血と束縛と

北川とも

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第42話

(5)

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 暖房が入った部屋はムッとするほど暑く、空気が乾燥しきっていた。ここで違和感を感じて振り返ると、あとからついてきていると思った組員たちが、開けたままのドアの向こうから、こちらを覗き込んでいる。
 早く入ってこいと手招きをしようとした瞬間、部屋の中からくぐもった苦しげな息遣いが聞こえてきた。いや、咳だ。
 視線を向けた先にベッドがあり、布団が盛り上がっている。和彦はこの時点でためらいというものをかなぐり捨て、ベッドに近づくと、そっと布団を捲った。
 不揃いに伸びた髪を頬に張り付かせて、横向きで男が寝ていた。顔がよく見えないなと、和彦は髪を掻き上げてやろうとする。すると、かろうじて見えていた男の目がうっすらと開く。唸るような声が上がった。
「しつこいぞ、てめーらっ……。僕のことは放っておけと、言っただろ。勝手に部屋に入ってきやがって、警察、呼ぶぞ」
 組員たちが迂闊に部屋に踏み込めなかったのは、今の台詞のせいなのだろうかと思いながら、和彦はかまわず男の髪を掻き上げる。ずいぶん痩せており、頬がこけているように見えた。さらに目の下にはひどい隈があり、唇は今にもひび割れそうなほど乾いていた。
 顔は紅潮しており、睨みつけてくるように見上げてくる目は潤んでいる。息遣いも荒いことから、熱があるなと見当をつけると、床に置いたバッグの中から体温計を取り出し、有無を言わせず男の耳に当てる。
「やめ、ろ……」
 男が緩く頭を振ったときには測り終え、表示された数字を見た和彦は眉をひそめる。熱が四十度近くあった。
「ぼくは医者だ。頼まれてここに来た。――いつから熱が出ているんだ」
「……知らない。いいから、早く出て行け」
 男が手を振り払った勢いで、体温計が床に落ちる。和彦はため息をつきながら体温計を拾い上げた。
「だったら、病院に行こう」
「外に、出たくない。出るぐらいなら、このまま死ぬ。舌噛んで、死ぬ……」
 男の戯言を聞いてから、ベッドの端に腰掛け、室内を見回す。八畳ほどの室内は、キッチンとは対照的に生活感で溢れ返っていた。溢れすぎて、窒息してしまいそうだ。テーブルの上には菓子やインスタント食品の空の容器がそのままで、ペットボトルは飲みかけのものが何本もある。脱ぎ散らかした服は部屋のあちこちで山となっている。本棚には専門書らしきものが無造作に突っ込まれ、扉が開いたままのクロゼットの中には、ハンガーだけがぶら下がっている。
 スーツが一着もないことに気づいた和彦は、改めて男を見る。いつの間にかモソモソと布団の中に潜り込もうとしていたので、すかさずまた布団を捲り上げた。
 物言いから推測はできたが、男は若かった。せいぜい二十代半ばぐらいで、青年と表現すべきだろう。神経質そうな細面で、一重の小さな目を落ち着きなく瞬かせている。華奢なあごのラインはなんとなく小動物を連想させるが、だからといって可愛いなどとは微塵も思わない。
「病院に行きたくないなら、胸の音を聴かせてくれ」
「嫌だ……。僕に触るな。ゲロをぶちまけるぞ」
 力ない口調でそう言ったあと、青年が激しく咳き込む。和彦は聴診器を装着すると、パジャマの胸元を開けようとしたが、弱々しく罵倒され、さらに身を捩って抵抗される。普段診ている、いかにもふてぶてしい面構えをした男たち相手とは勝手が違い、どうしたものかと戸惑ったが、心を鬼にした。
「――ぐだぐだ言ってると、直腸から体温測り直すぞ」
 低い声で囁きかけた途端、青年の動きが止まる。
「医者が、患者を脅していいのか……」
「おや、大変だ。熱で、耳に異常が出ているみたいだな。誰が誰を脅してるって?」
 青年が何か言いかけて、結局やめる。和彦は早速、聴診器を胸元に押し当てて肺からの異音の有無を確かめる。ころりと細い体を転がして、背にも聴診器を当てたあと、和彦はあごに手を当て唸る。
「もう一度聞くが、いつから熱が出たんだ?」
「……一週間ぐらい前から、風邪気味だった。熱っぽくなってきても、大したことないと思って放っておいたら、昨日から頭がぼうっとしてきて、咳もひどくなって……」
 念入りに問診を行ってから、口を開けさせて喉の腫れを見て、念のためもう一度問いかけた。
「本当に病院に行かないのか? レントゲンを撮らないと――」
「絶対嫌だ。外には出ない」
 ここまで拒絶されると、無理やり引きずって行くわけにもいかない。それこそ、拉致している最中と思われて、警察を呼ばれる。

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