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第43話
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「長嶺の男は、土曜日でも忙しいな。悪かったな。今日は連れ回して」
「ううん。ついて回ったのは、俺だし。それに楽しかった」
帰宅したのなら、千尋もこれから入浴か夕食をとるのだろうかと思ったが、まだ仕事は終わりではないようだ。賢吾の部屋がある方向を指さして、肩を竦めた。
「ボスに、報告がある」
この呼び方は新鮮だ。和彦がくすっと笑い声を洩らすと、千尋が何かに驚いたように、顔を近づけてきた。
「千尋?」
「なんか、昼間別れたときと、和彦の雰囲気が違う。いや、顔つき、かな。キリッとしてるというか、ちょっとキツイ感じというか……」
何かあったのかと、眼差しで問われる。和彦は視線を泳がせながら、つい自分の顔に触れる。〈雄〉になった影響だと、すぐにわかった。千尋に勘づかれるということは、賢吾に至っては確信すら持っているだろう。
「まあ、ちょっと……。何か嫌なことがあったとかじゃないから、気にしないでくれ」
納得したのか、そうでないのか、ふうんと声を洩らした千尋は深く追及してはこなかった。あとで晩メシを一緒に食べようと言い置いて行こうとしたので、咄嗟に和彦は呼び止める。
自分でもどうしてそうしたのかわからなかったが、首を傾けて待つ千尋に、この際だからと切り出してみた。
「お前、昨日は総和会の本部に顔を出したんだよな?」
「うん。年末に総本部である締会の打ち合わせ。今年は俺も顔を出せと言われてるから、ちょっと勉強をしてたんだ。実は今日も」
それがどうかしたのかと返される。和彦は口ごもりかけたが、誤魔化したところで、千尋が余計に勘繰るだけだ。
「――……最近、総和会の様子はどうだ」
「どうって、ずいぶん抽象的な質問だね。何か気になることあるの?」
「えっと……、ちょこちょこと小耳に挟んだことがあるから、どうかなって」
千尋は頭を掻いて考える素振りを見せたが、すぐに大きなため息をつくと、さりげなく窓の側へと寄る。和彦も倣い、庭園灯がぼんやりと灯る中庭に、二人揃って目を向けた。
「少し、ピリピリしてるかな。オヤジも、総和会の中も。じいちゃんは何も言わないけど、オヤジが何かやったか、言ったかしたんだろうなとは思う。総本部の中でやたら、オヤジの機嫌はどうだって声かけられるしさ」
「そうか……」
「でも、オヤジと総和会の間は、いつだって緊張感みたいなものがあるから、大げさに騒ぐほどのことでもないんだよね。見慣れた人間からしたら。もしかすると、上手く誤魔化されてるだけかもしれないけど。俺が」
ガラスに反射した千尋の笑みは自嘲気味に見えたが、凝視するのははばかられた。若い千尋のプライドを、それとなく慮る。
「和彦が気にしてるのは、そういうこと?」
「う、ん。まあ……」
「おっ、まだ何か気になることあるんだ」
やっぱりいいと、その場を立ち去りたかったが、いつの間にか千尋の手が肩にかかっている。さらに、強い光を放つ目で見据えられると、見えない力に押さえ込まれたように体が動かない。眼差しで人を従わせようとするところは、他の長嶺の男たちと同じだ。
「……あの人には、会ったか?」
あの人、と小声で反芻した千尋は、言いにくそうな和彦の様子から、該当する人物に素早く見当をつけたらしい。キリッとまなじりを吊り上げ、両目が炎を孕んだ。
「それって、南郷のことだよね」
和彦が一晩、南郷と過ごしたあと、千尋は事態を把握していながら、そのことを一切匂わせてこなかった。少なくとも和彦の前では。だからこそ和彦は、千尋の中にある南郷の存在感について測りかねていたのだが、今、鮮烈な変化を目の当りにして、息を呑む。
千尋は千尋なりに、一人静かに怒りを溜め込んでいたのだ。
「オヤジの奴、俺が南郷を見た途端飛びかかるとでも思ったのか、どこに行くときよりも、本部に行く俺の護衛を厳重にするんだよ。襲われることを想定してじゃなく、人間の壁を作って、俺を閉じ込めるってわけ。……本部で暴れるほど、ガキじゃねーっての」
そんなことになっていたのかと、和彦は密かに動揺する。
「うちの組に混乱をもたらしたってことで、南郷は謹慎扱いになってるみたいだけど、仕事じゃなくても、じいちゃんの側にいることが多い男だから。俺が本部に行くときは、じいちゃんが気を回して遠ざけてるようだけどさ。さすがのオヤジも、じいちゃんの私生活で、南郷を側に置くなとは口出しできない。そういうことだよ」
「お前、まさか……、総和会の人間の前で、今みたいにあの人を呼び捨てになんて――……」
「和彦が気になるの、そこっ?」
