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第40話
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ここでハッと我に返り、うろたえる。一方の英俊も動揺しているのが、はっきり伝わってくる。和彦は、心の奥底から滲み出てきたどす黒い感情を、必死に押し殺した。
いまさら、俊哉から特別な関心を得られたことを、英俊に誇る気など毛頭なかった。そのつもりなのに――。
和彦は慌ててこう続ける。
「ぼくの口からは何も言えない。父さんのことだから、きっと考えがあるはずだ。だから……、ごめん」
通話を終えると、そのまま携帯電話の電源を切ってしまう。
かつてのように、英俊と話したからといって激しく感情が揺さぶられることはない。今はそれよりも、自分の中に冷たい体温を持つ生き物が棲みつき、蠢いているようで、ただ和彦は愕然としていた。
この日は、最後に予約が入っていた患者の施術を、予定よりいくぶん早く終えられたこともあり、終業時間ぴったりにクリニックを閉められた。
おかげで和彦は、久しぶりにスポーツジムに立ち寄ることができた。ここのところ、体力的に問題がなくても、精神的にいまいち気分が乗らないことや、その逆もあったりで、なかなかタイミングが合わなかったのだ。
今日はむしょうに体を動かしたかった。いや、率直な気持ちとしては、体力の限界まで体を追い込みたかった。
和彦はランニングマシーンのスピードを上げて一心に走りながら、昨夜の英俊との電話でのやり取りを何度も思い返す。そのたびに、英俊が傷つくとわかって放った言葉の威力に、一人恐れ戦いていた。ただ不思議と、罪悪感という感情は湧かないのだ。
子供の頃から英俊には肉体的に痛みを与えられてきたが、その対価のように和彦は、英俊の心の弱い部分をいつの間にか熟知するようになっていた。だからといって復讐したいなどと考えたことはなかったが、もしかすると自覚のない部分で、ずっと英俊にも痛みを与えたかったのかもしれない。
首筋を伝う汗をタオルで拭い、時間を確認する。呼吸が乱れ、足の筋肉が悲鳴を上げかけている。体力というより、筋力が落ちているなと、苦々しく反省する。忙しいのを言い訳に、ジム通いをさぼりすぎた。
明日は筋肉痛がひどいだろうなと今から覚悟しながら、マシーンを降りて呼吸を整える。足元はふらふらで、すぐに次のマシーンに向かうのは無理そうだ。うつむいた拍子に汗が滴り落ち、髪を掻き上げる。
スッと、目の前にミネラルウォーターのペットボトルが差し出された。
「――考え事をしているとペースを上げすぎるのは、相変わらずですね、先生」
はあっ、と大きくため息をついて、和彦はペットボトルを受け取って顔を上げる。いつから様子を見守っていたのか、傍らに立つ中嶋もそれなりに体を動かしたあとのように見えた。
「今日はあえて、無茶をしていたんだ」
「憂さ晴らしですか……。あっ、もしかして、うちが関係ありますか?」
促されるまま休憩用のイスに腰掛けた和彦は、ひとまず水分を補給する。ほっと一息をついたところでやっと思考が切り替わり、英俊のことを一旦頭の片隅に追いやった。
「うち、って……、ああ、第二遊撃隊のことか」
今気づいた、というふりをしたが、少々芝居がかっていたかもしれない。心なしか中嶋の口元が緩んだように見える。
実のところ今日は、ジムに行くと事前に中嶋に連絡しており、このときすでに和彦は、第二遊撃隊や総和会の様子を探るつもりだったのだ。中嶋も心得たもので、さっそく話に乗ってくれた。
「南郷さんが、長嶺組長から大変な叱責を受けた――という噂が、総本部で流れているそうですよ」
「本当のところはどうなんだ」
「どうでしょうね。当人は平然としていつもと変わりませんから。ごく近しい人間には何か洩らしているかもしれませんが、俺はほら、長嶺組にも出入りしていますから、微妙に遠ざけられているんです。南郷さんたちが、長嶺組や長嶺組長の批判を言ってましたなんて、俺の口から外部に伝わると困るでしょう? 実際は言ってないにしても、火のないところに……、なんて事態を避けるために」
まるでスパイ扱いではないかと思ったが、語っている中嶋本人は気に病んでいるふうもなく、むしろ自分の立ち位置を楽しんでいるようだ。
「先生のほうは、長嶺組長から何か聞かされました?」
「ぼくも詳しいことまでは……。ただ、クリニック周辺に、組の許可なく接近するなということになったらしい。いざとなれば、君は例外にしてもらうつもりだけど、いろいろと釈然としない」
