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番外編

番外編-3

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   * * *


 ――一方、姫の部屋ではアーリアがいなくなった後、こんな会話がなされていた。

「大丈夫かね? アーリアは」

 つい今しがたまでアーリアが立っていた場所を見つめながら、レナスが呟く。すると、同じようにその場所を見ていたルファーガが微笑んだ。

「大丈夫ですよ。心配はいりません」

 その口調には、妙に確信がこもっていた。

「お膳立てはしましたから、まず問題ないでしょう」
「お膳立て、とは?」

 ファラがそう尋ねると、ルファーガはクスッと笑う。

「グリードは他人に無関心ですし、人の心の機微を感じ取るなんてことはしません。でも、たった一人だけ例外がいることは、皆よく分かっているでしょう?」
「なるほどね、そういうことか」

 リュファスが頷き、それからクスクスと笑い出した。

「……リュファス様?」
「すまない、姫。だけど可笑おかしくて」

 彼に続き、レナスやミリー、そしてファラまで笑い出す。突然部屋に広がった笑いの輪を、姫とベリンダ、それにルーファスは不思議そうに眺めていた。

「どういうことだい、ファラ?」

 ルーファスがファラに尋ねた。

「そうか、お前はグリードと知り合ったばかりだから、分からないのも当然だな」

 ファラは笑うのを止め、ルーファスたち三人に説明する。

「グリードは他人に無関心だが、唯一の例外がいる。それがアーリアだ。彼女のことにだけは、グリードは敏感なんだ。精霊に監視させて、彼女の動向を常に把握している。そのグリードが、アーリアの様子がおかしいことに気づかないわけがない。なのに、何も言わないということは……」
「つまりグリード様は、アーリアが告白しようとしていることをご存知だと?」

 姫が首を傾げて問う。それに答えたのはミリーだった。

「多分ね。毎晩何かを言いかけてやめるなんて、アーリアの行動はさぞ不審だったことでしょうよ。あのグリードがそれを見逃すはずがないわ。アーリアに直接聞くか、それこそ精霊の力を使ってさぐると思うの」
「でもそれはしていないって、精霊たちが言ってるんだよね」

 レナスがまたクスクス笑った。アーリアから引きがされ、見物できなくなったと不満を漏らす精霊たちの声を聞きながら。

「だからね、きっとグリードは、アーリアが何を言おうとしてるのか分かってるんだと思うよ。その上で、アーリアがちゃんと言葉にするのを待ってる」
「だからのろけ以外の何物でもないんですよ、あれは」

 ルファーガが苦笑を浮かべて、締めくくるように言った。

「まぁ……」

 姫は呆れ顔で吐息をつく。ベリンダも口をあんぐり開けていた。彼女たちが呆れているのはグリードに対してなのか、それともアーリアに対してなのか。いや、他人から見れば「勝手にやってろ」とでも言いたくなるような二人に、呆れ果てているのだろう。

「何だか、尻尾をパタパタさせながら飼い主のご褒美を待つ犬の姿が思い浮かびました……」

 ベリンダがボソッと呟く。その瞬間、全員の脳裏に浮かんだのは、アーリアの言葉を「まだかな、まだかな」と尻尾を振りながら待つ勇者の図だった。

「……勇者に『待て』をさせるなんて、さすがアーリア」

 感心したようにレナスが言うと、ルファーガがふっと笑った。

「犬も食わないのろけ話に、ぴったりのたとえですね。アーリアの性格を考えると、このままずっと平行線をたどりそうだったので、少しおせっかいをさせていただきました」

 介入するつもりはなかったんですけどね、と付け加えたルファーガに、ファラが首を傾げる。

「おせっかい? それは精霊を引き剥がして、二人きりになれるところへ送ったことか?」
「いえ、アーリアが告白しやすくなるよう、まずは自分の気持ちを口にしろって、さっきグリードに心話で伝えたんです」

 そこまで言うと、ルファーガは可笑おかしそうに笑った。

「グリードに言われれば、アーリアだって言わないわけにはいかないですからね。自分から好きだと言うより、相手の言葉を受けて『自分も』と伝える方が、はるかに楽でしょうし。そこに思い至らないグリードは、やっぱりまだまだかなとは思いますが、相手の言葉を待つことを覚えるなんて、彼もだいぶ成長したと思いませんか?」
「確かにね」

