帝都花影怪異録ー孤独な乙女は愛を知るー

雪嶺さとり

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第三話

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夕暮れ時の帝都は、立ち並ぶ街灯のおかげでまだまだ明るい。
帝都の夜はこれからだ。
そう言わんばかりに街を行き交う賑やかな人々を横目に、桐花は一人逆方向へと歩いていく。

陽射しが眩しくて、目を細める。
橙色の光は、『花影』の暖かなランプの色にも似ていてどこか心地よかった。
昨晩は散々な目にあってよく眠れなかったのもある。
酷い顔をしていたようで、案の定沙一からはずいぶんと心配されてしまった。

しばらく歩いてから、なんとなく、桐花はふと立ち止まった。
石畳の道路とぎっしり並んだ建物の間に、小さな社がある。
ここは最近見つけた神社だ。
帝都の近代化が進んだ影響で、こんな奥まったところにあるのだろう。
前面にあった建物が変わったことでその存在を見つけることが出来たのだ。

(今日もお参りしていきましょう。神様へのご挨拶は大切なことです)

中々減らない借金に加えて、ここ最近続いている幻覚はいつだって桐花の頭を悩ませる。
神頼み、というわけではないがこうして神に祈ると何かしらのご利益がありそうで、この社を見つけてからというもの通い続けていた。

二礼二拍手一礼。
きっちり礼をしてから、くるりと踵を返して帰ろうとした時。

「あっ」

思わず口から声が零れて、慌てて手で押えた。
喫茶店に手帳を置き忘れてきたことに、今気づいた。
休憩室で荷物を整理する時に、机の上に置いたのをそのままにしてしまっていた。
もしかすると、神様が教えてくれたのかもしれない。
桐花は通ったばかりの道を引き返していく。
休憩室といっても『花影』で働いている女給は桐花一人なので急ぐ必要はないが、あの手帳には大切な栞が挟んであるのだ。
もし失くしたなんてことになったら、立ち直れないかもしれない。
疲れが溜まっているのもあるのだろう、なんだか肩も重くて足も怠い。
風邪でも引いたら困る。早く用を済ませて帰宅した方が良いだろう。

足早に人々の間を通り抜けて、喫茶店へと戻ってくる。
こぢんまりとした『花影』の外観は洋館風で、硝子細工の窓が目を引く。
こんなハイカラでお洒落な店で自分は働いているのだと、扉を開く度に思ってしまう。

「沙一さん。すみません、私、忘れ物を・・・・・・」

店内には沙一がいつものようにカウンターにいたが、珍しくその手には煙管がある。

「待て」

「は、はい!」

低い声でそう言われ、無意識的に緊張してしまう。
不機嫌というわけではないが、いつもよりも険しい表情をしている。
沙一は煙管片手にこちらへ歩み寄ってくる。
紫煙をくゆらせるその姿は、より一層色男が際立っていた。
もしや自分は何かをしでかしてしまったのかと焦る桐花をよそに、沙一はただ一言呟く。
その視線は、桐花ではなくその後方に向いていた。

「去れ」

「・・・・・・え?」

その言葉を理解する前に、風もないのに、沙一の煙管から紫煙がこちらへ漂ってきた。
煙はそのまま桐花を避けるように過ぎていくと、霧が晴れるように背後で急に消えてしまう。
この煙は一体なにかと振り返った一瞬、なにか黒いものが見えたような気がしたが、それどころではなかった。

「桐花。何か俺に言うことはあるか」

「えっと、その・・・・・・」

顔を上げれば、鋭い視線が降ってくる。

(今のはなんだったのでしょう?)

問いたいが、沙一の有無を言わせない雰囲気に言い淀んでしまう。
そんな桐花を前に、沙一は表情を変えることない。
沙一は、カウンターに戻るとなにかを手に持って再びこちらへ向かってくる。

「そっ、それは私の手帳・・・・・・!」

沙一の手にあったのは、桐花にはよく見覚えのあるものだった。
茶色の飾り気のない手帳だが、押し花の栞を挟んでいる。
紛うことなく、桐花がずっと使い続けている大切な栞だ。

「まさか、この栞をまだ使ってくれていたとはな」

「えっ?」

小さな声だったのでよく聞こえなかったが、一瞬、沙一の顔が綻んだように見えた。

「まあ座るといい。少し話をしよう」

沙一に促され、ひとまず、カウンター前の背の高い席に座る。
いつも客が座っている場所に自分がいるのは、なんだか落ち着かない気分だった。
沙一も隣に座り、灰皿に灰を落とすと煙管を置いた。

「さて、今から語ることは詭弁だと思ってくれて構わない」

沙一は真っ直ぐな目で、戸惑う桐花のことを射抜いた。

「お前、取り憑かれているだろう」

「と、とり・・・・・・!?」

「ここ最近、幻覚や幻聴に悩まされていなかったか」

突然、沙一の口から非科学的な発言が出てきて動転してしまう。
さらに幻覚の一件まで勘づかれていたとは。

「どこで拾ったかは知らないが、お前は確実にどこかから『悪しきもの』を惹き付けてきた。幻覚や幻聴の原因はすべてそいつの仕業だ」

「それは、悪霊のようなものということでしょうか・・・・・・?」

「ああ。そう考える方が分かりやすいだろうな」

その口ぶりから察するに、単なる悪霊では無いことは分かるのだが、桐花にはその方面の知識はまるで無いので悪霊と簡単に考えた方がマシだろう。

「例えば、廃墟や廃れた神社など、呪術や妖の痕跡の残るような場所に行かなかったか」

「いえ、特に心当たりは・・・・・・あっ」

そんな素人目でも分かるような怪しい場所には近寄らない。
と、胸を張って言いたいところだが『社』というのには覚えがものすごくあった。

「今しがた行ってきたばかりですね」

あの小さな社のことだ。
なんなら毎日通っている。

「だろうな。あれほどの邪気を漂わせていたのだから」

予測はついていたのだろう。
項垂れる桐花を前に、沙一はおもむろに手帳から栞を取り出した。

「この栞には守護の術がかけられている。これを手放さない限り、桐花の身の安全は保証されると思えば良いだろう。だが、これの効果は最低限の安全を守ることだけだからな。視覚や聴覚に訴えるような微弱な攻撃にはあまり効力を成せない」

そんなことは初耳だ。
貰い物の栞に、守護の術だなんて。
桐花はどうして良いのか分からず唖然とする。

「しかしお前はこれを持たずに『悪しきもの』の所へ足を運んでしまった。その結果、それをより一層惹き付けている状態にある。今は軽く追い祓ったから良いが、奴はどうにも執念深そうだ。今日はこのままお前を帰すわけには行かない。いや、いっその事今日のうちに祓いきってしまう方が良いだろうか」

なんとなく、理解はできないことは無い。
しかし、この口ぶりではまるで霊媒師やら拝み屋やらの職種の人のようではないか。
ただの喫茶店の店主が、悪霊祓いなど習得しているはずがない。

「・・・・・・沙一さんは、何者なのですか」

聞きたいような、聞きたくないような。
よく見知っているはずの彼の、知らない顔に桐花は戸惑うことしかできなかった。

「再三言うが、俺の話すことは全て詭弁と思ってくれて構わない。なぜならこれは、普通の人間にとっては信じ難い話だからだ」

無論、彼が詭弁を言うなどと桐花は思っていない。
真面目で実直な沙一が、真摯な顔で話してくれているのだ。
どんなに突飛で摩訶不思議な話でも、沙一が言うのなら、それは真実だと思えた。
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