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第43話
(14)
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和彦は、自分が長嶺の男二人の間を取り成せるなどと、大それたことは考えていない。しかし、守光の腹の内は知っておきたいし、自分にできることがあるなら、可能な限りのことはしておきたかった。
そう、考えたのだが――。
「健気なことだな、先生」
和彦の葛藤を見透かしたように、皮肉っぽく南郷が洩らす。首の後ろを掴んでいた手は、今は和彦の頬を撫でてくる。
再び唇を塞がれそうになったが、和彦は必死に顔を背けた。南郷はくっくと声を洩らして笑ったあと、前を開いたマウンテンパーカーの内側に和彦を抱き込んだ。煙草とコロンが混じり合った匂いと、南郷自身の体臭を嗅ぎ、ゾッとして体を離そうとするが、頑として南郷の腕は外れない。
「〈今〉は、もう何もしないから、そう体を硬くしないでくれ。さすがの俺でも傷つく」
言葉とは裏腹に、どこか楽しげな南郷から、和彦は不穏なものを感じ取る。
危険だとしても、やはり夜のうちに別荘を抜け出すべきなのだろうが、こちらが諦めるまで、南郷は体を離す気はないようだ。上目遣いにちらりと見た途端に、食い入るように自分を見つめている視線とぶつかる。やむなく和彦は、南郷との抱擁をおずおずと受け入れた。
今は、そうするしかなかった。
喉の痛みで目を覚ました和彦は、喉元に手をやって、自分が寝汗をかいていることに気づく。夢見が悪かったというのもあるが、何より暖房が効きすぎているのだ。
暖房をつけて眠った記憶はないので、和彦が寝入ってから、誰かが部屋に入ってつけたのだろう。眠りが浅いと思っていただけに、気配を感じさせなかった侵入者にゾッとする。
ベッドに入った時間は遅かったが、寝起きはいつもより早いぐらいで、もう一度寝直そうかとちらりと考えなくもなかったが、人が起こしに来る状況が嫌で、諦めた。
クローゼットにあったチノパンツとタートルネックのセーターを着て部屋を出ると、微かに人の気配が伝わってくる。
おそるおそる一階に下りると、朝食の準備が始まっているらしく、ダシのいい香りが漂っている。現金なもので、ここで自分が空腹なのを自覚した。神経をすり減らしても、食欲とは別物なのだなと、和彦は密かに苦笑いを浮かべる。そこに、たまたま通りかかった男に声をかけられた。
「あっ……」
吾川だった。昨夜は見かけなかったが、南郷と同じく、別館に控えていたのかもしれない。
総和会本部がそのまま移動してきたような顔ぶれに、和彦としては何か行事があるのだろうかと、訝しまずにはいられない。それとも、守光が滞在している場合、これが普通なのだろうか。
階段の途中で立ち止まった和彦に、吾川が丁寧に頭を下げる。慌てて吾川の側まで行くと、挨拶を交わした。
「……吾川さんもいらしてたのですね」
「若い者に会長のお世話を任せるのも心配ですから。――というのは建前で、わたしもこの別荘で、自然に囲まれて少しのんびりしたかったのです。年末が近づいてくると、何かと慌ただしくなって、思うように休めませんから」
何も知らなければ、そうですかと信じてしまいそうな説明だが、もちろん和彦は違う。数日前、意味ありげな電話をかけてきて和彦の心を掻き乱したのは、目の前にいる吾川だ。守光に必要とされて、この男はここにいる。
目覚めてすぐだというのに、心がもうざわついている。唇を引き結ぶ和彦に向けて、吾川は続けた。
「もうすぐ朝食の準備ができますが、どうされますか? まだ部屋でゆっくりされていてもかまいませんよ」
「いただき、ます。……お腹が空いたので」
吾川はいくらか安堵したような表情を浮かべる。和彦は、先に顔を洗ってくると言い置いて、急いで洗面所に向かう。このとき、さりげなくエントランスホールや玄関先の様子もうかがったが、南郷の姿は見えなかった。
だからといって安心はできないと、強く自分に言い聞かせる。不意打ちのように現れて、どうせまた嫌がらせのようにこちらが驚く様を楽しむのだ。
ただ、ダイニングにも南郷が現れなかったことに、和彦は心底ほっとした。あの男に見られながらでは、食事が喉を通らない。
吾川の給仕を受けながらの朝食を終え、特に何も言われなかったため、困惑しながらダイニングをあとにする。これから自分は何をすればいいのか、何かしら指示を受けると思っていただけに、当てが外れた。
