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第46話
(4)
しおりを挟む一部が炭のように焦げてしまったホットサンドを食べ終えた和彦は、食器を洗ったあと、冷蔵庫や食料品が入った収納ボックスの整理をしてから、一仕事終えたとばかりにソファで横になった。
一方の鷹津はテーブルにつき、書店のカバーのかかった専門書らしきものを読んでいた。つけたままのラジオから流れていたのはピアノの音が心地いいクラシックで、おかげであっという間にウトウトする。鷹津に何か話しかけられて、適当な返事をしていた気がする。
ふと目が覚めたのは、窓がガタガタと揺れる音のせいだった。風が出てきたなとぼんやり考えながらソファの上で身じろぎ、壁にかかった時計を見上げる。午後三時を少し過ぎており、二時間ほど眠ったことになる。使った毛布を畳みながら室内を見回すが、鷹津の姿はない。
立ち上がった和彦は何げなく窓のほうを見て、驚く。外が白く染まっていた。窓に歩み寄り、声を洩らす。
「うわ……」
圧倒されるような勢いで雪が降っていた。いつから降っていたのか知らないが、ブナの木の枝にすでに積もっており、山を白く染めつつある。その光景から目が離せなくなっていた。しかし数分もしないうちに現実に引き戻される。
いきなり玄関のドアが開き、ヌッと鷹津が入ってきた。米袋のようなものを玄関横のスペースに置くと、またすぐに出ていく。
一体なんだろうかと、和彦は玄関横で屈み込み、袋に印刷された文字を読む。すると鷹津が戻ってきて、今度は段ボール箱とレジ袋を抱えていた。段ボール箱のほうを差し出され、反射的に立ち上がって受け取る。和彦が昼寝をしている間、鷹津は外で作業していたらしく、着込んだダウンコートの両肩に雪が積もっていた。
「その荷物は、お前宛てに送られてきたものだ。預かっていると安川商店から連絡が入って、受け取りに行ってきた。ついでに買い足しておきたいものもあったしな。明日でもよかったが、吹雪いてくるとなると、雪で道がどうなるかわからん」
安川商店とは、翔太の実家のことだ。二人宛ての荷物は安川商店に送ってもらい、連絡があると鷹津が受け取りに行く。ここまでやってくる配達業者が大変だというのもあるが、何より、このログハウスの住所を明らかにしたくないというのがあるのだろう。
「買い足しておきたいものって?」
「乾電池に軍手。お前が欲しいと言っていたカップスープも何箱か買ってきた。その他いろいろ。揃えたつもりでも、いざとなると心もとない」
「……で、戻ってきてから、凍結防止剤も撒いたのか」
大きな袋に入った凍結防止剤だが、もう半分ほどなくなっている。
「声をかけてくれたら、ぼくも一緒にやったのに」
「気持ちよさそうに昼寝しているお前を叩き起こして、恨まれたら嫌だからな」
玄関で肩の雪を払い落としながらの鷹津の言葉に、体調を気遣ってのことなのだろうなと思ったが、指摘するのも野暮だ。和彦は、はいはいと頷いておく。
ソファに腰掛けると、さっそく段ボール箱に貼られた送り状を確認する。送り主はやはり、総子だった。
「――孫の生活が心配でたまらないんだろう」
「なかなか気苦労の多い人だよ。……ぼくの母のことがあって、その母の元婚約者の家と諍いになって。収めるために父さんが、長嶺組の手を借りた。そして今は、孫のぼくがいろんなしがらみに縛られて、元悪徳刑事の手を借りて身を隠している」
「だからこそ、肝が据わっているんだろうな。俺みたいな怪しい素性の奴とも、平然と会話ができるぐらいだ」
俊哉を介して、鷹津と総子は連絡を取り合えるようになったといい、現在のログハウスを拠点とした生活に、長嶺の男たちは一切関与していない――させていない。そう、鷹津から説明を受けている。
和彦が姿を消したことで状況に変化が起きないはずがない。あるいは、変化をあえて起こすために、鷹津と俊哉、総子が何か画策しているのではないか。
不穏な想像で己の気力を奮い立たせてみようとするが、その三人から悪意も害意も向けられたことはないため、切迫感はどこまでも乏しい。和彦は別に、この場所に軟禁されているわけでも、完全に情報を遮断されているわけでもないからだ。
丁寧に送り状を剥がしてから、段ボール箱を開封する。中を見て、声を上げていた。
「セーターが入ってる。それに、毛糸の靴下っ。これは……のど飴かな。あっ、ジャムも入ってる」
