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第47話
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しおりを挟む伊勢崎父子のことを聞かされてからずっと、不自然な鼓動の乱れ治まらなかった。父子、と言いながら、やはり強く思ってしまうのは、玲のことだ。
大学受験が上手くいったのなら、もうとっくに新たな生活の準備は整えているだろう。一緒に行動したのはほんの数日のことだったが、彼はいろいろなことを話してくれた。大学生活を送るにあたり、父親から離れて一人暮らしをしたいのだと語っていたが、果たして希望は叶ったのだろうか。
龍造が、〈こちら〉で商売を始めようとしていることは、御堂や賢吾がちらりと話していたので知っている。龍造本人が出向いてくるなら、玲が安穏とした大学生活を送れる光景は残念ながら思い浮かばないが、他人である和彦が心配するのはおこがましいだろう。
夜も更け、本宅は詰め所を除いてひっそりと静まり返っている。入浴を終えた和彦はいつもなら客間で一人寛いでいる時間だが、今夜はなんとなく落ち着かなくて、こうして中庭に下りていた。
庭園灯のぼんやりとした明かりが、白く小さな花をつけた庭木を照らしている。賢吾も千尋も中庭の植物になど興味がなさそうなのに、気がつけば種類が入れ替わっていたりして、こまめに手入れが行われている。なんの花なのか、組員に聞いてみようかと思っていると、ふいに背後でぞろりと何かが蠢く気配がした。
総毛立ったのは一瞬で、すぐに肩から力を抜く。
「――身が燃えるか」
揶揄するように話しかけられ、和彦は短く息を吐き出した。
「意地の悪い中年男は嫌われると千尋が言ってたぞ」
「どのあたりが意地悪なんだ」
「……そういうところ」
隣に賢吾が立ち、和彦の肩に羽織をかけてくる。雨が近いのか、今夜は風が生ぬるくて暖かいぐらいなのだが、厚意はありがたく受け取っておく。
「秋慈はまだ何か隠しているぞ。伊勢崎組……というより、伊勢崎龍造に関して」
「気づいてて、聞かなかったのか?」
「聞いたが、まだ探っている最中だと、すげなくあしらわれた。大事な一人息子を骨抜きにした相手が気になって、とんでもない行動に出るなんて、どこぞの誰かとよく似てるじゃないかと、当て擦られもした」
ふふ、と和彦は笑う。御堂にあしらわれて、大蛇の化身のような男がすごすごと引き下がった姿を想像したのだ。
「笑い事じゃねーぞ。――お前の周りには、厄介な男ばかり寄ってくる。たまには人畜無害な奴を引っ掛けてもいいんだぞ」
「人をなんだと思ってる。意識してそんなことできるわけないだろ。だいたい、あんたたち父子と知り合う前までは、それなりに平穏に生きてたんだからな」
どうだかなと言いたげに、賢吾が軽く鼻を鳴らす。和彦が肘で軽く小突くと、肩に腕が回された。肩先を撫でられ、たったそれだけのことで体温がじわりと上がる。意識を他に向けようとして、耳元に唇が寄せられた。
「――和彦」
名を呼ばれただけで腰が砕けそうになる。咄嗟に賢吾の胸元を掴むと、そのまま抱き寄せられた。
浴衣に包まれた賢吾の体は熱い。その熱に刺激されて身の内がざわつく。間近から目を覗き込まれ、逸らせなくなっていた。唇が重なってきて、喉の奥から声が洩れる。
「お前が傷つけられるような事態になっていたら、俺は伊勢崎龍造を許さなかった。……護衛についてた奴から聞いたが、一人で突っ走ったそうだな。もし相手が待ちかまえていて、拉致されたらどうするつもりだったんだ。肝が冷えたぞ、俺は」
「さすがに組員が助けてくれるだろ。それに、少しぐらいならぼくも抵抗して――」
心底呆れたように賢吾がため息をつき、唇に軽く噛みつかれた。
「暴力に慣れた奴相手に、自分でなんとかしようとするな。かえって怪我をする」
「……何度でも言うが、一応、護身術程度のことは教わったんだが」
「〈あいつ〉の名前を今この瞬間に出さなかったのは、賢明だな。今日はもう、伊勢崎父子の名前だけで腹いっぱいだ」
賢吾は鷹津を強く意識していると、次の発言でさらに思い知る。
「俺は、お前を大事に大事にしてるんだぜ? サソリの毒が抜けないうちにお前を抱こうとして、拒まれるのを恐れるぐらいには、臆病にもなってる。今日だって、何もするつもりはなかった」
唇を啄みながら賢吾に囁かれ、和彦はただ聞き入る。
「だが、あれはいけねーな。あれで、俺は我慢できなくなった」
「な、に……? なんのことを、言って……」
「伊勢崎の息子の名前を出した途端、お前が艶めいた顔をした。――俺を目の前にして、他の男のことを考えて発情しただろ」
「してないっ」
「千尋も気づいたぞ。お前に関してはおそろしく鼻が利くからな、あいつも」
ぞっとするほど優しい手つきで賢吾に頬を触れられ、そこから首へとてのひらが移動する。縊り殺されるのではないかと和彦は本能的に怯えたが、同時に、身震いしたくなるような興奮が湧き起こる。
「お前は、俺のオンナだ」
「……ああ」
「去年の末に、総和会本部でお前が俺に言ったことは覚えてるか?」
喉仏に指がかかり、微かに喘いで和彦は頷く。
「今も気持ちは変わってないな?」
たった一つの返事しか求めていない問いかけだった。和彦は、賢吾の目を見つめ返す。両目に宿るのは狂おしいほどの執着と情欲だ。これほどの男に、こんな目をさせる自分の存在に、自惚れそうなる。
「――……あんたから先に、言ってほしい」
「大したオンナだ、お前は。俺も手玉に取るか」
賢吾の声音に一気に凄みが増したが、怒っているわけではない。ひどく高ぶっているのだ。
「愛してる、和彦」
唇を触れ合わせながら賢吾に囁かれる。和彦は悦びに身を震わせた。
「もっと言ってくれ……」
「愛してる。お前だけだ、和彦。愛してる――」
囁かれるほどに大蛇の甘い毒に浸されていき、恍惚とする。そっと賢吾の唇を吸い返し、溢れ出る気持ちを言葉にする。
「ぼくも……、愛してる。あんたになら、殺されてもいいと思うぐらい」
「そんな勿体ないこと、するわけねーだろ」
苦笑した賢吾に向けて、もう一度『愛してる』と告げてから身をすり寄せる。きつく抱き締められてから、すぐに体を離される。
腕を掴まれて和彦は中庭から連れ出される。脱ぎ捨てたサンダルを揃える間すら与えられず、大股で歩く賢吾に引きずられる。
連れ込まれたのは賢吾の部屋だった。床が延べられている寝室に入ると、突き飛ばされる。布団の上で仰向けとなった和彦は、覆い被さってくる賢吾をただ見上げる。いや、待ちかねていた。
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