れ隠しなのか、ぎこちない笑みを浮かべる。
「せっかくだから、〈おのぼりさん〉らしいところに行ってみたいなって」
「これ、確かに観光スポットではあるけど、デートスポットも重なってるところがあるよね」
「……本当ですか」
「いいじゃないか。立ち寄ったついでに、クラスの女の子に何か可愛い小物でも買って帰ったら、喜ばれるんじゃないか。……あれっ、高校生って、そういうことしないのかな?」
「すっごくモテる奴は、するかも。残念ながら、俺は――」
玲は芝居がかった仕種で肩を竦め、首を横に振る。その言葉が本当かどうかはともかく、外見が恵まれているというだけではなく、独特の雰囲気を持つ玲は、高校ではさぞかし目立つだろう。ただし、目立つ理由の一つとして、父親の職業も関わっているのかもしれないが。
「あっ、いかにも定番な土産も買いたいです。普段、世話になっている人たちに配りたいので。あと、部活の後輩たちには、ちょっと変わったものを」
「部活……は、時期的にもう引退してるのか。何に入ってたんだ?」
「陸上です。長距離はさっぱりな、短距離ランナーでした」
「へえ、カッコイイな。ちなみにぼくは、子どもの頃からスポーツは得意じゃなかった」
わかる、という顔で玲が頷いたので、肘で軽く小突いてから和彦は笑う。こんなに気楽で取り留めない会話を交わしたのはいつ以来だろうかと、つい心の中で数えていた。
スマートフォンから何げなく視線を上げて、ドキリとする。玲が熱を帯びた眼差しで、じっと和彦を見つめていた。
ここでやっと、昨日の出来事がまだ尾を引いているのだと察した。
玲は、父親である龍造と御堂の情交を目の当たりにして、和彦の立場がどんなものであるかも把握している。玲の中ではきっとまだ、〈オンナ〉という単語が生々しく響いているのだろう。
距離が近すぎたと猛省して、和彦はさりげなくドア側へと体を寄せる。
できれば電車で移動してみたかったという玲の呟きを聞き流し、車は走り続けた。
連休中ということもあり、テレビでもよく取り上げられるような観光スポットは、大抵どこも混んでいる。だからこその観光の醍醐味ともいえ、玲は苦にならないようだ。
タワーにのぼって眺望に目を輝かせ、歴史ある古い神社に立ち寄って感嘆の声を洩らす。ブランドショップが立ち並ぶ通りをぶらりと歩いていると、ショーウィンドーに並ぶ商品よりも、行き交う人たちのほうに興味を惹かれたようだ。
みんなオシャレだ、とまじめな口調での呟きを耳にしたとき、和彦は顔を背けて必死に笑いを噛み殺す。素直な反応の一つ一つが初々しく、正直、可愛くてたまらない。
観光を楽しみながら土産を買い込むという目的を、好奇心を満たしつつ着実にこなしていた玲だが、昼食を済ませてから、あるイベントが行われているという場所に向かって移動している最中に様子が変化する。
居心地悪そうに顔をしかめ、落ち着きなく口元に手をやる。気がついた和彦はそっと声をかけた。
「どうかした?」
玲が、困った、という顔で和彦を見た。
「……少し、人に酔ったみたいで……」
「ああ、だったら、どこか落ち着いたところで休もうか」
車に戻るのが一番かもしれないが、駐車場までけっこう歩くことになる。人ごみに酔った玲をさらに移動させるのは酷だろう。
「大丈夫です。吐きそうとか、そこまで大げさなことじゃないんで――」
「無理しなくていいよ。急ぐことはないんだから、ここらでのんびりしたって、別に誰も困らない」
「そういえば君も、前からぼくを知っている気がすると――」
会話を断ち切るように、低い異音が響いた。何事かと、驚いた和彦が周囲を見回すと、申し訳なさそうに玲が頭を掻いた。
「すみません。……俺の腹の音です」
数秒の間を置いて、和彦は声を上げて笑っていた。おかげで、自分が何を質問しようとしたのか、すっかり忘れてしまった。
