天に掲げよ!懸かり乱れの龍旗を!〜もし上杉謙信が天才軍師を得ていたら〜

友理潤

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第一部・第一章 臥龍飛翔

一変した景色

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弘治3年(1557年)6月19日――


 長尾景虎が飯山城に入った翌日。
 その日は朝から評定の間に重臣たちが集まっていた。
 無論、今後の戦の進め方を協議するためであり、景虎が言い出したものであった。

 しかし評定が始まる時間になっても景虎は姿を現さなかったのである。
 そして重臣たちを代表して景虎の様子をうかがいに行った千坂景親は、戻ってくるなりこう告げた。


「今日の評定は取りやめ。各々城にて待機せよ。とのことにございます」


 重臣たちの間でにわかに動揺が走ったのは言うまでもないだろう。


――お屋形様はどこかお怪我でもされたのではないか?

――いやいや、きっと深いお考えがあるに違いない!

――武田と北条の動きを見ておられるのだ!


 みなそれぞれに景虎の胸の内を察している。
 しかしその中で宇佐美定満と千坂景親の二人だけは、真実に気づいていた。
 
 それは単にヘソを曲げているだけであることを……。

 しかもその原因が農民の少年に仕官の誘いを断られたことだとは、口が裂けても披露出来るものではない。

 定満はなおもざわつく周囲に向けて声を大きくして言った。


「では方々! 今日はここまでということで、城の周囲の警戒でも当たりましょうぞ! 」

「そうですな! いつ敵が来ても迎え撃てるように準備を怠りなくいたしましょう! 」


 千坂景親も大きな声で定満に同調すると、みなもそれに倣って部屋を後にしていったのだった。

 定満もその輪の中に入って行動を共にする。
 そして彼は心の中で願わざるを得なかったのである。

――定勝、それに弥太郎……。くれぐれも頼んだぞ!


 と――

………
……
「けっ! なんでおいらがおっさんとこんな所に来なきゃいけねえんだよ!? 」


 そう口を尖らせたのは小島弥太郎であった。
 彼は今、宇佐美定満の指示のもと、とある場所に足を運んでいた。
 しかし同行相手のことが気に食わないらしい。

 その同行相手とは、宇佐美定勝。
 長尾家重臣の宇佐美定満の息子である。
 小太りのどこにでもいそうな、冴えない中年。
 いつも眠そうな目をしているのが特徴の温厚な人だ。
 彼の年齢は四十。十五の弥太郎にしてみれば十分な『おっさん』な訳である。

 しかし親子ほども歳が離れている弥太郎からケチをつけられても、定勝はにこにことした笑顔を崩さなかった。


「まあ、そうかっかするでない。何事も楽しみと思えば、人生豊かになるものだ」

「うるせいやいっ! なんでおいらがおっさんなんかに説教されなきゃなんねえんだ! それにおいらは槍働がしてえのに、なんだい!? 人を連れてこいだと!? しかもあの変なやつを……」


 そう言いかけて弥太郎はその人物のことを思い浮かべると思わず身震いした。
 そんな弥太郎を見て定勝は大きなお腹をさすりながら笑った。


「あはは! 鬼にも怖いものがあったか! 」

「う、うるせいやいっ! べ、別に怖くなんかねえよ! ただ……」

「ただ?」


 どこかばつが悪そうにそっぽを向く弥太郎。
 そして彼はボソリと呟くように言ったのだった。


「……不思議な奴なんだよ。何を考えてるのか、よく分からないって言うか……」


 定勝は弥太郎を見て、目を細める。
 そして彼の頭をぐわしっと荒々しくなでながら言ったのだった。


「よしっ! 俺も楽しみになってきたぞ! その辰丸とかいう男に会うのが! 」


 と。


………
……
 同日 夕刻――


 川中島の犀川ほとりに着いた弥太郎は、目の前に広がる光景を見て唖然としてしまった。

 昨日ここで見た景色が一変していたのである。

 昨日は確かにこの場所にあったのは、一面に広がる金色の麦畑。
 初夏に照らされた犀川の川面がキラキラと輝くその様と絶妙に融け合った景色は、美しいのただ一言に尽きるものであった。

 しかし今目の前に広がっているのは、まさに……。


 地獄の一言だった――


 犀川は人々の亡骸が無造作に転がり、
 金色だった麦畑は無惨に荒らされている。
 もちろんたわわに実った麦の穂などどこにも見当たらない。

 輝く色は全て消え去り、そこにあるのは赤と黒の血の色だけ……。
 これを地獄と言わずして何と表現できようか。


「ひでえ…… うえっ! 」


 思わず弥太郎はその場で吐き気を催してしまった。
 あまりのおぞましい光景に汗は止まらず、呼吸することでさえ苦しい。
 普段はにこにことした笑顔を崩さない定勝でさえもこの時ばかりは表情を険しいものに変えている。


「乱取りか……」


 乱取りとは兵たちが農村で働く略奪行為のことである。
 しかし大抵の場合、ここまで血濡れたものにはならない。
 なぜなら農民たちは抵抗することもなく兵たちに物資を差し出すからだ。
 もちろん人さらいも横行しており、その際は激しく抵抗する。
 それでも河原を埋め尽くすほどの亡骸などあり得るはずもないのだ。

 なぜなら彼らは貴重な働き手であるのだから。

 彼らがいなくてはいくら豊かな土地があっても実りを迎えることはない。
 すなわち農民たちの存在は土地を治める豪族や大名たちにしてみれば貴重なものだったのだ。

 しかしではなぜここにはこんなにも亡骸が死屍累々と積み上げられているのだろう。

 若い弥太郎だけではなく、壮年の域に入った定勝にもてんで見当がつかなかった。


 ……と、その時だった。


 一人の少年がこちらに向かって、ゆらりゆらりと体を揺すらせながら近づいてきているではないか。


 見れば全身を血に染めて、目だけがギョロリと浮き上がっているよう。
 鬼のような形相で弥太郎と定勝を睨みつけている。
 
 それはまさにこの世の者とは言い難い姿であった。

 そしてその少年は小さな声で口を開いたのである。


「……これが仕官を断った理由」


 か細くて折れてしまいそうな口調。
 弥太郎はその口調に聞き覚えがあった。

 それは彼らが飯山城に連れてこいと命令を受けた目的の人……。


 辰丸だった――
 
 
 
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