血と束縛と 番外編・拍手お礼短編

北川とも

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番外編 拍手お礼20

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 奥行きのある石畳の小道は静かな佇まいを見せ、両脇に設けられた竹垣のせいもあってか、まるで古都に足を踏み入れたようだ。ここがビジネス街の一角だとわかってはいても、奇妙な感覚に惑ってしまう。
 日ごろ通りを行き来していても、小道の先に一体何があるのか知らない人間は多いだろう。老舗の料亭が店を構えているのだが、表には看板すら出ていないのだ。一見して素っ気なく、客を選別している雰囲気がありありと漂っている。だが、一歩店に足を踏み入れると、驚くほど温かみのある接客と、極上の料理で迎えてくれる。
 例えば、似合わない安物のスーツを着て、顔色を失うほど緊張している若造相手であろうが、大物の客として扱ってくれる。
 懐かしい、と小道を歩きながら三田村は心の中で呟く。もう十年以上前になるが、その若造だった頃に一度だけ、この店で食事をしたことがあった。
 こういう店に、自分の力で出入りできるようになれ。三田村の目を見据えてそう言ったのは、当時の長嶺組組長だった。
 そして今日、店に三田村を招いたのは、同じ人物だ。ただし、肩書きは変わっている。
 玄関前には、総和会に属すると思しきスーツ姿の男たちが立っていた。小道を歩いてくる三田村の様子をつぶさに観察していたのだろう。何も言わず頭を下げられ、三田村も会釈で返して店に入った。
 座敷へと案内されて障子を開けると先客がいた。三田村を食事に招いた本人である、長嶺守光だ。
 その姿を認めた途端、三田村の全身にビリッと緊張感が駆け抜ける。理屈ではないのだ。守光という人間に相対したとき三田村は、尊敬や畏敬という念を飛び越えて、まず服従を示す。
 障子が閉められると同時に、素早く畳の上で正座をすると、深く頭を下げる。
「お久しぶりです、長嶺会長」
「――そう、かしこまるな、三田村。せっかくの美味い料理が喉を通らなくなるぞ」
 穏やかな言葉をかけられたものの、体にはズシリと重圧がかかる。このまま畳の上に押し潰されるのではないかとすら思ったとき、障子の向こうから声がかかる。守光に促されるまま座卓につくと、三田村の前におしぼりと茶が出された。
「すぐに料理を運ばせよう。わしも腹が減った。酒はどうする?」
「……いただきます」
 三田村は、伏せていた視線をやっと上げる。正面に座っている守光は、ノーネクタイで寛いだ様子だった。総和会会長として忙しい日々を過ごしている人だが、平日の昼間からこういう姿を見せるのも珍しい。
 それとも、あえて時間を取ったのだろうか――。
 こう考えた瞬間、冷たい剣に身を刺し貫かれたような感覚を味わう。
 膳を調え、店の者が座敷を出ていくと、三田村と守光の二人きりとなる。座敷の外に護衛の人間すら置かないという状況は、普段ならありえない。何かあれば三田村が盾になるとはいえ、それは言い換えれば、守光の三田村に対する信頼の表れともいえる。
「思い出すな。お前と前に、こうしてこの店で食事をしたときのことを。あのときのわしは長嶺組組長で、お前は盃を受けたばかりの若者だった。十年以上も経つと、さすがにお互い、立場が変わる」
「長嶺会長にお目をかけていただいたおかげで、わたしは現組長のお側に仕えることが叶ったのだと思っております」
「腹の内を読ません賢吾には、お前が合うと思ったんだ。寡黙で、献身的な、な。組の他に大事なものを持っていないところも気に入っていた。組のために命を使えるのは、結局はそういう者だけだからな」
 ここで守光が猪口を手にし、三田村は酒を注ぐ。
 守光の飲み方は昔と変わっていない。おそらく酒量も変わっていないだろう。端然と座した姿を崩すことなく淡々と飲み、酔ったところを人に見せることがない。
 勧められるまま三田村も猪口に口をつける。上等の酒なのだろうが、意識のすべてを守光の所作を追うことに注いでいるため、味はさっぱりわからない。
「――だから驚いたんだ。お前が、組の他に大事なものを見つけて、手に入れるために命を賭けたことにな」
 ちらりとこちらを見た守光の眼差しは、冷徹そのものだった。端整なだけではなく、いかにも穏やかそうな外見の持ち主である守光だが、内面は誰にも計り知れない。見たままの人柄であったなら、そもそも総和会どころか、長嶺組を背負うことすらしなかったはずだ。
 オヤジは化け物だと、いつだったか賢吾が、笑いながら言っていたことがある。父親の姿を誰よりも知っている息子がそう言ったということは、冗談でもなんでもなく、事実なのだろう。
 膝の上に置いた拳が、微かに震える。三田村は、てのひらに爪を立て、体の奥から湧き起こる感情――恐れを堪えていた。
 今日、こうして守光に呼ばれたことの意味は、よく理解しているつもりだ。
「今、わたしの命があるのは、長嶺組長からお目こぼしを受けているからこそです。わたしは――」
「賢吾と千尋のオンナに手を出した。今はさらに、わしのオンナにも手を出していることになるのか」
 守光の言葉に、やはり、と三田村は一度目を閉じる。自分を〈オトコ〉と呼んでくれる人を巡っての噂は、逐一三田村の耳に届いている。
 この世界にいて、和彦の身に何が起こっても不思議ではないと、ある程度の覚悟をしていたつもりの三田村でも、さすがに動揺したぐらいだ。総和会会長が、長嶺組長――息子の〈オンナ〉に手を出したという事実に。総和会の中には、長嶺組との間に不穏な空気が流れるのではないかと、一瞬緊張が走ったという話もあったぐらいだ。
