天に掲げよ!懸かり乱れの龍旗を!〜もし上杉謙信が天才軍師を得ていたら〜

友理潤

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第一部・第一章 臥龍飛翔

勝つとは何か

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 地獄と化した小さな村。
 その中で辰丸と思しき少年が、全身を血に染めて小島弥太郎と宇佐美定勝の方へ、ゆっくりと近づいてきた。


「辰丸か……」


 弥太郎が思わず声をかけたが少年は何の反応も示さない。
 それでも背格好や声からして辰丸であることは明白であった。
 
 しかし彼の表情は昨日とはまるで別人のような凄味がある。
 
 辰丸はぼそりと呟いた。
 
 
「仕官を断った理由……」


 その言葉に弥太郎と定勝は大きく目を見開いた。
 
 
 まさかこの光景に仕官を断った理由があると言うだろうか。
 
 
 この地獄のような光景に――
 
 
 なにも言葉を出せないでいる二人。
 辰丸は彼らを睨みつけながら続けた。
 
 
「長尾景虎様は強い…… しかし戦に勝つことだけが正しいとは限らない」

「ど、どういうことか……?」



「見れば分かるだろうが!! この光景を!! 」



 それはあまりにも突然のことだった。
 
 辰丸がまるで獅子が吠えるような咆哮を上げたのである。
 
 
 ビリビリと震える空気。
 
 
 弥太郎と定勝はあまりの気迫に固まってしまった。
 
 そして辰丸はなおも天まで届くような声で続けたのである。
 
 
「知っていたのだ! 景虎様がこの地での戦いに勝った後、村の人々がかような目に遭うことを!! 知っていたからこそ、お誘いを断り、この場に残ったのだ!! みなを助ける為に!!」


「し、しかし…… お屋形様が武田を追い払ったではないか……」


「だからこうなったのだ!! なぜそれが分からないか!? 景虎様が勝ったからこそ、こうなったのだということが、なぜ分からぬ!! 」


 なおも感情的に続ける辰丸。
 
 しかし弥太郎には辰丸の言い分が全く理解出来なかった。
 目の前で嘆き悲しむ辰丸のことが理解出来ないもどかしさは、そのままいらつきへと変わっていく。
 そして彼もまた叫ぶように問いかけたのだった。
 
 
「分からぬ!! お屋形様がこの地を武田から守ったのではないか! 守って何が悪い!! 」


「勘違いするな!! 守ったのはわれら村の民ではなかろう!! 」


「な…… なに……? 」


 そして辰丸は感情を爆発させながら、ひと際大きな声を張り上げたのだった。
 
 
 
「己の信念と意地!! ただそれだけであろう!! でなければ、なぜこの村の近くに兵を置いていかなかった!? 」



 と……。
 
 
 まるで両方の頬を思いっきり張られたような衝撃が定勝と弥太郎の二人を襲った。
 
 
 何も言えない。
 何も言えるはずもない。
 
 
 なぜなら微塵も考えたことがなかったからだ。
 
 
 戦に勝つとは何か。
 
 そして、村を守るとは何か、ということを。
 
 何も出来ずにただ立ちつくす定勝と弥太郎。
 
 そんな彼らを尻目に辰丸はゆっくりと歩き始めた。
 
 そして亡骸の前にかがむと、髪を少しずつ切り取り始めたのだ。
 
 
 河原に転がっている全ての亡骸に対して、まるで供養するかのように――
 
 
「景虎様がこの村の武田様の兵たちを追い払って、そのまま立ち去った後のこと…… 
逃げていた村の人たちはみな安心して戻ってきた……
けどこうなることを知っていたから……
だから『もう一度山へ逃げ込むように』と何度も何度も頼んだ……」