御堂に見送られて出発した車内は、昨日とまったく同じ面子が揃っている。和彦と玲、運転手兼護衛である綾瀬の部下の三人だ。おかげで、堅苦しい空気もなく、気楽に会話を交わせる程度には馴染んでいた。
玲の要望を受けて、これから一時間ほどドライブだ。
和彦は、玲がさきほどから触れているスマートフォンの画面を覗き込む。表示されているのは、『お勧め観光スポット』という文字と、さまざまな施設の画像だった。
和彦の視線に気づいた玲が、照れ隠しなのか、ぎこちない笑みを浮かべる。
「せっかくだから、〈おのぼりさん〉らしいところに行ってみたいなって」
「これ、確かに観光スポットではあるけど、デートスポットも重なってるところがあるよね」
「……本当ですか」
「いいじゃないか。立ち寄ったついでに、クラスの女の子に何か可愛い小物でも買って帰ったら、喜ばれるんじゃないか。……あれっ、高校生って、そういうことしないのかな?」
「すっごくモテる奴は、するかも。残念ながら、俺は――」
玲は芝居がかった仕種で肩を竦め、首を横に振る。その言葉が本当かどうかはともかく、外見が恵まれているというだけではなく、独特の雰囲気を持つ玲は、高校ではさぞかし目立つだろう。ただし、目立つ理由の一つとして、父親の職業も関わっているのかもしれないが。
「あっ、いかにも定番な土産も買いたいです。普段、世話になっている人たちに配りたいので。あと、部活の後輩たちには、ちょっと変わったものを」
「部活……は、時期的にもう引退してるのか。何に入ってたんだ?」
「陸上です。長距離はさっぱりな、短距離ランナーでした」
「へえ、カッコイイな。ちなみにぼくは、子どもの頃からスポーツは得意じゃなかった」
わかる、という顔で玲が頷いたので、肘で軽く小突いてから和彦は笑う。こんなに気楽で取り留めない会話を交わしたのはいつ以来だろうかと、つい心の中で数えていた。
スマートフォンから何げなく視線を上げて、ドキリとする。玲が熱を帯びた眼差しで、じっと和彦を見つめていた。
ここでやっと、昨日の出来事がまだ尾を引いているのだと察した。
玲は、父親である龍造と御堂の情交を目の当たりにして、和彦の立場がどんなものであるかも把握している。玲の中ではきっとまだ、〈オンナ〉という単語が生々しく響いているのだろう。
距離が近すぎたと猛省して、和彦はさりげなくドア側へと体を寄せる。
できれば電車で移動してみたかったという玲の呟きを聞き流し、車は走り続けた。
連休中ということもあり、テレビでもよく取り上げられるような観光スポットは、大抵どこも混んでいる。だからこその観光の醍醐味ともいえ、玲は苦にならないようだ。
タワーにのぼって眺望に目を輝かせ、歴史ある古い神社に立ち寄って感嘆の声を洩らす。ブランドショップが立ち並ぶ通りをぶらりと歩いていると、ショーウィンドーに並ぶ商品よりも、行き交う人たちのほうに興味を惹かれたようだ。
みんなオシャレだ、とまじめな口調での呟きを耳にしたとき、和彦は顔を背けて必死に笑いを噛み殺す。素直な反応の一つ一つが初々しく、正直、可愛くてたまらない。
観光を楽しみながら土産を買い込むという目的を、好奇心を満たしつつ着実にこなしていた玲だが、昼食を済ませてから、あるイベントが行われているという場所に向かって移動している最中に様子が変化する。
居心地悪そうに顔をしかめ、落ち着きなく口元に手をやる。気がついた和彦はそっと声をかけた。
「どうかした?」
玲が、困った、という顔で和彦を見た。
「……少し、人に酔ったみたいで……」
「ああ、だったら、どこか落ち着いたところで休もうか」
車に戻るのが一番かもしれないが、駐車場までけっこう歩くことになる。人ごみに酔った玲をさらに移動させるのは酷だろう。
「大丈夫です。吐きそうとか、そこまで大げさなことじゃないんで――」
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