 ゆっくりと目を開くと、守光はじっと三田村を見据えていた。
「意地の悪いことを言ったな。あの先生と先に契りを結んだのは、お前のほうだ」
「……わたしは、長嶺組長と千尋さんに対して、長嶺組の組員としてあるまじき裏切り行為を働きました。そして、佐伯先生の情の深さに、つけ入りました。意地が悪い……、いや、意地汚いと言って罵られるべきなのです、わたしという男は」
「それをすれば、長嶺の男と、佐伯先生の価値を下げることになるぞ」
 守光は箸を手に、食事を始める。
「思い違いをしているようだが、わしは責めるために、お前をここに呼んだわけではない。あくまで、筋を通すためだ」
「――……筋、ですか?」
「あの先生の情を受ける者としての、筋」
 かつて賢吾も守光も、体を重ねる〈女〉はいくらでもいた。だが三田村の知る限り、特別深い仲になったことも、組の事情に関わらせたこともなかったはずだ。なのに和彦については、組の事情どころか、仕事にすら積極的に関わらせて、あっという間に共犯者にまでしてしまった。そこまでして和彦を逃したくないのだ。
 賢吾が和彦を手に入れるまでの行動を、間近で見てきた三田村には、賢吾の抱えた執着がよくわかる。だが、守光については――。
 三田村の疑問に応じるように、守光が言う。
「彼は特別だ。長嶺の男とおそろしく相性がよく、彼本人の資質も、この世界に合っている。性別は関係ない。むしろ、男だからいい。いろいろと。長嶺にとって、彼は宝だ」
 落ち着いていた守光の口調に、わずかな熱がこもる。さすがに父子というべきであろうか。賢吾が持っている強い執着は、守光の中にもあるのだ。男である和彦を〈オンナ〉にして、関係を持つほどに。
 三田村の中に嫉妬というものはない。ただしそれは、長嶺の男たちに限ってのことだ。
 ただ、あの人を自分から取り上げないでほしいという、浅ましい気持ちだけは捨てることはできない。切望というきれいな表現では足りない。必要とあらば、地面に額を擦りつけて求めるほどに、和彦だけは失いたくなかった。
 そんな三田村の気持ちを、守光は汲み取ってくれた。
「お前の不安はわかっているつもりだ。賢吾や千尋は許容しているが、総和会会長としての面子があるわしは、お前と佐伯先生の仲を許さないかもしれない――だな」
「わたしからお願いする立場にないことは、重々承知しています。どのような処断も受け入れるつもりです」
「だが、身を引く気はないと?」
「……申し訳ありません」
 座椅子から下りた三田村は、再び頭を下げる。すると、低く抑えた笑い声が聞こえてきた。ドキリとしたのは、その声があまりに賢吾に似ていたからだ。
「こういう立場にいると、姿勢を示すことが大事なのだ。総和会会長として、長嶺組前組長として、賢吾の父として、千尋の祖父として。まあ、いろいろだ。そしてお前に対しては、同じ男を共有している者として、示す姿勢がある」
 頭を上げるよう言われ、従う。守光は、驚くほど柔和な表情をしていた。柔和すぎて、かえって怖いと感じるほどに。座椅子を手で示され、三田村はもう一度深々と頭を下げてから席に戻った。
 守光と会う以上、和彦とのことはつまびらかにするつもりではあったが、自分の考えは甘かったと三田村は痛感していた。さほど話したわけではないというのに、すでにもう疲労困憊している。ひどく精神を磨耗していた。それほど守光の言葉一つ一つが、とてつもない重みを持っているのだ。
 組に入った頃から、組長としての守光に仕えてきた三田村をもってしても、この体たらくだ。和彦は、実の息子から〈化け物〉と呼ばれる男を前にして、どのように重圧に耐えているのか。それとも、物騒な男たちを骨抜きにするしたたかさを発揮して、すでに馴染んでいるのだろうか――。
 三田村は、守光に組み敷かれる和彦の生々しい姿を想像し、次の瞬間、ひどい罪悪感に襲われる。
 込み上げてきた苦さを、山菜の酢和えを無理に咀嚼して一緒に呑み込む。
 そんな三田村を目を細めて眺めながら、守光が問いかけてきた。
「――そんなにあの先生は特別か、三田村? お前ほどの男であれば、寄ってくる女には不自由せんだろう。見てくれも悪くないしな」
 守光の猪口に酒を注ぎ、三田村は唇をわずかに緩める。
「わたしは、つまらない男です。そんなわたしに、あの人は……、佐伯先生は情を注いでくれます」
「情、か。いい言葉ではあるが、扱いを誤ると、厄介なものだぞ」
 守光の口調に含んだものを感じ、三田村はわずかに肩を揺らす。
「情なら、わしにもある。肉親も長嶺組も、その組員たちも、何があっても守りたいと思っている。佐伯先生についても……年甲斐もなく、愛しいと感じている」
「長嶺会長……」
 不安に耐えかね、思わず三田村が呼びかけると、守光はこう言葉を続けた。
「お前から彼を取り上げるような、無体なことをするつもりはない。――少なくとも、わしは」
 守光が徳利を手にしたので、三田村は猪口を取り上げる。トロリと注がれる酒を見つめながら、今の守光の言葉を頭の中で反芻していた。
 安堵したいと思いつつも、やはり不安は消せない。守光ほどの人間が発言を反故にするはずもなく、また、三田村程度の存在にそんなことをする必要もないとわかってはいても、喉に小骨が引っかかったように、何かが微かに気になる。
 三田村の不安を知ってか知らずか、守光はゆったりと笑みを浮かべていた。まるで、胸の内で愉悦を愛でているかのように。