 リュファスがしみじみと頷いた。
 無表情、無頓着、無関心。それゆえ「心を持たない人形」と言われていた昔のグリードを知るだけに、感慨深いのだろう。

「うまくいってるといいな、告白」

 レナスが呟くと、ミリーも頷く。

「本当よね。これでもダメなら怒るわよ、私は」
「多分、うまくいってるんじゃないですか。グリードが精霊に、来るなと命じているくらいですから」

 先ほどまではルファーガによって留め置かれていた精霊たちだが、今はグリードの命令に従ってここにいる。つまり、誰にも見られたくないような場面が繰り広げられているということだろう。

「では今夜はお祝いということで、皆様を夕食にご招待しますわ。その席で、二人に詳しく話してもらうことにしましょう。私たちには、それを聞く権利がありますわよね。だって、こうして巻き込まれているんですもの」

 姫が明るく言って、にっこり笑った。兵士たちの稽古けいこ場へ行くべくソファから立ち上がりながら、ファラも笑う。

「それは楽しみだな」
「そうよね~。バカバカしいのろけ話に付き合ってやったんだものね」
「酒のさかなにからかってやろうよ」

 ミリーとレナスが悪戯いたずらっぽく笑った。その笑いはまたたく間に全員にうつり、姫の部屋には明るい笑い声がいつまでも響いていた。


 ――そんなことはつゆ知らず、勇者とその恋人は誰もいない中庭で、つかの間の逢瀬おうせを楽しんでいた。




   めぐとき



 1 帰郷


「おかえりなさい、アーリア」
「おかえり」
「おかえりなさいませ、お嬢様!」


 六年ぶりにミルフォード領へ帰省した私とグリード様を、懐かしい面々が迎えてくれました。
 私の母に、兄に、私たち兄妹の乳母うばをしてくれていたばあやと使用人たち。そして……

「よう、よく来たなぁ」

 のほほんと手を上げたのは、父のライオネル・ミルフォード子爵です。
 私たちが到着する時間に合わせて、皆がこうして揃って……
 ぐっと胸に迫るものを呑み込みながら、私は精一杯の笑顔を見せました。

「ただいま、皆……!」


 ――今回の帰省は、宰相様に促されてのことでした。
 最初は断ったのです。何しろミルフォード領は辺境といっても差し支えないほどの田舎で、シュワルゼ城からだと片道三日はかかります。数日滞在することを考えると、十日ほど休暇をいただかなければなりません。姫様の輿入こしいれが間近に迫ったこの大事な時期に、そんなに長く休めるわけがないじゃないですか。
 もちろん姫様は反対せず、むしろぜひにと言ってくださるでしょうが、私自身が納得できません。ベリンダがいれば、話は別だったかもしれませんけど……
 実はベリンダはつい先日、外交官をしている幼馴染おさななじみと結婚して、侍女を辞めてしまったのです。彼女の分まで働かなければならない現状にあって、十日間も留守にするなど無理な話です。
 けれど、宰相様は全然問題ないとおっしゃいました。

「あなたが留守の間、侍女長に仕事を代わってもらうよう手はずを整えてあります。彼女はマリアージュ様の輿入れ準備も経験していますから、むしろあなたより上手くやってくれるでしょう」

 なんと私の上司である侍女長様を動員するつもりのようです。確かに有能な侍女長様なら、私とベリンダ二人分の働きをすることも可能かもしれません。
 けれど……となおも渋る私に、宰相様はいつもの辛らつな口調をひそめ、さとすように言いました。

「あなたは六年前にここへ来て以来、一度も帰省していません。ルイーゼ姫についてエリューシオンに行ってしまえば、帰省はますます難しくなるでしょう。ですから、今のうちに帰省しておくべきです。ライオネルも、一度帰ってこいと言っていたでしょう?」
「そ、それは……」

 私が魔族にとらわれていた時、両親と兄は心配して、シュワルゼの城まで出向いてくれたのです。で、領地に帰る際に、父が言ったのですよね。『屋敷の皆も会いたがってるから、エリューシオンに行く前に一度くらい帰ってこいよ』って。

「で、でも、いくら侍女長様が代わってくださるとはいえ、十日もお休みをいただくわけには……」

 そんなに長く姫様の輿入こしいれ準備に駆り出されていては、侍女長様ご自身の仕事が立ち行かなくなってしまいます。
 私がそう訴えると、宰相様は眼鏡の奥で微笑みました。