千尋の目に宿っていた険がふっと和らぎ、不貞腐れたように唇をへの字に曲げる。しかし和彦がじっと見つめ続けると、ぼそぼそと教えてくれた。
「ううん。ついて回ったのは、俺だし。それに楽しかった」
帰宅したのなら、千尋もこれから入浴か夕食をとるのだろうかと思ったが、まだ仕事は終わりではないようだ。賢吾の部屋がある方向を指さして、肩を竦めた。
「ボスに、報告がある」
この呼び方は新鮮だ。和彦がくすっと笑い声を洩らすと、千尋が何かに驚いたように、顔を近づけてきた。
「千尋?」
「なんか、昼間別れたときと、和彦の雰囲気が違う。いや、顔つき、かな。キリッとしてるというか、ちょっとキツイ感じというか……」
何かあったのかと、眼差しで問われる。和彦は視線を泳がせながら、つい自分の顔に触れる。〈雄〉になった影響だと、すぐにわかった。千尋に勘づかれるということは、賢吾に至っては確信すら持っているだろう。
「まあ、ちょっと……。何か嫌なことがあったとかじゃないから、気にしないでくれ」
納得したのか、そうでないのか、ふうんと声を洩らした千尋は深く追及してはこなかった。あとで晩メシを一緒に食べようと言い置いて行こうとしたので、咄嗟に和彦は呼び止める。
自分でもどうしてそうしたのかわからなかったが、首を傾けて待つ千尋に、この際だからと切り出してみた。
「お前、昨日は総和会の本部に顔を出したんだよな?」
「うん。年末に総本部である締会の打ち合わせ。今年は俺も顔を出せと言われてるから、ちょっと勉強をしてたんだ。実は今日も」
それがどうかしたのかと返される。和彦は口ごもりかけたが、誤魔化したところで、千尋が余計に勘繰るだけだ。
「――……最近、総和会の様子はどうだ」
「どうって、ずいぶん抽象的な質問だね。何か気になることあるの?」
「えっと……、ちょこちょこと小耳に挟んだことがあるから、どうかなって」
千尋は頭を掻いて考える素振りを見せたが、すぐに大きなため息をつくと、さりげなく窓の側へと寄る。和彦も倣い、庭園灯がぼんやりと灯る中庭に、二人揃って目を向けた。
「少し、ピリピリしてるかな。オヤジも、総和会の中も。じいちゃんは何も言わないけど、オヤジが何かやったか、言ったかしたんだろうなとは思う。総本部の中でやたら、オヤジの機嫌はどうだって声かけられるしさ」
「そうか……」
「でも、オヤジと総和会の間は、いつだって緊張感みたいなものがあるから、大げさに騒ぐほどのことでもないんだよね。見慣れた人間からしたら。もしかすると、上手く誤魔化されてるだけかもしれないけど。俺が」
ガラスに反射した千尋の笑みは自嘲気味に見えたが、凝視するのははばかられた。若い千尋のプライドを、それとなく慮る。
「和彦が気にしてるのは、そういうこと?」
「う、ん。まあ……」
「おっ、まだ何か気になることあるんだ」
やっぱりいいと、その場を立ち去りたかったが、いつの間にか千尋の手が肩にかかっている。さらに、強い光を放つ目で見据えられると、見えない力に押さえ込まれたように体が動かない。眼差しで人を従わせようとするところは、他の長嶺の男たちと同じだ。
「……あの人には、会ったか?」
あの人、と小声で反芻した千尋は、言いにくそうな和彦の様子から、該当する人物に素早く見当をつけたらしい。キリッとまなじりを吊り上げ、両目が炎を孕んだ。
「それって、南郷のことだよね」
和彦が一晩、南郷と過ごしたあと、千尋は事態を把握していながら、そのことを一切匂わせてこなかった。少なくとも和彦の前では。だからこそ和彦は、千尋の中にある南郷の存在感について測りかねていたのだが、今、鮮烈な変化を目の当りにして、息を呑む。
千尋は千尋なりに、一人静かに怒りを溜め込んでいたのだ。
「オヤジの奴、俺が南郷を見た途端飛びかかるとでも思ったのか、どこに行くときよりも、本部に行く俺の護衛を厳重にするんだよ。襲われることを想定してじゃなく、人間の壁を作って、俺を閉じ込めるってわけ。……本部で暴れるほど、ガキじゃねーっての」
そんなことになっていたのかと、和彦は密かに動揺する。
「うちの組に混乱をもたらしたってことで、南郷は謹慎扱いになってるみたいだけど、仕事じゃなくても、じいちゃんの側にいることが多い男だから。俺が本部に行くときは、じいちゃんが気を回して遠ざけてるようだけどさ。さすがのオヤジも、じいちゃんの私生活で、南郷を側に置くなとは口出しできない。そういうことだよ」
「お前、まさか……、総和会の人間の前で、今みたいにあの人を呼び捨てになんて――……」
「和彦が気になるの、そこっ?」
千尋の目に宿っていた険がふっと和らぎ、不貞腐れたように唇をへの字に曲げる。しかし和彦がじっと見つめ続けると、ぼそぼそと教えてくれた。
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