【完結】砂の香り

黄永るり

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作戦会議

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 工房には、すでにタージルの商館から迎えの輿とラクダが寄こされていた。
 輿は貴人や要人用のものだった。
 サマラは自分がタージルに『王女』扱いされているのだなと素直にそう思った。
 まとめておいた荷物をラクダに積みつけてもらうと、輿に乗せてもらい、しばし王女気分を味わいながらタージルの商館に向かった。
 タージルの商館では、先日と同じ客間に通された。
 今日は部屋の壁にはティジャーラを中心とした大陸地図が掲げられていた。
 敷物で囲まれた中央の床には、様々な書類や書物、国内の詳細な地図が並べられている。
 サマラも床の端にシャリーファから預かっている記録簿の写しを置いた。内容はすでに目を通している。
「失礼いたします」
 タージルが正面の扉から一声かけて入ってきた。
 サマラは居ずまいを正した。
 タージルだけだと思っていたら、その後ろから少年が一人入ってきた。
 昨日、タージルの商館前で出会った少年だった。確かタージルから、ファジュルと呼ばれていた。
「タージル殿、そちらの方は?」
「昨日、館の前で会われましたよね?」
「はい」
「改めてご紹介させて頂きます。私の三番目の息子・ファジュルにございます。このたびの王女様の旅に私の名代として同行させて頂こうと思いまして。ファジュル、王女様にご挨拶を」
 タージルに促されてファジュルと呼ばれた少年がサマラの前で深く頭を下げた。
「王女様にご挨拶申し上げます。タージルが三番目の子息・ファジュルにございます。これからよろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ、改めてご挨拶させていただきます。私はティジャーラ王国第二王女フィラーサと申します。ですが、普段はサマラと名乗っています。よろしくお願いいたします」
 心なしか王女として名乗りをあげたサマラの声の方が弱かった。
 やはりタージルは来ないのだ。
 当然だろう。サマラは父王とは違う。王太女である姉姫とも違う。命をかける価値のない『王女』と思われても仕方がなかった。
 そうはいってもやはり一抹の不安が募る。
 ティジャーラでも名高い大商人タージルが商団の先頭に立つのと立たないのとでは、安心感や襲われる確率が格段に違うものだ。
「どうやら王女様は私ではご不満のようですね」
 早速ファジュルがサマラの表情を読み取る。
「い、いえ。違います!」
「こら、ファジュル! 王女様に対して失礼だぞ」
 タージルが軽くファジュルの頭を叩いた。
「あのタージル殿、ファジュル殿、どうか私のことは『王女』ではなく、サマラと呼んでください。お願いいたします」
 昨日からずっと『王女様』と呼ばれ続けたことに違和感があったのだ。 
 職人として後宮の外でずっと育てられていたからかもしれないが、どうにも『王女様』と呼ばれる自分に慣れないのだ。他人のような感じがする。
 さりとてジャミールが名付けた本来の名『フィラーサ』と呼ばれるのも抵抗がある。
「よろしいのですか?」
「構いません。そのほうがずっと気楽です」
 本当は側室の娘とはいえ、王女ともなれば本名を呼ぶことは不敬とされている。だが、サマラはそのような慣習も自分には不似合いだとずっと思っていたのだ。
「わかりました。ではサマラ様、早速ですが旅の道のりを考えましょうか」
 タージルを真ん中にして、ファジュルとサマラが向かい合って座っている。
「まずサマラ様はどこから行こうと思われておられますか?」
 王都を中心とした地図を指さしながらタージルは尋ねてきた。
「私は赤砂漠から行こうかと思っています」
 サマラはそう言うと持ってきた記録簿のあるページを開いて見せた。
「なぜですか?」
 タージルは黙ってそのページを確認する。
「国内でしか『ティジャーラの宝』は根付かないと言われております。ゆえにひとまず、国内のかつての栽培地帯を巡ろうかと思っています」
「白砂漠のほうはどうなさるのですか? 半分他国ゆえ、最初からお捨てになるのですか?」
「はい。どのみちカーズィバ殿が早々に行かれた場所です。後から行っても得るものはないでしょう」
「もし、カーズィバ殿に情報をもたらした人物の話通り、白砂漠に原木があれば、サマラ様が負けるということになりますが、そちらも覚悟の上だと?」
「もともと後から動くことになってしまった私には、このたびのことは分の悪い賭けのようなものです。ご助力頂いた王太女様やタージル殿には申し訳ありませんが」
 カーズィバが王の軍を駆使して人海戦術を用いて探しているところに、背後からのこのこ行ったところで入る隙など恐らくあるまい。
 それに比べてサマラの方は、タージルの助力を受けたとしても圧倒的に人が少ないのだ。
「ですから私は、白砂漠にはないと思って赤砂漠に絞り込んで参りたいと思います。仮に白砂漠でないからとカーズィバ殿と軍が反転して向かうことになったとしても、あちらは人数が人数ですから、すぐに次の赤砂漠へとは行かないでしょう」
 それに白砂漠にあると言って出ていったのだ。なかった場合でも、おそらく一度はジャミールに報告しに王都に戻るはずだ。
 王都を経由して赤砂漠へとなると、当然さらに日数はかかるだろう。
「わかりました。では、白砂漠の方は情報収集も兼ねまして、別の者に探りに行かせましょう」
「お願いいたします」
「で、赤砂漠のどの辺りを探すのですか?」
 すっと口を挟んできたファジュルと視線を合わせる。
「赤砂漠と言うよりは、赤砂漠と黄砂漠の境界線の所に行くのです」
「境界線、ですか?」
 ファジュルの瞳が大きく見開かれた。
「そうです。この王太女様がお貸しくださったこの記録簿によれば、確かに国内の砂漠ならば乳香も没薬も栽培することが出来るということですが、主に栽培地とされてきているのは、砂漠と砂漠の境目、砂漠の中にある国境沿いなど何かしらの境界線のような場所で多く栽培されていたそうです。砂漠をくまなく歩きまわって探すよりは、栽培地となった場所に行き、それらの土地の共通点を探し出して最も条件に近い場所を探そうと思っています」
「では国内三つの砂漠の内、最も多くの栽培地があったのはどこかご存じですかな?」
「白砂漠です。その次が赤砂漠、そして黄砂漠では栽培出来なかったとか」
「さすがですな。短時間でよくこの記録簿を読みこんでおられる」
 タージルはサマラが持ってきた記録簿を閉じて返した。
「わかりました。では、早速出立なさいませ」
「え?」
「事は一刻を争うのでしょう?」
「はい。でも、タージル殿やファジュル殿のご意見は?」
「サマラ様からそれだけ聞ければ十分です。私の持っている情報もサマラ様が持ってこられた書物の内容と大差はありません。ご自分でこの旅の方向性をしっかりとお考えのようですので、私は何も申し上げますまい。それに私の考えも、サマラ様とさして違いません」
「そうですか」
 あまりにも呆気ない大商人の言葉に、何とも肩すかしをくらわされたような気がする。サマラのような圧倒的に旅慣れない、世間に疎い、ただ書物を読んだだけの計画をそのまま採用されるとは思わなかった。
「何かございますか?」
「いえ、大丈夫です」
 そういうのが精一杯だった。
「急ぎご出立ください」
 なぜかタージルから急き立てられるように、サマラは無理やり砂漠に出るための旅支度を奥の部屋で整えさせられた。
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