血と束縛と

北川とも

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第41話

(27)

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 千尋とともに賢吾の部屋に向かうと、ちょうど賢吾は電話をかけている最中だった。二人の姿を見るなり、少し待てというように賢吾が軽く片手を上げる。
 千尋はいそいそと自分の分の座布団を用意して、和彦には座椅子を勧める。自分はかまわないと首を横に振ったが、肩を掴まれ、半ば強引に座卓につかされた。
 並んで座った和彦と千尋を見て、電話を切った賢吾が微苦笑を浮かべる。話を聞くのなら、この席順はおかしくないかと思った和彦だが、賢吾も同様らしい。だが、些細なことだと言わんばかりに、いきなり本題を切り出した。
「メシの前に、胸が悪くなる話は済ませておこうと思ってな。――年末年始の間、お前を佐伯家に戻すよう、佐伯俊哉が要求してきたというのは、本当か?」
 隣で、千尋がわずかに身じろぐ。しかし声は発しなかった。
 和彦は視線を伏せたまま頷き、俊哉の言葉を伝える。ただし、説明してかまわないと言われたところまで。
 無条件に俊哉の言葉に従ってしまう自分に口惜しさを覚えつつ、一方で、俊哉の目的がわからない以上、長嶺の男たちの疑心をさらに煽るのは危険だと、理性的な部分で判断もしている。
「オヤジは、お前に判断を任せると言っていた。もっともらしい渋面を浮かべていたが、腹の中はわかったもんじゃない。すでにもう、お前の父親との間で話がついているのかもしれないしな。お前はけっこうな値段がつきそうだ」
 芝居がかった辛辣な言葉を放ったあと、そんな自分にうんざりしたように賢吾は荒く息を吐き出す。
「下世話な話をするなら、長嶺組は佐伯和彦に対してけっこうな金を投資している。じっくりと先を見越しての投資だ。総和会が無理を通そうとしても、長嶺組としては承服しかねると突っぱねる理由にはなる」
 長嶺組として、俊哉からの要求を断ることができると仄めかされ、和彦の胸に広がったのは安堵の感情だった。ただしその感情は、繊細な砂糖菓子のようにあっという間に溶けてしまう。
 賢吾や千尋を、こちらの事情で危険に晒すわけにはいかないのだ。
「……父さんは今回の要求で、総和会や長嶺組と揉めるつもりはないと思う。放蕩者の次男が行方不明のままで通すわけにはいかないから、年末年始の間だけ実家に滞在して、周囲の人間に対して言い訳が立つようにしたいんだ。それで済む話だ」
「その口ぶりだと、戻る決心はついているということか」
 その指摘に和彦はハッとして、ああ、と吐息を洩らす。
「子供の頃からだ。父さんの言うことには、なんでも従うのが当たり前になってるんだ」
「だったら、逆らってみるか?」
 賢吾に問われて、口ごもる。長嶺の男二人から向けられる視線が痛かった。
「……行くよ。不義理をしていたのは確かだから、せめて、父さんや兄さんの顔を立てるぐらいはしておきたい」
「俺は反対だ」
 ここまで黙って話を聞いていた千尋がようやく口を開く。激情を堪えているのか、まるで呻き声のような一言だった。
「俺はずっと見てきたんだ。和彦が自分の家族に会うたびに、ものすごく不安定になって、落ち込んで、人を寄せつけなくなるところを。それが、何日も一緒にいて平気なのかよっ……。年末年始の間だけって言うけど、信用できねーよ。もしかして和彦を閉じ込めて、俺たちのところに帰さないつもりかもしれないし」
「ぼくはここに戻ってくる。――……戻ってきたいと思っている」
 これは偽らざる本心だった。ただひたすらに静かな賢吾の目と、不安に揺れる千尋の目を交互に見つめ、和彦はもう一度、戻ってくる、と告げる。
 昨夜から混乱し続けていた思考が、こうして声に出すことでまとまっていく。俊哉によって逃げ道を塞がれてしまうのなら、数少ない選択肢の中からとにかく選択するしかないのだ。
「お前の意思はともかく、佐伯家がそれを許すか?」
「いざとなれば、ぼくの出生について、佐伯家を脅す」
 ずいっと座卓に身を乗り出してきた賢吾が、鋭い笑みを浮かべる。
「お前が自分の生まれについて告白してくれたとき、こうも言ってたな。自分の父親が、組や俺たち父子に何かしようとするなら、取引の材料にしてくれと。お前が示してくれた誠意だから、当然、オヤジには話していない。知っているのは、俺と千尋だけだ」
「それは、信用している」
「俺は躊躇しないぞ。お前を逃がさないためなら。こう見えて、汚い仕事は得意なんだぜ」
 本気とも冗談とも取れる言葉に、ふっと唇を緩めてから、和彦は首を横に振る。
「――違う。ぼくが、ぼくの実家を脅すんだ。……自分の生活を守るために」


 昼間眠ったせいか、夜になって布団に入っても目が冴えたままだった。和彦は客間の天井を見上げ、何度も自問を繰り返していた。
 今の自分は冷静なのだろうか。自分の選択は間違っていないのだろうかと。
 一か月後に自分が置かれているであろう状況を想像すると、心臓を締め上げられるような不安が押し寄せてくるが、数瞬後にはふっと気が緩む。それはここが、怖い男たちに守られた場所だからだろう。
 これではいけない――。
 和彦はようやく覚悟を決めると、起き上がる。羽織に袖を通してから客間を出ると、足音を抑えて廊下を歩く。もっとも夜更けとはいえ、誰かしら起きているのがこの本宅だ。ちらりと見えたダイニングには電気がついており、人影が動いている。
 詰め所の前を素知らぬ顔をして通り過ぎると、組員たちも心得たもので、和彦に気づかないふりをして声すらかけてこない。夜、和彦が賢吾の部屋を訪ねる意味を、よく理解しているのだ。
 すでに電気が消えている賢吾の部屋の前で軽く呼吸を整えてから、静かに障子を開ける。さらに奥の寝室へと入ると、暗い中、ゾクリとするほど官能的なバリトンが響いた。
「夜這いに来てくれたのか」
 数秒の間を置いて枕元のライトが灯り、室内をぼんやりと照らす。賢吾がのそりと起き上がり、布団の上に座った。手招きされ、和彦も布団の傍らに座る。
「眠れないのか?」
 賢吾の柔らかな声音に胸が詰まった。同時に、確信もしていた。
 賢吾は、和彦があることを切り出すのを待っていたのだ。試されていたとは思わない。自分は信頼されているのだと思うことにする。
「――……夕方、千尋の前では言えなかったことがあるんだ」
「なんだ、夜這いじゃねーのか」
 和彦は小さく笑みをこぼしたが、すぐに表情を引き締める。
 そして、俊哉の手引きによって、里見と会ったことを話し始めた。

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