身の置き場がないとは、まさに今のこの状況だなと、戸惑いつつ部屋に戻ろうとしたところで、ちょうど玄関に入ってきた南郷と出くわした。悔しいことに、また驚く姿を晒してしまう。
一方の南郷は、何事もなかったように話しかけてきた。
「メシは食ったか、先生」
「……はい」
そう、考えたのだが――。
「健気なことだな、先生」
和彦の葛藤を見透かしたように、皮肉っぽく南郷が洩らす。首の後ろを掴んでいた手は、今は和彦の頬を撫でてくる。
再び唇を塞がれそうになったが、和彦は必死に顔を背けた。南郷はくっくと声を洩らして笑ったあと、前を開いたマウンテンパーカーの内側に和彦を抱き込んだ。煙草とコロンが混じり合った匂いと、南郷自身の体臭を嗅ぎ、ゾッとして体を離そうとするが、頑として南郷の腕は外れない。
「〈今〉は、もう何もしないから、そう体を硬くしないでくれ。さすがの俺でも傷つく」
言葉とは裏腹に、どこか楽しげな南郷から、和彦は不穏なものを感じ取る。
危険だとしても、やはり夜のうちに別荘を抜け出すべきなのだろうが、こちらが諦めるまで、南郷は体を離す気はないようだ。上目遣いにちらりと見た途端に、食い入るように自分を見つめている視線とぶつかる。やむなく和彦は、南郷との抱擁をおずおずと受け入れた。
今は、そうするしかなかった。
喉の痛みで目を覚ました和彦は、喉元に手をやって、自分が寝汗をかいていることに気づく。夢見が悪かったというのもあるが、何より暖房が効きすぎているのだ。
暖房をつけて眠った記憶はないので、和彦が寝入ってから、誰かが部屋に入ってつけたのだろう。眠りが浅いと思っていただけに、気配を感じさせなかった侵入者にゾッとする。
ベッドに入った時間は遅かったが、寝起きはいつもより早いぐらいで、もう一度寝直そうかとちらりと考えなくもなかったが、人が起こしに来る状況が嫌で、諦めた。
クローゼットにあったチノパンツとタートルネックのセーターを着て部屋を出ると、微かに人の気配が伝わってくる。
おそるおそる一階に下りると、朝食の準備が始まっているらしく、ダシのいい香りが漂っている。現金なもので、ここで自分が空腹なのを自覚した。神経をすり減らしても、食欲とは別物なのだなと、和彦は密かに苦笑いを浮かべる。そこに、たまたま通りかかった男に声をかけられた。
「あっ……」
吾川だった。昨夜は見かけなかったが、南郷と同じく、別館に控えていたのかもしれない。
総和会本部がそのまま移動してきたような顔ぶれに、和彦としては何か行事があるのだろうかと、訝しまずにはいられない。それとも、守光が滞在している場合、これが普通なのだろうか。
階段の途中で立ち止まった和彦に、吾川が丁寧に頭を下げる。慌てて吾川の側まで行くと、挨拶を交わした。
「……吾川さんもいらしてたのですね」
「若い者に会長のお世話を任せるのも心配ですから。――というのは建前で、わたしもこの別荘で、自然に囲まれて少しのんびりしたかったのです。年末が近づいてくると、何かと慌ただしくなって、思うように休めませんから」
何も知らなければ、そうですかと信じてしまいそうな説明だが、もちろん和彦は違う。数日前、意味ありげな電話をかけてきて和彦の心を掻き乱したのは、目の前にいる吾川だ。守光に必要とされて、この男はここにいる。
目覚めてすぐだというのに、心がもうざわついている。唇を引き結ぶ和彦に向けて、吾川は続けた。
「もうすぐ朝食の準備ができますが、どうされますか? まだ部屋でゆっくりされていてもかまいませんよ」
「いただき、ます。……お腹が空いたので」
吾川はいくらか安堵したような表情を浮かべる。和彦は、先に顔を洗ってくると言い置いて、急いで洗面所に向かう。このとき、さりげなくエントランスホールや玄関先の様子もうかがったが、南郷の姿は見えなかった。
だからといって安心はできないと、強く自分に言い聞かせる。不意打ちのように現れて、どうせまた嫌がらせのようにこちらが驚く様を楽しむのだ。
ただ、ダイニングにも南郷が現れなかったことに、和彦は心底ほっとした。あの男に見られながらでは、食事が喉を通らない。
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身の置き場がないとは、まさに今のこの状況だなと、戸惑いつつ部屋に戻ろうとしたところで、ちょうど玄関に入ってきた南郷と出くわした。悔しいことに、また驚く姿を晒してしまう。
一方の南郷は、何事もなかったように話しかけてきた。
「メシは食ったか、先生」
「……はい」
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