「心配いりません、十日もあげませんから。あなたに与える休暇は、その半分の五日間です。帰省にはグリード殿が同行なさるので、移動時は魔法を使っていただく予定です」
「グリード様が……?」

 確かに移動の魔法陣を使えば、あっという間にミルフォード領まで飛ぶことができますが……

「グリード殿には、もう話を通してあります。彼もライオネルともう一度話がしたかったそうで、二つ返事で引き受けてくださいました」

 さすがは常に用意周到な宰相様。すでに段取りをつけていたわけです。

「さ、さようですか。それでは、お言葉に甘えまして……」

 それ以外に、一体何が言えたでしょうか。まぁ、考えてみればグリード様が十日もの間、私から離れるわけがありませんものね。私としても、あの方を放置しておくのは心配ですし。
 そんなわけで、五日間の休暇が正式に認められました。そして、その第一日目である本日、私たちはシュワルゼの城からミルフォード家の屋敷へとやって来たのです。


「まぁ、まぁ、お嬢様! しばらく会わないうちに大きくなられて……!」

 ばあやが涙を流しながら言いました。

「ばあやは変わらないわね」

 とは言ったものの、六年前よりしわと白髪が増えているのが一目で分かりました。が、私も同じ女性ですし、空気を読んでお世辞を言ったわけです。
 するとばあやが、エプロンのすそで涙をぬぐいつつ笑いました。

「もうすっかりおばあちゃんですよ。あぁ、あんなに小さかったお嬢様が、こんなに女性らしく……」
「胸の大きさは昔のまんまだけどな!」

 グリード様と挨拶あいさつがてら話していた父が、私とばあやの会話に突然割り込んできました。

「胸のことは関係ないでしょう!」

 そのうちシメてやる! そう思いながら父をにらみつけます。父はカラカラと笑った後、グリード様に向き直って言いました。

「改めて、ようこそミルフォード家へ! アーリアの婚約者として歓迎する」
「ありがとうございます」

 グリード様は、そう言って柔らかく微笑みました。
 両親と兄以外の人にグリード様を紹介した後、皆で屋敷の中にぞろぞろと移動しながら、私は母にミルフォード領の近況について尋ねました。

「ここ数年は豊作が続いているから、うちにもだいぶ余裕ができたわ。お父様も最近は、突発的に馬を買うようなことはなさらないし」
「ようやく家長としての責任感が芽生えてきたんですかねー?」

 などと毒舌どくぜつを吐きつつも、私はホッとしました。これなら私も、安心してエリューシオンに行けるというものです。
 実は、それなりに心配していたのですよね。故郷のことや、家族のことを。何かあっても、すぐには戻ってこれない場所へ行ってしまうわけですし。
 だから母からこうして直接話を聞くことができた今、やっぱり帰ってきてよかったと思うのです。まさか宰相様がそこまで見越して帰省を強要したなんてことは……さすがにないですよね?
 やがて城のそれとは比べ物にならないほど簡素な応接室に落ち着きました。ばあやをはじめとする使用人たちはお茶や食事の準備などのため、部屋を出ていきます。
 お茶くらいは私が……と言ったのですが、「お嬢様は座っていてください!」と皆に叱られてしまいまして。
 もう六年も侍女をやっているので、こうしてソファに座って給仕されるというのは、何とも落ち着きません。侍女になる前は、これが普通だったのですけどねぇ……
 そわそわしている私を見て、母が笑いました。

「あなたの今の仕事は、ゆっくりすることよ。手持ち無沙汰なら、後でグリード様に、このあたりを案内して差し上げなさいな」
「そ、そうですね。そうします」

 母の言葉に頷いてからグリード様を見ると、彼は父と向かい合わせで話をしています。どうやら父の自慢の厩舎きゅうしゃを見に行くという話になっているようでした。ちなみに兄は会話には加わらず、一人熱心に本を読みふけっております。

「兄様は相変わらずですね」
「ええ。最近また本を購入したばかりで、仕事の時以外はずっと図書室にこもりきりよ」

 母が苦笑し、私は呆れて吐息を漏らしました。
 父は馬狂いで、兄は本狂い。ミルフォード家の男子は代々、趣味に異常なほどのめり込むのです。
 そこで母が、思い出したように言いました。

