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第41話
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「――……ぼくはもう、里見さんと会いたくないんだ。あなたは、昔のあなたじゃない。ぼくを特別扱いして、優しく守ってくれた、あの頃の里見さんじゃ……」
和彦の物言いから察するものがあったのか、里見がため息交じりに呟いた。
「君に関することだけは、おれは昔から変わってないよ。君だけが特別で、大事だ」
「だから、ぼくと似ている兄さんと、寝ている?」
「君は嫌がる言い方かもしれないが、割り切った関係だ。……お互い、利用し合っている。おれは、物分かりのいい大人を続けるために、君の面影にすがりつきたかった。英俊くんは、リスクの少ない相手と息抜きをしたかったというのもあるだろうが、多分、君に対する優越感を得たかったんだろう」
「優越感……?」
「自惚れを承知で言うなら、弟の大事なものを奪った、と英俊くんは思っているはずだ」
足元がふらついた和彦は、壁にもたれかかる。里見はさりげなく腕を差し出してきたが、すがりつくようなことはしなかった。
思い返すのは、実家で暮らしていた頃、たびたび訪れていた里見に対する英俊の態度だ。いつも一定の距離を取り、特に関心を示すわけでもなく、素っ気ないとすら言える態度だった。あの頃すでに、英俊の中では特別な感情――里見と体を重ねてもいいと思えるものが芽生えていたのかもしれない。それとも、衝動的な感情の結果なのか。
あれこれと思案するには、和彦はあまりに英俊という人間を知らない。一緒に暮らしながら和彦と英俊は、互いを理解しようとする以前に、知ろうとはしなかった。
「……ぼくには、わからない。里見さんの気持ちも、兄さんの気持ちも……」
「だったらおれは、君の気持ちがわからない。救いの手が差し伸べられているのに、どうして危険な環境から逃げ出そうとしないのか。君は頭がいい。いくら大事に扱われたところで、それは君を利用するためだと冷静に判断できているはずだ。こんなクリニック惜しさに、今の生活が手放せないなんて思ってもいないだろう」
里見の言葉に、ここで積み上げてきた生活や苦労を否定されたようで、不快さがじわりと胸に広がる。この感覚がさらに強くなった先にあるのは、おそらく敵意だ。
里見にそんな感情を抱きたくなくて、和彦はなんとか表情を取り繕う。
「もうここを閉めるから、とにかく外に出よう。……食事はできない。迎えの車を待たせてあるんだ」
「それらしい車は停まってなかったけど。おれが警察を引き連れてくるとでも思って、警戒されたかな」
里見は、自分が堅気であるという強みをよく理解している。もちろん、こちら側の弱みも。
「……今日は、タクシーで帰る。遅くなると、心配させるから……」
「食事が無理なら、せめてお茶でも飲もう。もう少し君と話したい。英俊くんとのことも説明したい」
「説明されたところで、困る。ぼくには関係ないし」
「本当にそう思っている?」
その言い方は卑怯だと、激した和彦は里見に食ってかかろうとしたが、言葉が出てこない。里見の発言によって、いいように感情を掻き乱され、そんな自分に何より腹が立つ。
里見の胸に抱き込まれそうになったが、寸前のところで拒み、軽く揉み合っていた。その拍子にアタッシェケースが足元に落ちる。
「里見さんっ」
和彦が鋭い声を発しても、里見の腕の力は緩むどころか、ますます強くなる。本能的な怯えから、身が竦みそうだった。
里見を拒んだ瞬間、過去の思い出すらも壊れてなくなってしまいそうで、それが和彦に本気の抵抗をためらわせる。しかし、昔のように抱き締められたくないという気持ちもある。
この腕は、もう自分のものではないのだ。
「里見さん、離してっ――」
前触れもなく、待合室に黒い影が飛び込んできた。
何事かと思ったときには、絡み付いていた里見の腕が引き剥がされ、黒い影が壁となって目の前に立ちはだかる。
地味な色のスーツに包まれた広い背は、見覚えがあるどころではなく、和彦にとって馴染み深いものだった。
「三田村……」
どうしてここにいるのかと、まず和彦は困惑する。しかし疑問を口にする間もなく、三田村と里見は対峙する格好となっていた。
「――君は?」
短い問いかけが里見から発せられたものだと、すぐには和彦はわからなかった。それほど冷淡な声だったからだ。応じたのは、ハスキーな声だった。