「もっと厳しい処分にしろという意味で、釈然としないということだったら怖いな」
いまさら、俊哉から特別な関心を得られたことを、英俊に誇る気など毛頭なかった。そのつもりなのに――。
和彦は慌ててこう続ける。
「ぼくの口からは何も言えない。父さんのことだから、きっと考えがあるはずだ。だから……、ごめん」
通話を終えると、そのまま携帯電話の電源を切ってしまう。
かつてのように、英俊と話したからといって激しく感情が揺さぶられることはない。今はそれよりも、自分の中に冷たい体温を持つ生き物が棲みつき、蠢いているようで、ただ和彦は愕然としていた。
この日は、最後に予約が入っていた患者の施術を、予定よりいくぶん早く終えられたこともあり、終業時間ぴったりにクリニックを閉められた。
おかげで和彦は、久しぶりにスポーツジムに立ち寄ることができた。ここのところ、体力的に問題がなくても、精神的にいまいち気分が乗らないことや、その逆もあったりで、なかなかタイミングが合わなかったのだ。
今日はむしょうに体を動かしたかった。いや、率直な気持ちとしては、体力の限界まで体を追い込みたかった。
和彦はランニングマシーンのスピードを上げて一心に走りながら、昨夜の英俊との電話でのやり取りを何度も思い返す。そのたびに、英俊が傷つくとわかって放った言葉の威力に、一人恐れ戦いていた。ただ不思議と、罪悪感という感情は湧かないのだ。
子供の頃から英俊には肉体的に痛みを与えられてきたが、その対価のように和彦は、英俊の心の弱い部分をいつの間にか熟知するようになっていた。だからといって復讐したいなどと考えたことはなかったが、もしかすると自覚のない部分で、ずっと英俊にも痛みを与えたかったのかもしれない。
首筋を伝う汗をタオルで拭い、時間を確認する。呼吸が乱れ、足の筋肉が悲鳴を上げかけている。体力というより、筋力が落ちているなと、苦々しく反省する。忙しいのを言い訳に、ジム通いをさぼりすぎた。
明日は筋肉痛がひどいだろうなと今から覚悟しながら、マシーンを降りて呼吸を整える。足元はふらふらで、すぐに次のマシーンに向かうのは無理そうだ。うつむいた拍子に汗が滴り落ち、髪を掻き上げる。
スッと、目の前にミネラルウォーターのペットボトルが差し出された。
「――考え事をしているとペースを上げすぎるのは、相変わらずですね、先生」
はあっ、と大きくため息をついて、和彦はペットボトルを受け取って顔を上げる。いつから様子を見守っていたのか、傍らに立つ中嶋もそれなりに体を動かしたあとのように見えた。
「今日はあえて、無茶をしていたんだ」
「憂さ晴らしですか……。あっ、もしかして、うちが関係ありますか?」
促されるまま休憩用のイスに腰掛けた和彦は、ひとまず水分を補給する。ほっと一息をついたところでやっと思考が切り替わり、英俊のことを一旦頭の片隅に追いやった。
「うち、って……、ああ、第二遊撃隊のことか」
今気づいた、というふりをしたが、少々芝居がかっていたかもしれない。心なしか中嶋の口元が緩んだように見える。
実のところ今日は、ジムに行くと事前に中嶋に連絡しており、このときすでに和彦は、第二遊撃隊や総和会の様子を探るつもりだったのだ。中嶋も心得たもので、さっそく話に乗ってくれた。
「南郷さんが、長嶺組長から大変な叱責を受けた――という噂が、総本部で流れているそうですよ」
「本当のところはどうなんだ」
「どうでしょうね。当人は平然としていつもと変わりませんから。ごく近しい人間には何か洩らしているかもしれませんが、俺はほら、長嶺組にも出入りしていますから、微妙に遠ざけられているんです。南郷さんたちが、長嶺組や長嶺組長の批判を言ってましたなんて、俺の口から外部に伝わると困るでしょう? 実際は言ってないにしても、火のないところに……、なんて事態を避けるために」
まるでスパイ扱いではないかと思ったが、語っている中嶋本人は気に病んでいるふうもなく、むしろ自分の立ち位置を楽しんでいるようだ。
「先生のほうは、長嶺組長から何か聞かされました?」
「ぼくも詳しいことまでは……。ただ、クリニック周辺に、組の許可なく接近するなということになったらしい。いざとなれば、君は例外にしてもらうつもりだけど、いろいろと釈然としない」
「もっと厳しい処分にしろという意味で、釈然としないということだったら怖いな」
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