【完結】星が満ちる時

黄永るり

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商売

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「おっしゃ! 次はあそこの店だ。要領はさっきと一緒だ。さあ、行ってこい」
 三人は、港沿いにある最大の市場にいた。
 市場は、食料だけではなく、衣類や、道具類、生活雑貨類などがそれぞれの種類別に分かれていた。

 今は、織物類の店が建ち並び、織物職人たちが集っている辺りにいる。
「ええ!」
 どの店にも色鮮やかなな織物が並べられている。
「まあ、素敵……」
「ちょっとルナ、感心してる場合じゃないでしょ!」
「ご、ごめんなさい」
「アクート、さすがにあそこは無理でしょう?」
 アクートが指差しているのは、織物でも高級な絨毯じゅうたんを売っている店だった。

「でも、あれは絶対高いわよ」
 魚や野菜をちょっと買ってくるわ、という類ではないのだ。
「自分の懐で買えるくらいのもんでいいじゃないか。この五か月、結構手伝いをマメにしてたから、大物は無理でも小物くらいなら買えるだろ?」
「それはそうだけど……」
「今日最大の買い物になるわね」
「そうだな。あそこで最後にしようぜ。午後から頑張ったからな」
「アクート……」
「ウェランダ、頑張ってね」
 ルナがそっと背中を押してくれた。

「わかった。行ってくるよ」
 意を決したウェランダは、勇んで店先に足を運んだ。
「すみません」
「何かね? お嬢さん」
「あの絨毯を見せて頂きたいのですが」
 おそるおそるウェランダは、店先に吊るされていた綺麗な青色の絨毯を指差した。
「お嬢さんが?」
 店主が胡乱な眼差しをウェランダに向けた。

「は、はい!」
 それは、旅で野宿する時に砂漠で敷く小ぶりのものだった。
 他の店同様、値札などは貼っていないので、これくらいなら何とか自分が貯めた小遣いで買えるだろうと見当をつけたのだ。
「お嬢さん、そんな金持ってるのかい?」
 主人の瞳には、ウェランダに対しての値踏みが二割、馬鹿にしているのが八割くらい宿っているようだ。

「あ、あります」
「ご主人様の遣いかね?」
「違います」
「そうか、お嬢さんの嫁入り道具かい?」
「それも違います」
「若い娘さんで普通に入り用なものじゃないよ。帰りな」
 店主が手のひらをひらひらさせた。

「いいえ、帰りません」
 一歩も引かないように、ウェランダは逆に一歩店内へ踏み込んだ。
「どうしてもその絨毯が頂きたいのです」
「わかったよ。じゃあ、幾らで買うんだね?」
 諦めたように店主はウェランダを店内へ招き入れた。

「だいたいお幾らぐらいですか?」
「そうだな。お嬢さんの言い値で売ろう」
「え?」
「さっきあんたはお姫さまらしきお嬢さんと一緒にいただろう? ということはあんたはお姫さまに仕える侍女だろ? 主人であるお姫さまに買ってこいと言われたんだろう?」
 お姫さまならばそれなりの値段で買うのだろうと、店主が思っているのはよくわかった。

(そうか。ルナはお姫さまと思われているんだ。確かに私はそんなに良い服は着てないし、ルナは普段着とはいえ、良い仕立ての服を着ているものね。それにあの銀髪に緑青色の瞳、あの容姿だけでもお姫様が城下にお忍びでやってきたと思われても仕方がないわね。というか、ルナのおかげで私は店内に招かれたってこと?) 
 そこまで思い至って、何となく面白くなかった。

 店内では店主が、使用人に命じてお茶の準備をさせていた。しかも、ルナと二人分が用意されている。
(さすがにアクートはお姫様の護衛ととられているのかしら?)
「さあ、お嬢さん、あそこにおられるご主人様を連れてきなさい」
 と促される始末だ。
「あの、私が買うんです。あの方が買うのではありません!」
 ゆっくり、一言一言区切りながら店主に向かって宣言した。
「まあ、そうですか。お嬢様の名前はおおっぴらには出来ないものですよねえ」
 訳知り顔で店主は勝手に納得すると、とりあえずウェランダに茶を勧めた。

 ウェランダもいつまでも店先で突っ立っていては不粋だと思い、交渉の席についた。
 そして、気を落ち着かせるために、茶を一口すすった。
「良い香り……」
「そうでしょうとも。女性に大人気のバラの花茶です。何とも言えない甘い香りでしょう?」
「そうですね」
 ウェランダは頷きつつも、茶杯を卓に置いた。バラの香りが、すっと鼻から喉を通って体の奥に流れていく。

「一万グランデでどうかしら?」
「は?」
「一万グランデです」
「お嬢さん、馬鹿を言っちゃいけない。あれは十万グランデはする代物だ。だいいちそんな金額の絨毯なんかこの店にはないよ。職人の技を軽く見ちゃいけないな~」
 困ったような顔をする店主。

「最低でも五万グランデさ」
 店主はウェランダが望んでいる絨毯よりも、一回り小さな室内用のものを出してきた。
「これぐらいにしときな。どうせお嬢さまの下に敷かれるんだろう? だったらこれくらいで十分だ。あんな大きいの何に使うんだ? 旅でもするのかね?」
 お姫様に旅は無用だろ? とばかりに店主は五万グランデの絨毯を押し付けてくる。
「私は、この絨毯が欲しいんです。いずれ旅に出るときに必要になるものですし。絶対この海色の絨毯が欲しいんです!」
 一歩も引かない気概を見せるウェランダ。