「誰でもいい。……先生を迎えに来た」
「ということは、長嶺組の組員かな」
「そうだと言ったら」
三田村の口調は落ち着いてはいるが、突き刺すような殺気に満ちている。里見は怯むどころか、口元に皮肉げな笑みを浮かべた。
和彦の物言いから察するものがあったのか、里見がため息交じりに呟いた。
「君に関することだけは、おれは昔から変わってないよ。君だけが特別で、大事だ」
「だから、ぼくと似ている兄さんと、寝ている?」
「君は嫌がる言い方かもしれないが、割り切った関係だ。……お互い、利用し合っている。おれは、物分かりのいい大人を続けるために、君の面影にすがりつきたかった。英俊くんは、リスクの少ない相手と息抜きをしたかったというのもあるだろうが、多分、君に対する優越感を得たかったんだろう」
「優越感……?」
「自惚れを承知で言うなら、弟の大事なものを奪った、と英俊くんは思っているはずだ」
足元がふらついた和彦は、壁にもたれかかる。里見はさりげなく腕を差し出してきたが、すがりつくようなことはしなかった。
思い返すのは、実家で暮らしていた頃、たびたび訪れていた里見に対する英俊の態度だ。いつも一定の距離を取り、特に関心を示すわけでもなく、素っ気ないとすら言える態度だった。あの頃すでに、英俊の中では特別な感情――里見と体を重ねてもいいと思えるものが芽生えていたのかもしれない。それとも、衝動的な感情の結果なのか。
あれこれと思案するには、和彦はあまりに英俊という人間を知らない。一緒に暮らしながら和彦と英俊は、互いを理解しようとする以前に、知ろうとはしなかった。
「……ぼくには、わからない。里見さんの気持ちも、兄さんの気持ちも……」
「だったらおれは、君の気持ちがわからない。救いの手が差し伸べられているのに、どうして危険な環境から逃げ出そうとしないのか。君は頭がいい。いくら大事に扱われたところで、それは君を利用するためだと冷静に判断できているはずだ。こんなクリニック惜しさに、今の生活が手放せないなんて思ってもいないだろう」
里見の言葉に、ここで積み上げてきた生活や苦労を否定されたようで、不快さがじわりと胸に広がる。この感覚がさらに強くなった先にあるのは、おそらく敵意だ。
里見にそんな感情を抱きたくなくて、和彦はなんとか表情を取り繕う。
「もうここを閉めるから、とにかく外に出よう。……食事はできない。迎えの車を待たせてあるんだ」
「それらしい車は停まってなかったけど。おれが警察を引き連れてくるとでも思って、警戒されたかな」
里見は、自分が堅気であるという強みをよく理解している。もちろん、こちら側の弱みも。
「……今日は、タクシーで帰る。遅くなると、心配させるから……」
「食事が無理なら、せめてお茶でも飲もう。もう少し君と話したい。英俊くんとのことも説明したい」
「説明されたところで、困る。ぼくには関係ないし」
「本当にそう思っている?」
その言い方は卑怯だと、激した和彦は里見に食ってかかろうとしたが、言葉が出てこない。里見の発言によって、いいように感情を掻き乱され、そんな自分に何より腹が立つ。
里見の胸に抱き込まれそうになったが、寸前のところで拒み、軽く揉み合っていた。その拍子にアタッシェケースが足元に落ちる。
「里見さんっ」
和彦が鋭い声を発しても、里見の腕の力は緩むどころか、ますます強くなる。本能的な怯えから、身が竦みそうだった。
里見を拒んだ瞬間、過去の思い出すらも壊れてなくなってしまいそうで、それが和彦に本気の抵抗をためらわせる。しかし、昔のように抱き締められたくないという気持ちもある。
この腕は、もう自分のものではないのだ。
「里見さん、離してっ――」
前触れもなく、待合室に黒い影が飛び込んできた。
何事かと思ったときには、絡み付いていた里見の腕が引き剥がされ、黒い影が壁となって目の前に立ちはだかる。
地味な色のスーツに包まれた広い背は、見覚えがあるどころではなく、和彦にとって馴染み深いものだった。
「三田村……」
どうしてここにいるのかと、まず和彦は困惑する。しかし疑問を口にする間もなく、三田村と里見は対峙する格好となっていた。
「――君は?」
短い問いかけが里見から発せられたものだと、すぐには和彦はわからなかった。それほど冷淡な声だったからだ。応じたのは、ハスキーな声だった。
「誰でもいい。……先生を迎えに来た」
「ということは、長嶺組の組員かな」
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