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王の訪れ

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 アーシャはラアナの文様を読んで以来、ますます頻繁に書庫に通い詰めていた。
 ともすれば、午後の体力作りや実験の時間も削るぐらいに。
 ファディーラも心配をしていたのだが、アーシャは気づかないふりをして、過去の巫女たちの書物の中でも、日記の類を片っ端から読み直していた。
 
 そんなある日のこと。
 夜も更けてもうすぐ休もうかと思っていた矢先に、ダミールがアーシャの部屋を訪ねてきた。
 ファディーラに一途で、自分の部屋を訪ねてくるなどありえなかったはずなのだが。
 怪訝な表情のアーシャに、ダミールは苦笑いしながら入ってきて寝台近くの椅子に腰かけた。
 ラダーは飲み物や菓子の盆を卓上に置くと、入れ替わりに一礼して廊下へと出て行った。
「不思議に思っているのだろう?」
「は、はい。もうこちらには来られないと思っていましたので」
「私もそうするつもりだったのだが。ファディーラがな……」
 ダミールは頬をかきながら、ぽつりと話した。
「王妃さま、ですか?」
「そうなのだ。ファディーラが、何もしなくても定期的にそなたの部屋を訪れたほうが良いと強く私に勧めるのでな」
「なぜ?」
「そなたには言いにくいのだが、このまま私がそなたの部屋に行かないということは、側室を勧める家臣たちの声が、またうるさくなってしまうことになってしまうらしいのだ」
 ダミールは長らくファディーラ一人に深い愛情を注いでいた。
 しかしファディーラには、これまでなかなか懐妊の兆しがなかった。
 そのため、常に王宮では家臣たちが自分の娘を側室に上げさせてくれと、ダミールに上申していたのだ。
「そなたには申し訳ないのだが、最初から私は出来るだけ出身身分の低い巫女を降嫁巫女に選ぼうと思っていた。もちろんファディーラがそなたを勧めてくる以前の話だ」
 ダミールの話は続く。
「私も、降嫁巫女だけは国のためにも望まないでいることは出来なかった。だから、一つ思いついたのだ。降嫁巫女には申し訳ないが、元々の身分が低い巫女ならば、家臣たちも自分の娘が庶民の娘の風下に立つのは嫌だろうと思うだろう。それに、もし自分の娘が私の御子を産んだとしても、降嫁巫女が私の御子を産めば即座に『神の御子』と呼ばれて世継ぎとされてしまうしな。まあ、ファディーラの子供が王女だった場合の話だが」
「しかし、それには逆の場合も考えられますよね?」
 首を傾げながらアーシャは指摘した。
「ああ。家臣たちも遠慮するような高貴な身分の降嫁巫女だった場合だろう?」
「そうです」
 先代のラアナのように。
「そういうことも考えた。だがそういう高位の身分出身者に限って誇り高いばかりで、そなたのように物分かりはよくないだろう? ただでさえ私は側室など迎えたくないのに。下手に元王女や元貴族の娘などを迎えたら、逆に積極的にファディーラを害そうなどと考えて、実家の国と結託したりして、このハジャルの後宮の秩序をめちゃくちゃにしかねない」
「確かにそうですね」
 往々にして、元王女だの元貴族の娘などは、神殿に上がっても居丈高な態度は変わらなかった。
 いくら大巫女や姉巫女たちに、出身身分に差はあれども今は皆同じ大神に仕える巫女だ、と説明されても決して心から納得してはいなかった。
 マフルも、アーシャの前では多少控えてはいたものの、どこかに『私は貴族の娘だ』という誇りはあったように思う。
「というわけで、庶民出身のそなたを迎えたし、ファディーラは出産間近ということで、私宛の側室申し入れの上申書は、現在格段に減ったというわけだ」
 だがファディーラは、上申書が減ったと呑気に喜んでいるダミールに、こう訴えたのだという。
『降嫁巫女を迎えても、そこに定期的に陛下が訪れなくては、王はやはり自分たちを牽制するためと香料のためだけに身分低い巫女を迎えただけなのだと家臣たちがいずれ確信することになるでしょう。王には降嫁巫女との間に子供をもうける気がないのだと結論づけられて、また側室を迎えるようにと上申書が届くようになりますわよ』と。
「ファディーラにあのように言われてしまうと、私は何とも言えなくてね。それもそうだと思ったしな。そなたには申し訳ないが、何もしないのでしばらく定期的に私が訪れることをわかってくれるとありがたい」
「わかりました」
 端から見れば、何と酷い言い分なのだと憤慨しても仕方がないのだが、アーシャは怒らなかった。
 いや、ここまで素直に話してくれる王に対してただ単に怒れなかっただけなのだ。
「このことは別にそなたには話すつもりはなかったのだが、だが話さねばそなたも私の行動に不信感を抱くだろう?」
「そうかもしれませんね」
「まあ、これからは時々よろしく頼む」
「かしこまりました」
 アーシャは丁寧にダミールに礼をすると、寝台を勧めた。
 そうして灯火を消すと、自分自身は長椅子の方で丸くなった。
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