 先に座敷を辞した三田村は、廊下を歩きながら静かに深く息を吐き出す。
 久しぶりに守光と相対して、緊張のためまだ肩が強張っている。長嶺組組長としても立派な人であったが、総和会会長という肩書きを得て、底の知れなさが増したように感じる。
 賢吾のように〈化け物〉と言うつもりはない。ただ、圧倒的な存在を他にどう例えればいいのか、三田村にはわからなかった。
 足を止め、座敷のほうを振り返る。今日の守光とのやり取りは、和彦には秘密にしておこうと思った。やむを得ずとはいえ、まるで物を扱うように和彦について話したことを、正直三田村は後悔しているのだ。
 玄関に行くと、訪れたときと変わらず、総和会の男たちが外に立っていた。かける言葉もないため、靴を履いた三田村は会釈だけして小道を歩き出す。
 すぐに、向こうから歩いてくる男の存在に気づいた。
「あれは……」
 南郷、と口中で呟く。南郷のほうも三田村に気づき、軽く片手を上げた。
 まったく知らぬ者同士ではないが、そうはいっても滅多に顔を合わせるわけでもなく、会えば短く挨拶を交わす程度の間柄だ。
 そこで三田村は、南郷に関して大事なことを思い出す。
 もう何年も前になるが、三田村に初めて南郷を引き合わせてくれたのは、守光だった。そのとき、守光も南郷もまだ、総和会の人間ではなく、それぞれ属する組は違っていた。
 あの頃から、守光は南郷に特別目をかけていたのだ。そして今は特に――。
 三田村は先に立ち止まり、道を空けて南郷に頭を下げる。比べるまでもなく、南郷のほうが立場は上だ。
 南郷は足を止めることなく、よお、と短く一言を発しただけだった。
 三田村は立ち止まったまま、南郷の大きな背を見送る。
 明確な理由があるわけではないが、胸の奥が不穏にざわついた。

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