他にお茶のティーバッグや茶菓子、佃煮なども入っており、和彦の生活を気遣っているのがよく伝わってくる。段ボールの下には厳重に梱包された包みが入っているのを見つけて、ちらりと鷹津を見上げると、ひらひらと手を振られた。
「それは寝室で確認してこい。俺に見られたくないものなんだろ」
「そういうわけじゃないけど……。これを見ている最中の、ぼくの顔を見られたくない、というのが正確なところだな。きっとひどい顔になるから」
一週間ほど前、最初の荷物が総子から届いたとき、同封された手紙に予告めいたことは書かれていたのだ。誰にも邪魔されず、時間もたっぷりある環境にいる今こそ、できる手続きを進めてしまいたいと。
わたしたちには残された時間が少ない、と和泉家に年末年始に滞在したとき、ぽつりと総子が洩らしていた。その言葉の重みを、和彦はじわじわと実感している。
「……子供の頃のことを思い出してから、自分は〈欠けていた〉人間だったんだと思った。実の母のこと、母方の祖父母のこと。ぼくは自分を守るために、思い出を犠牲にしてたんだ。だからこそ、全部知ってしまうと、何かで補おうと焦ってしまう」
「和泉家の人間と思い出作りがしたいのか?」
鷹津の声には、どことなく突き放したような冷たさがあった。皮肉屋な男らしく、感傷的になっている自分を嘲っているのだろうかと、鷹津の表情をうかがった和彦は目を丸くする。鷹津は、怖いほど真剣な顔をしていた。
自身の出生について、鷹津には簡単な説明しかしていない。もしかすると俊哉か総子から詳細に聞かされているのかもしれないが、和彦から切り出すことを待っているように感じる。混乱した気持ちを言葉にして吐き出してしまうこともあり、きっと要領を得ないであろう話でも、鷹津はすべて理解しているかのように自然に会話を続けるのだ。
「――……何も知らないまま、ずっと疎遠にしてたんだ。その間に作れたたくさんの思い出が、きっとあったはずで、だから胸が痛くなる。申し訳なくて……」
和彦がソファの上で膝を抱えると、側にやってきた鷹津の手が頭に乗せられる。
「電話で話しただけだが、お前のばあさんは、過去よりも将来を見据えてもらいたがっていたぞ。これから先が長い人生なんだからと。お優しい言い方をするなら、終わったことは取り返しがつかない。だからお前がウジウジ思い悩む必要はないということだ」
鷹津が励ましてくれているのだと、気づくのに少しだけ時間を必要とした。和彦は小さく笑みを浮かべる。
「……口が悪い」
「うるせーな」
「ばあちゃまは――」
子供の頃の記憶にある呼び方が無意識に口を突いて出てしまい、和彦は誤魔化すように咳をする。矯正している最中なのだが、油断するとこういうことになるのかと、顔から火が出そうだ。鷹津は顔を背けて、肩を震わせている。いっそのこと、派手に笑ってもらったほうが気が楽だ。
気を取り直して改めて言い直す。
「おばあ様から、どこまで聞いた?」
「お前から聞いたことと、だいたい同じようなことを。……お前に武器を与えたいとか、物騒なこと言ってたぞ」
和彦はため息をついて、抱えた包みに視線を下ろした。
鷹津は、ダウンコートのポケットから携帯電話を取り出すと、床の隅で充電器と繋ぐ。そしてまた玄関に向かおうとしたので、慌てて呼び止めた。
「明日のために、小屋から除雪道具を出して、玄関先に置いておくだけだ」
「そんなに積もりそうなのか?」
「念のためだ。――携帯、使ってもいいぞ」
そう言い置いて鷹津が玄関を出て行き、和彦はソファに座り直してから、充電中の携帯電話に視線を向ける。
ログハウスで過ごし始めて十日になるが、その間、鷹津から誰とも連絡を取るなと言われているわけではない。ただここの住所を知らせるなと釘を刺されているだけなのだ。携帯電話も、鷹津が外に持ち出しているとき以外は管理は緩く、いつでも使えるようになっている。
それなのに和彦は、長嶺の男たちとまだ連絡を取っていない。
彼らが棲む〈あの世界〉と離れてしまうと、ほんの少し前まで自分がそこで生活していたという事実に実感が伴わなくなる。まるで、長い夢でも見ていたように。
今の自分は危ういと、和彦はよく自覚している。だから連絡は取れない。それだけだ。
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