 ゆっくりと気の抜けた口調で語り始める辰丸。
 
 陽は傾き、亡骸のもとで屈みながら髪を切る辰丸の影も長く伸びている。
 
 
「しかしそんな事は聞き入れられなかった。『俺たちには長尾様がついているから安心だ』と言って……」


 その言葉を耳にした瞬間、定勝がハッと顔を上げた。
 
 
「まさか…… 武田軍がここに戻ってきたのか……? 」


 ぴくりと辰丸の肩が震える。
 しかし彼はそれ以上の反応を示すことなく続けた。
 
 
「戦に敗れ、この地が手に入らないと知った武田様の兵たちが行う事と言えば一つしかありません」


「この地にある全てを奪い、働き手である男たちを皆殺しにすること……」


 定勝は顔を青から白に変えて漏らすようにつぶやく。
 弥太郎は再び吐き気をもよおしたのか「おえっ」といいながらうつむいてしまった。

 それは皮肉なことであった。


 この地を治める高梨政頼の求めに応じて長尾景虎はこの地を守った。
 しかしもし仮に武田軍によってこの地の支配権を奪われていたならば、
 武田軍の兵たちは農民たちを惨殺するような暴挙に出なかったはずだ。

 ところが実際には武田軍は敗れた。

 すなわちこの地から『正当な収穫を得る権利』が得られなかったのだ。
 こうなれば武田軍ができることと言えば、不当なやり方でこの地の収穫を奪うことだ。


 そして、敵の戦力をそぐ為に未来の収穫を奪うこと。


 さらに悪いことにこの村を守るべき長尾軍はすでに全軍飯山城へと引いてしまっているのである。


 こうなれば必然的に起こることは予想出来よう。


 そのことを辰丸少年は戦が起こる前から考えを巡らせていたというのだ。


 定勝はここに来る前に弥太郎が「不思議な少年」と評していたことに合点がいった。
 そして辰丸のことを求める主君の景虎の気持ちも同時に理解できたのである。


 辰丸は続けた。
 
 
「それだけではありません。家々には火をつけ……つまり悪逆の限りを尽くしたのです」

「おのれ…… 武田め……! 」


 いつの間にか弥太郎は顔を真っ赤にさせて拳を固く握りしめている。
 しかしそんな彼に対して、辰丸は……
 
 
――フフッ……


 と、鼻で笑ったのだ。
 
 そして冷水を浴びせるように続けた。
 
 
「長尾様の兵たちが同じことをしないとでもお思いか……? 
結局はたまたまこの地を守るのが長尾様であり、敗れたのが武田様であったというだけのこと。
もしも立場が逆なら長尾様の兵たちも同じことをしたに違いありませぬ」


 そんな辰丸の言動に弥太郎は感情をあらわにした。
 

「ふざけるな!! 長尾の兵を愚弄することは、お屋形様を愚弄したも同じこと!! 今すぐ謝れ!! 」
「弥太郎!! やめよ!! 」


 温厚な定勝が今までに聞いたことがないほどの大きな声で一喝すると、
 驚いた弥太郎は思わず振り上げた拳を下ろした。
 
 
 そして定勝は穏やかな口調に戻して、なおも亡骸の髪を切り続けている辰丸の背中に向けて問いかけたのだった。
 
 
「かように酷い事をする侍を恨んでおるか……? 」


 その問いかけに辰丸の手が止まる。
 彼は絞り出すように答えた。
 
 
「……いえ」


「さようか…… ならば世を恨むか? 」

 
 その問いかけに、辰丸の肩が小刻みに震え始めた。
 
 
 今、彼の胸の内にあるのは無力感のみだ。


 悔しい。
 何も出来ない自分が憎い。
 
 行き場のない無念さは大粒の涙となって流れ落ちていく。
 
 
 すると定勝は辰丸の肩にそっとを手を乗せた。
 
 
 そして驚くべきことを口にしたのである。
 
 
「そんな世を変えてみようとは思わぬか。お主のその手で……」


「えっ……?」


 思わず目を丸くして定勝の方へと視線を向けた辰丸。
 その視線の先には、引き締まった表情で辰丸を見つめる定勝の姿があった。
 
 そして熱のこもった声で定勝は続けたのだった。
 
 
「この地の民たちが平穏に暮らせるような世を作ってみたいとは思わぬか? と聞いておる」


「さ、されど……」


「かようなことは出来ぬと初めから諦めて背を向けるか? それとも己の信念を果たす為に前を向くか? お主はどちらだ? 」


 定勝の言葉に戸惑う辰丸。

 彼は今まで考えたこともなかったのだ。

 
 自分が世を変えることなど……。

 
 しかし定勝はそんなことは造作もないことと言わんばかりに続けたのであった。
 
 
「お主はお屋形様の戦を『己の信念と意地に勝つためだけ』と評した。
しかし俺はそれを悪いことだとは思わない。なぜならそれで世が少しでも良くなるとお屋形様は信じておられるからだ!
ならばお主も起こしてみればよい! 」