「そういえば、ヨシュアのところに子供が生まれたらしいわ。男の子ですって」
「あら、めでたいですね」

 ヨシュアというのはミルフォード領と隣接する土地を領地に持つ、男爵家の長男です。私とは幼馴染おさななじみで、昔はよく遊んでいました。
 去年結婚したというのは母からの手紙で知っていたのですが、もう子供が生まれて……? うん、何だか少し計算が合わない気もしますが、そこは詮索せんさくしないことにしましょう。

「アーリアが帰省すると聞いて、彼も顔を見せに来るって言っていたんだけど、やっぱり今回はやめておくって連絡が来たのよ。奥様が出産したばかりだし、領地のあちこちで問題が起こってるからって」
「領地で問題、ですか?」
「ええ。何でも長雨で川が氾濫はんらんして橋が流されたり、ひょうが降って農作物に被害が出たりしたんですってよ。でもおかしいわね。こっちの天候は安定していたのに。ずいぶん局地的な災害だったようね」
「へ、へぇ……」

 母の言葉に相槌あいづちを打つ私の頭の片隅に、ある疑念が浮かびます。局地的な災害……?

「幸い怪我をした人はいないそうだけど、次期領主のヨシュアとしては放って置けないですものね」
「そ、そうですね」

 そんなに大きな被害が出たにもかかわらず、怪我をした人はいないだなんて……まさか、まさか……
 私は思わずグリード様に視線を向けてしまいました。
 いくらヨシュアが男だからって、ただの幼馴染おさななじみである彼が私と顔を合わせるのを妨害するとか……さすがにないですよねぇ?
 ……深く考えるのはやめておきましょう。アルフリード様やヴェルデのことだけで十分です。もうお腹いっぱいです。私は話題を逸らすことにしました。

「ほ、他の領地の皆様は最近どうなの?」

 そう言って母から他の周辺貴族の話を聞いていたのですが、会話が途切れたおりに、ふと父とグリード様の会話が耳に飛び込んできました。

「ところでグリード。話は変わるけど」
「はい」

 ちょ、なんでグリード様を呼び捨てにしているんですかね、父よ!
 私は口を挟もうかと思いましたが、父が口にした不可解な言葉を聞いて、踏みとどまりました。

「お前さん、まだには行ってないのか?」

 あっち? 
 私には何のことだかさっぱり分かりませんが、どうやらグリード様には分かるようで、彼は少しだけ目を見張りました。そして、首を横に振ります。

「いえ、まだです」
「そうか……」

 うつむいて何やら考え込む父に、グリード様は姿勢を正し、真剣な顔で尋ねました。

「そのことですが、差し支えなければ、当時のことを詳しく教えてもらえませんか?」
「ああ」

 父は顔を上げて頷くと、話し始めました。

「あれはレフォーが……ああ、レフォーというのは当時懇意こんいにしていた馬の仲買人なかがいにんでな。彼がすばらしい馬を手に入れたと連絡を寄こした後のことだった。八歳になったばかりの娘が、家に二十歳前後の青年を連れてきて……」

 娘って私のこと? と首を傾げていたら、不意に父が言葉を途切れさせました。

「どうしました?」

 グリード様の問いかけに、父はひたいを手のひらで覆い、眉間みけんしわを寄せながら答えます。

「悪い。なんつーか、これ以上は言わない方がいいような気がする。どうも、妙な胸騒ぎがして……」

 ええっ? 何ですか、それは! 続きが気になるじゃないですか! ……と思ったのは私だけのようで、グリード様は真剣な表情のまま頷きました。

「子爵、あなたが言わない方がいいと感じたのなら、そうすべきです。あなたにとっては過去のことでも、俺にとっては違う。俺はまだそれを知るべきではない、おそらくはそういうことでしょう」
「すまん」
「いえ、俺が浅慮せんりょでした。ときに関することは慎重に扱うべきなのに」
「いやいや」

 父は手を横に振りました。そして、なぜか私の方をちらりと見てから、声を落とします。

「あいつは覚えてないんだよなぁ。あの時に起きたことや、見たことを」

 ……多分、私に聞かせまいと思ったのでしょう。でもそっちに耳と意識を向けていた私は、父がグリード様にだけ告げた言葉を拾ってしまったのです。
 ――その時、父は確かにこう言っておりました。


