1,019 / 1,289
第40話
(31)
しおりを挟む
「なんだよ、それ……。俺が心配するのも、気を使うのも、当然だろ? もしかして、迷惑って――」
「違うっ。……これは、佐伯家の問題だから、巻き込みたくないんだ。お前たち父子と、長嶺組を」
「俺たちなんて、長嶺家の問題に和彦を巻き込みまくっているけど。気になるなら、お互い様って考えたらいいじゃん。それに、今回はオヤジには言ったんだろ。……オヤジだけは巻き込んでも大丈夫って判断したんなら、悔しい。いつも俺だけガキ扱いされて、問題が起きたら報告は後回しにされることも」
この場合、なんと声をかけるのが正しいのか。逡巡した挙げ句に和彦は、すまない、と小さく謝罪する。
今にも泣き出しそうな顔をして千尋が抱きついてこようとしたが、寸前で動きを止め、急に犬のように鼻を鳴らした。
「……千尋?」
「なんか、変な匂いしない? 焦げ臭いような――」
ハッとした和彦は、千尋を置き去りにしてキッチンに駆け込む。案の定、鍋の中で牛乳が煮え立ってひどいことになっていた。呻き声を洩らして火を止める。
がっくりと肩を落としていると、まだ鼻を鳴らしながら千尋もキッチンに入ってきて、和彦の背後から鍋を覗き込む。
「これ、何しようとしてたの?」
「……眠れないから、ホットミルクを作ってたんだ」
「レンジで温めたら……」
「膜ができるから嫌だ」
「だったら鍋で作るにしても、弱火でゆっくり掻き混ぜ続けないと、結局同じでしょう。いや、焦がした分、もっと悪いのか」
そこまで言って千尋が、ニヤニヤしながら和彦を見た。
「飲みたいなら、俺が作ってあげようか?」
寸前までの緊迫した空気が一変した瞬間だった。和彦が目を丸くしたまま何も言えないでいると、千尋はさっさとダウンジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って鍋を洗い始める。和彦はおずおずと声をかけた。
「お前、作れるのか?」
「俺がどこでバイトしてたと思ってるんだよ。ホットミルクなんて簡単、簡単。カフェのキッチンだったら、もう少し凝ったものが作れるんだけどね」
だったら頼むと言い置いて、ダウンジャケットを抱えた和彦はキッチンを出る。ダイニングでイスに腰掛けると、キッチンに立つ千尋の後ろ姿を眺めるしかなかった。
「――お前、こんな時間にやってきて、会うのはやめろとぼくを説得するつもりだったのか?」
沈黙が居心地悪くて、つい和彦は話しかける。背を向けたまま千尋が応じた。
「考えてなかった。……オヤジが、お前も聞く権利はあるからって教えてくれたんだ」
「別に、お前を邪魔者扱いしたわけじゃないからな。考えたうえで、あえて言わなかった。ただ励ましてほしいとか、支えてほしいと思うなら、みんなに言って回ってた」
「三田村にも?」
千尋に見えるはずもないのに、曖昧に笑いかける。
「そうだな」
「気にかける男が多くて大変だ」
千尋の口調から、皮肉ではなく本気でそう思っているのは伝わってくる。肯定するわけにもいかず、和彦は曖昧な言葉を洩らしていた。
ただ牛乳を温めているだけとはいえ、なかなか様になる後ろ姿を見せている千尋に、和彦は口元を緩める。荒々しい空気を振り撒きながら訪ねてきたが、どうやら落ち着いたようだ。
自分のために何かを作ってくれる人間の後ろ姿を眺めるのは、気恥かしさに胸の奥がくすぐったくなるが、つまりそれは、嬉しいということだ。
「蜂蜜はどれぐらい入れる?」
「ほんのり甘め」
「……つまり、けっこう甘めということか……」
さほど待つことなく和彦の前に、ホットミルクが注がれたカップが置かれる。ちらりと見上げた先で、千尋が得意げな顔をしている。
「どうぞ、飲んでください」
和彦はぼそぼそと礼を言うと、カップの中に息を吹きかけ、ホットミルクを一口飲む。舌の先が痺れるほど熱いが、ちょうどいい甘さに思わず笑みをこぼす。つられたように千尋も破顔し、イスに腰掛けた。
「勢い込んでやってきたけど、鍋を焦がして肩を落としている和彦を見たら、なんか力が抜けた」
「悪かったな。牛乳を温めることすらできなくて」
「それでいいよ。俺でも、役に立てるんなら」
聞きようによって卑屈とも取れる千尋の言葉に、和彦は眉をひそめる。すると千尋がやけに大人びた微笑を浮かべた。