 肩から感じる定勝の手が燃えるように熱くなる。

 辰丸はゴクリと唾を飲み込んだ。
 

 そして、定勝は目に光を灯して言った。
 
 
 
「己の信念を貫く為の戦を!!」


 
 辰丸は穴が空くほど定勝の顔を眺めていた。
 
 
 川中島の民が平穏に暮らせる世を作る信念……。
 そして、己の信念を貫く為の戦……。
 
 
 辰丸の心の中に、今までにないほどの熱い何かが渦巻く。

 体の体温は一気に上昇し、額からは汗が噴き出してきた。

 腹の底から湧きあがる情熱は、彼の瞳の奥に確かな炎をともした。

 絶望に打ちひしがれた体に、活力が清流のように流れ込んでくる。

 思わず叫び出したくなる衝動を、どうにか抑える為に拳を強く握り締めた。
 
 

 それはまさしく、臥龍が飛翔する時であった――
 
 
 
 辰丸は静かにうなずいた。
 
 
 すると定勝は辰丸の肩に置いていた手を離し、彼の目の前に差し出した。

 そして口元にニヤリとした笑みを浮かべて言ったのだった。


「お主の信念を果たす戦……俺も手伝おうではないか! 」
 
 
――ガチッ!!


 辰丸と定勝の手が力強く握られる。
 そして定勝はようやく自分の名を名乗ったのだった。
 
 
「俺は宇佐美定勝。長尾家重臣、宇佐美駿河守定満の嫡男だ。よろしく頼む」


「辰丸と申します…… よろしくお願いいたします」


 辰丸が小さな声で挨拶をすると、
 慌てたように弥太郎も手を重ねてきた。
 
 
「おいらも忘れられたら困るぜ! 小島弥太郎だ! てめえの事はあんまり気に入らねえが、困った事があったらおいらに相談してもらっても構わねえからな! 」


 弥太郎の言葉に辰丸は口元を少しだけ緩めると、コクリとうなずいた。
 
 
 山間の大きな夕日は、三人を橙色に輝かせた。
 
 
 辰丸、宇佐美定勝、そして小島弥太郎――
 
 
 後に上杉家に欠かせぬ存在になっていく三人が、初めて手を取り合った瞬間であった――
 
 

「ではもうすぐ陽も暮れる。辰丸の遺髪集めを手伝って、早くここを発つこととしよう。ここらはまだ武田の兵たちもうろついていることだろうから」


 ここでは年長者の定勝が辰丸と弥太郎の二人を見ながらそう提案した。

 弥太郎は「げえ…… 亡骸から髪を切るなんて、おいら嫌だな」と文句を言いながらも定勝の言葉に従おうと、腰に差した短刀を引き抜こうとしている。
 
 
 しかし辰丸は口を真一文字に結んで首を横に振ったのである。
 
 
「どうした? 辰丸、何か言いたいことがあるなら申してみよ」


「私にはまだやらねばならぬ事があるのです」


「やらねばならぬ事? はて? 遺髪の他に集めるものでもあるのか? 」


 辰丸はもう一度首を横に振る。
 そしてぐっと腹に力を込めて言った。
 
 
「村の女と子供たちを守ること」


 その言葉に定勝は「まさかっ!?」と驚き、急いで周囲を見渡した。
 すると案の定、ほとんど見当たらなかったのである。
 
 女と子供の亡骸が……。
 
 
「まだどこかに隠れているということか!? 」


 辰丸は静かに首を縦に振った。
 さらに彼は言葉に力を込めて言葉を締めくくったのだった。
 
 
「その為に悪逆非道の無法者たちにこの手で鉄槌を下す!! 」


 とーー
 
 

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