だが店主は憐れむような目でこう言った。
「お嬢さん、お金がないならはっきりいいな。それとも金銭感覚のないお姫様にそれだけのお金で買ってこいと命じられたのかね?」
「そうですね。世間知らずで申し訳ありません。ですが、幾らなら頂けるんですか? 十万グランデなんて私にはありません。無理です」
 店主からの憐みの視線を振り払い、ウェランダは不思議な笑みで自分の望みを伝えた。
「そうだなあ……。八万グランデでどうかね?」
「無理です。もっとまけて下さい」
「お嬢さん、見て下さいよ。この絨毯の出来栄えを」
 店主は青い絨毯をウェランダの前に持ってきて、表面をなでる。

 確かに良い絨毯に見える。青く染めた糸が複雑な模様を描きながら艶やかに織られている。手間暇を考えれば、一万グランデでは買えないだろう。
 しかし、ウェランダも負けられない。
「幾らなら売って下さるんですか?」
 興ざめしたようにウェランダは、茶をすすって焼菓子をつまんだ。

「もう少し頑張ってみても七万五千グランデくらいだな。それ以下はもう無理だよ。ましてや一万グランデでなんて」
「そうですか……」
 ウェランダは考え込む。

 どれくらい出せるかを計算する。
 トバルクに来て五か月。
 バンコの元で、散々手伝いをして小金を貯めた。
 しかも祖父と父からはわずかだがお金をもらった。
 十万グランデなど本来ならお安い御用な金額だ。
 しかし、残りの滞在のことや勉学に必要な物を買うことを考えたら、いつか使うとはいえ、十万グランデで絨毯など買えない。
 もっと代金を下げてもらうのだ。

「じゃあ、七万グランデでどうですか? これ以上は絶対無理です」
「うーん。ま、いいや。今日の所は帰ります。一度帰って、ゆっくり考えます」
 立ち上がって店を振り返りもせず、出ていこうとした。
 しかし、ウェランダの腕を店主が掴んだ。

「な、何ですか?」
 驚くウェランダは一瞬、たたらを踏んでしまった。
「幾らならお嬢さんは買って下さるんです? 六万ですか? 五万ですか?」
 みるみる値段が下がってくる。
「ええっと……」
「四万グランデ?」
 とうとう最安値を更新した。

「いえ、明日来ますから結構です。いりません」
 ウェランダは店主の腕を振りほどこうとする。
「だから一万は無理なんだって。幾らだ? 幾らならいいんだ? この小さい鍋敷きの織物もつけようか? まあまあ、そう急がずにゆっくりしていきな」
「わかりました」
 ウェランダは再び交渉の卓についた。

「さあお茶を淹れなおそう」
「バラ茶はもう結構です。それよりこのお茶を淹れてくれませんか?」
 ウェランダは懐から小さな包みを出して、店主の前に開いて見せた。
「何ですかそれは?」
「月桃茶です。すっきりとした良い香りのお茶です。甘ったるいバラ茶では考えがまとまらないわ」
「わかりました」
 店主はウェランダから茶葉を預かると、淹れるように使用人に申し付けた。

「なるほどこれもまた良い香りがしますな」
「こちらのお店とは長い付き合いをしたいの」
「さようでございますか」
「絨毯、四万グランデで買うわ。その代わり、この月桃茶を仕入れてくれないかしら?」
「このお茶ですか? お嬢様はお茶屋の娘さんなんですか?」
「ええ、まあそんなところね。少しずつでいいから、買って下さらないかしら? そうね初回は、たくさんおまけして半年分千グランデでどうかしら?」
「ほお」
「半年試してみて気に入らなかったら、次からは買って頂かなくても結構です」
 売り手と買い手が完全に逆転している。

「ここの織物は、すごく素材も出来栄えも良いものだわ。だから、私が商売で成功したら、もっと大きな絨毯を買いに来る。私に初期投資して下さいませんか?」
 店主は腕を組んで難しい顔をしてはいたが、途端に大笑いしだした。
「うわっはっははあ~! なんてことだ。俺としたことが、すっかり騙されちまったな」
「え?」
「あんた、あれだろ? 商学校の学生だろ?」
「はい。そうですが」
 ウェランダは正直に頷いてしまった。

「どうりでな。さっき文房具屋の店主に、ペンと紙一式を買う代わりに月桃紙とかいう紙を買ってくれと言われたって聞いたんだよ。他にも、焼き菓子屋の店で、品物を買う代わりに茶葉を買ってくれという娘が現れたとか。なるほど、ありゃあお前さんだったのか」
 午後から少し回っただけなのに、もうそんなにウェランダの話が出回っているとは。
 侮れない商人情報網。

「わかった。お前さんに投資してやろうじゃないか。この絨毯も鍋敷きも持って行け。三万グランデでいい。茶葉は五千グランデで買ってやろう」
「どうして?」
「お前さんの噂の後に決まって皆が言ってることがあるんだ。あの娘は面白そうな商売を考えているようだ。だから俺は一口乗った、とな」
「ええ?」
 いつの間にか、ものすごい尾ひれが自分について回っていたらしい。

「俺も一口乗せてもらおうってことだ。よろしくな」
 店主に勝手に握手されたウェランダ。
「あ、ありがとうございます!」
 自分の何が良かったのか、ともかくウェランダは丁寧に礼をした。

「やったわね!」
 ルナに、店が見えなくなった角のところで、思い切り抱きつかれた。
「う、うん。ありがとう」
「これでだいぶウェランダの家の月桃の商品を仕入れてくれる店が出来たな」
「そうだね。ありがとうアクート」
 アクートの作戦とは、ただ普通に商品を買ってくれといっても難しいだろうから、何か店の物を買う代わりに買ってくれと頼み込めというものだった。
 こうしてウェランダの商人人生が始まった。
 だが喜び勇んで帰る三人の後ろ姿を、じっと見つめている者がいた。
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