「違うっ。……これは、佐伯家の問題だから、巻き込みたくないんだ。お前たち父子と、長嶺組を」
「俺たちなんて、長嶺家の問題に和彦を巻き込みまくっているけど。気になるなら、お互い様って考えたらいいじゃん。それに、今回はオヤジには言ったんだろ。……オヤジだけは巻き込んでも大丈夫って判断したんなら、悔しい。いつも俺だけガキ扱いされて、問題が起きたら報告は後回しにされることも」
この場合、なんと声をかけるのが正しいのか。逡巡した挙げ句に和彦は、すまない、と小さく謝罪する。
今にも泣き出しそうな顔をして千尋が抱きついてこようとしたが、寸前で動きを止め、急に犬のように鼻を鳴らした。
「……千尋?」
「なんか、変な匂いしない? 焦げ臭いような――」
ハッとした和彦は、千尋を置き去りにしてキッチンに駆け込む。案の定、鍋の中で牛乳が煮え立ってひどいことになっていた。呻き声を洩らして火を止める。
がっくりと肩を落としていると、まだ鼻を鳴らしながら千尋もキッチンに入ってきて、和彦の背後から鍋を覗き込む。
「これ、何しようとしてたの?」
「……眠れないから、ホットミルクを作ってたんだ」
「レンジで温めたら……」
「膜ができるから嫌だ」
「だったら鍋で作るにしても、弱火でゆっくり掻き混ぜ続けないと、結局同じでしょう。いや、焦がした分、もっと悪いのか」
そこまで言って千尋が、ニヤニヤしながら和彦を見た。
「飲みたいなら、俺が作ってあげようか?」
寸前までの緊迫した空気が一変した瞬間だった。和彦が目を丸くしたまま何も言えないでいると、千尋はさっさとダウンジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って鍋を洗い始める。和彦はおずおずと声をかけた。
「お前、作れるのか?」
「俺がどこでバイトしてたと思ってるんだよ。ホットミルクなんて簡単、簡単。カフェのキッチンだったら、もう少し凝ったものが作れるんだけどね」
だったら頼むと言い置いて、ダウンジャケットを抱えた和彦はキッチンを出る。ダイニングでイスに腰掛けると、キッチンに立つ千尋の後ろ姿を眺めるしかなかった。
「――お前、こんな時間にやってきて、会うのはやめろとぼくを説得するつもりだったのか?」
沈黙が居心地悪くて、つい和彦は話しかける。背を向けたまま千尋が応じた。
「考えてなかった。……オヤジが、お前も聞く権利はあるからって教えてくれたんだ」
「別に、お前を邪魔者扱いしたわけじゃないからな。考えたうえで、あえて言わなかった。ただ励ましてほしいとか、支えてほしいと思うなら、みんなに言って回ってた」
「三田村にも?」
千尋に見えるはずもないのに、曖昧に笑いかける。
「そうだな」
「気にかける男が多くて大変だ」
千尋の口調から、皮肉ではなく本気でそう思っているのは伝わってくる。肯定するわけにもいかず、和彦は曖昧な言葉を洩らしていた。
ただ牛乳を温めているだけとはいえ、なかなか様になる後ろ姿を見せている千尋に、和彦は口元を緩める。荒々しい空気を振り撒きながら訪ねてきたが、どうやら落ち着いたようだ。
自分のために何かを作ってくれる人間の後ろ姿を眺めるのは、気恥かしさに胸の奥がくすぐったくなるが、つまりそれは、嬉しいということだ。
「蜂蜜はどれぐらい入れる?」
「ほんのり甘め」
「……つまり、けっこう甘めということか……」
さほど待つことなく和彦の前に、ホットミルクが注がれたカップが置かれる。ちらりと見上げた先で、千尋が得意げな顔をしている。
「どうぞ、飲んでください」
和彦はぼそぼそと礼を言うと、カップの中に息を吹きかけ、ホットミルクを一口飲む。舌の先が痺れるほど熱いが、ちょうどいい甘さに思わず笑みをこぼす。つられたように千尋も破顔し、イスに腰掛けた。
「勢い込んでやってきたけど、鍋を焦がして肩を落としている和彦を見たら、なんか力が抜けた」
「悪かったな。牛乳を温めることすらできなくて」
「それでいいよ。俺でも、役に立てるんなら」
聞きようによって卑屈とも取れる千尋の言葉に、和彦は眉をひそめる。すると千尋がやけに大人びた微笑を浮かべた。
76
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる