121 / 289
受け入れたくない
120
しおりを挟む
クラブを出ると、史の携帯電話がなった。その相手に、史は顔色を変えない。
「もしもし。」
話をしている。祥吾はその様子を横目に、タクシーを捕まえようと手を挙げようとした。すると清子が祥吾に声をかける。
「冬山さん。」
「何かな。」
「……あの……もし……何かあったら連絡をしていただけますか。」
「何か?」
「叔父はしばらくこっちの国に帰ってこなければいいと思ってますし、私の父も行方不明なのでしょう?」
「あぁ。」
「ご結婚もされてないとおっしゃってましたし、何かあれば……。」
すると祥吾は少し笑った。
「君は、本当にうちの助手に似ている。」
「え?」
「助手も勘が鋭くてね、無理矢理引きずるように私を病院へ連れていった。」
「……やはりそうだったんですね。」
祥吾は自分の胸に手を置いて言う。
「初期段階だった。そして……再発の可能性はゼロではない。」
「あの町の病院で受診されてるんですか?」
「あぁ。古くからの付き合いがある医師が居てね。今のところ何もないと言われている。」
嘘に聞こえる。本当は手遅れなのではないのかと疑う自分が怖い。
「清子さん。もし何かあったら、ここへ連絡を入れてくれないだろうか。」
巾着袋の中から財布をとりだした。そしてその中から一枚の名刺を清子に手渡す。
「弁護士事務所?」
「あぁ。そこの林という人物を訪ねてくれ。信用がおける人物だ。」
真実だろうか。それはわからない。だが祥吾を今日正面から真っ直ぐ見て、どことなく祖母と被った気がする。個室の病室で、苦しそうに息をしていた。意志の疎通は出来ず、言葉を交わすことも出来ない。そんな祖母の顔に。
「祖母は……死に間際、ずっと子供の名前を呼んでいました。圭吾、祥吾、清吾、って……。やはり私ではないのです。いくら一緒に住んでいたとは言え、私はやはり「孫」であり、子供ではなかった。だから、本当はあなたたちに会いたかったのではとずっと思ってました。」
祥吾は清子に体を向けると、少し笑う。
「それも母の道だと思う。子供は育ててきたように育つから、看取ることもしない、葬儀にも出ないと言うのは、自分が育ててきたように育ったからそうなった。」
「私が何もかもしました。祖母を看取ったのも葬儀も四十九日も。」
「君の他に身内が居なかったからだろう。そして……私が死んでも、誰も看取らない。私もそういう道を歩んできたのだから。だから私も唯一の身内である君にそれを託した。」
手の中の名刺を清子はぎゅっと握る。
「悪いようには言っていない。あぁ……そうだ。時間があるときでいいので、その事務所に顔を出しておくと良い。」
「はぁ……。」
「あっちも疑うのが仕事だからね。本当に私の身内なのかというのも疑ってかかると思う。」
すると祥吾は清子の肩に手をおくと、少し笑った。
「頼んだよ。」
肩から手を離されて、祥吾はタクシーに手を挙げた。そのとき史も電話を終えて、二人の元へ近づく。
「徳成さん。どうやら課の人たちはみんなでこの近所にある久住の家にいるらしい。」
反射的に清子はその名刺をバッグにしまって史をみる。
「そうなんですか。」
すると祥吾は少し笑って言う。
「大学生みたいだな。みんなで集まって飲んでいるのだろう。」
「社会人でもそんなことをすることもありますよ。特に、うちの課は未だに十代のように盛んですから。」
「若いものだ。うらやましいよ。」
「君はどうする?」
すると清子は少し迷ったが、首を横に振る。
「私は帰ります。明日も用事があるし……いい加減化粧を落としたい。」
「そう?」
すると祥吾の前に一台のタクシーが止まった。祥吾はそれに乗り込む前、清子に言った。
「私も君もそして正木さんもよく飲んでいる。今日のことは、酔っぱらった戯れ言だ。真実かどうかはわからないから。」
「えぇ。そうでしょうね。」
だから本気に取るな。そう言われているようだった。
「お疲れさまです。」
史がそう言うと、祥吾はわずかに頭を下げてタクシーに乗っていった。赤いテールランプが光り、清子は息を付く。
「本当に行かない?」
「えぇ。さすがに疲れましたし、足がもう限界で。」
「足?」
「ヒールに慣れてなかったから、足が凄く痛いんです。早く素足になりたい。」
その言葉に史は少し笑った。清子らしいと思いながら。
「一人で大丈夫?」
「どうしてですか?」
知りたくないことも知ってしまった。それを史は危惧していたのだ。清子が死を選ぶことも考えられる。それくらいハードな真実だった。
「今までのことを考えると、心配になるよ。」
「大丈夫です。」
また強がった。そうだ。今日の清子はずっと強がっている。きっと社長にも会ったのだろうが、強気ではないと相手の思うままになってしまう。そう思っているのかも知れない。
タクシーをまた捕まえようと、清子は流れる車を見ている。それを見て、史はまた携帯電話を取り出した。
「うん……騒いでいないかな。たとえば近隣の迷惑になっているとか……。大丈夫か?……そうだね。怒られるのは久住だけじゃない。会社に泥を塗るかも知れないんだ。居なくても頼んだよ。」
史はそう言って電話を切った。
「居なくても?」
清子は不思議そうに史を見上げる。すると史は、少しほほえんで清子を見下ろした。
「今日はついていてあげるから。」