「大部分の記憶を消されているんでな」


   * * *


「グリード様、あっち。あの丘に立つ大きな木の下が、私のお気に入りの遊び場だったんですよ」

 私は小高い丘の上を指差して言いました。
 皆でお茶を楽しんだ後、私はグリード様を連れて、屋敷の裏手にある丘陵地帯へ向かったのです。まぁ、やることがなくてそわそわしていた私を見かねた母によって、外へ追い出されたというのが真相ですが。

「侍女生活がすっかり染みついてしまったせいか、何だか前の生活があまり思い出せないんですよね」

 グリード様と二人でなだらかな丘を歩きながら、私は愚にもつかないことをしゃべっておりました。

「いえ、正確に言うと、暇な時にどんなことをしていたのか思い出せないというか……」

 ハハハと苦笑する私に、グリード様は微笑みかけました。

「地の精霊の話だと、アーリアはよく本を読んだり、ここに花を摘みにきたりしていたそうですよ」
「そ、そうですか」

 ……相変わらず私の過去は、精霊によって暴露され続けているようです。怖いわー。
 けれど私もこの頃は慣れてきて、こうした発言をだいぶスルーできるようになりました。

「そういえば、兄の本をよく読んでいましたっけ。ここは田舎で娯楽が少ないですから」
「子爵の馬を見に行くのも好きだったようですよ」
「こ、子馬が好きでしたからね……」

 私は耐えろと自分に言い聞かせます。そのあたりのことは精霊が言わなかったとしても、そのうち母かばあやがグリード様に話すでしょうから!
 ……でもこうした黒歴史暴露だの個人情報だだ漏れだのについては、そろそろきちんと言っておいた方がいいかもしれませんね。グリード様にも精霊さんたちにも。
 精霊は普通の人間には見えませんが、実はあちらこちらにいて、人間のすることを観察しているのだそうです。今もこの土地で起こったことをつぶさに見てきた精霊たちが、どうやらグリード様にペラペラと話しているみたいで……
 本当に心臓に悪いです。だって私が覚えていないことも、精霊さんたちは覚えているわけですからね。
 そこまで考えて、私は先ほどの父とグリード様の会話を思い出しました。
 私が何かを覚えていないとか、記憶が消されたとか言っていた、あの話です。
 どうも過去にグリード様と父との間に何かがあって、それに私が関係しているようなニュアンスでしたよね? でも、私はそれを覚えていない……記憶を消されたから。
 実はあの後、母にこっそり聞いてみたのですよ。「父様とグリード様がさっき話していたのは何だったの?」って。けれど母は微笑んで「さぁ、母様にもよく分からないわ」と答えるだけでした。
 でも、あれは絶対何かを知っているという顔でしたよ。
 だからこそ、とても気になります。第一、記憶を消されたとは穏やかではありません。とはいえ、誰が何のためにそんなことを?
 私は六年前にここを離れて以来、一度も帰ってきていません。ですからその何かが起きたのは、六年以上前のことだと思うのです。しかし、そうなると今度は、そのことにグリード様が関わったというのは変です。だってグリード様は勇者になるまで、エリューシオンを出たことがないと言ってましたもの。
 私はかたわらを歩くグリード様を、ちらっと見上げました。
 直接尋ねたら、答えてくださるでしょうか? でもさっきの父の様子を見るに、私には知られたくなさそうでしたし……
 そんなことをつらつらと考えていたら、いつの間にか丘の上にある大木のすぐ近くまで来ていました。私はひとまず考えるのをやめて、六年ぶりに目にする大木を見上げます。
 この大木は大昔からここにあって、ずっと丘の上からミルフォード領を見守ってくれているのです。

「……六年前と、変わってないですね」

 かつては毎日のようにここへ来ていたので、私が故郷を思い出す時は、必ずこの木のことも思い出します。
 私自身は六年前より成長してますが、この木はあの頃とほとんど変わっておりません。まるでここだけ時が止まっていたかのようです。

「この木もアーリアを覚えてますよ。『おかえりなさい』って言ってます」

 グリード様が木の幹に触れながら言いました。どうやら彼には、木の声も聞こえるようです。まぁ、大地から生えているものはみな地の精霊の眷属けんぞくですからね。
 私もグリード様にならって木の幹に触れました。もちろん私には何も聞こえませんが、試しに「ただいま」と言ったら、ざわざわっと葉擦れの音がした気がするんですよね。
 するとグリード様が、クスッと笑いました。

「『もう杭を打とうとするのは勘弁してくれ』だそうです」
「はわわわわ」

 ここにきて、またもや黒歴史が暴露されてしまいました……!


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