「結構です。私の問題ですから。」
タクシーを止める手を史は思わずつかんだ。すると清子は思わず眉をひそめる。
「やめてください。」
「一人で耐えれないと思う。俺なら、耐えれない。」
「ずっと一人だったんです。だから……。」
「嘘。」
史はそう言ってその手のひらに手を重ねた。
「泣いても良い。俺しか見てないから。」
「泣きたくなんかありません。良いから離して。」
あくまで祥吾の前にいたのは、会社の問題だからだ。それ以上のことは何もない。ましてや感情などで動くはずがない。
「でも……。」
「良いから離して。」
ふりほどこうとしているのに、握られている手を離そうとしない。それどころか、史はその手を持ち上げるとその手の甲にキスをする。
「俺がいる。頼って欲しい。」
その言葉に清子は手を下ろした。視線を逸らして少しうつむく。その頬は少し赤くなっているようだった。
「……困ります。」
「どうして?」
「一人ですから。これからも一人で生きていくんです。その決意が揺らぐから……困る。」
その言葉に史は思わず手を引き寄せようとした。一人など言わせたくない。
「清子……。」
そのとき、清子の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。どうやらまだ飲んでいた人がいるらしく、その集団らしい。
「タクシーを今捕まえないと乗れませんね。編集長は帰るんですか?」
そう言って清子は腕をふりほどく。すると史は少し笑っていった。
「どっちに帰る?」
「え?」
「俺がそっちに行っても良いし、君がこっちへ来ても良い。」
「……一緒にいることが前提ですか?」
「そうだね。今日は一人にさせたくないから。」
清子は少しため息を付くと、タクシーに手を挙げた。するとタクシーは清子の前で止まり、ドアが開いた。清子がそれに乗り込むと、史も乗り込んでくる。
「S方面へお願いします。」
「編集長。」
たしなめるように言ったが、史は少し笑って言う。
「どちらにしても君は足が痛いとさっき言っていた。治療する道具なんかないんだろう?うちにはあるから。」
どうして弱音を言ってしまったのだろう。清子は深くため息を付いて、その流れる景色を見ていた。
「もしもし。」
話をしている。祥吾はその様子を横目に、タクシーを捕まえようと手を挙げようとした。すると清子が祥吾に声をかける。
「冬山さん。」
「何かな。」
「……あの……もし……何かあったら連絡をしていただけますか。」
「何か?」
「叔父はしばらくこっちの国に帰ってこなければいいと思ってますし、私の父も行方不明なのでしょう?」
「あぁ。」
「ご結婚もされてないとおっしゃってましたし、何かあれば……。」
すると祥吾は少し笑った。
「君は、本当にうちの助手に似ている。」
「え?」
「助手も勘が鋭くてね、無理矢理引きずるように私を病院へ連れていった。」
「……やはりそうだったんですね。」
祥吾は自分の胸に手を置いて言う。
「初期段階だった。そして……再発の可能性はゼロではない。」
「あの町の病院で受診されてるんですか?」
「あぁ。古くからの付き合いがある医師が居てね。今のところ何もないと言われている。」
嘘に聞こえる。本当は手遅れなのではないのかと疑う自分が怖い。
「清子さん。もし何かあったら、ここへ連絡を入れてくれないだろうか。」
巾着袋の中から財布をとりだした。そしてその中から一枚の名刺を清子に手渡す。
「弁護士事務所?」
「あぁ。そこの林という人物を訪ねてくれ。信用がおける人物だ。」
真実だろうか。それはわからない。だが祥吾を今日正面から真っ直ぐ見て、どことなく祖母と被った気がする。個室の病室で、苦しそうに息をしていた。意志の疎通は出来ず、言葉を交わすことも出来ない。そんな祖母の顔に。
「祖母は……死に間際、ずっと子供の名前を呼んでいました。圭吾、祥吾、清吾、って……。やはり私ではないのです。いくら一緒に住んでいたとは言え、私はやはり「孫」であり、子供ではなかった。だから、本当はあなたたちに会いたかったのではとずっと思ってました。」
祥吾は清子に体を向けると、少し笑う。
「それも母の道だと思う。子供は育ててきたように育つから、看取ることもしない、葬儀にも出ないと言うのは、自分が育ててきたように育ったからそうなった。」
「私が何もかもしました。祖母を看取ったのも葬儀も四十九日も。」
「君の他に身内が居なかったからだろう。そして……私が死んでも、誰も看取らない。私もそういう道を歩んできたのだから。だから私も唯一の身内である君にそれを託した。」
手の中の名刺を清子はぎゅっと握る。
「悪いようには言っていない。あぁ……そうだ。時間があるときでいいので、その事務所に顔を出しておくと良い。」
「はぁ……。」
「あっちも疑うのが仕事だからね。本当に私の身内なのかというのも疑ってかかると思う。」
すると祥吾は清子の肩に手をおくと、少し笑った。
「頼んだよ。」
肩から手を離されて、祥吾はタクシーに手を挙げた。そのとき史も電話を終えて、二人の元へ近づく。
「徳成さん。どうやら課の人たちはみんなでこの近所にある久住の家にいるらしい。」
反射的に清子はその名刺をバッグにしまって史をみる。
「そうなんですか。」
すると祥吾は少し笑って言う。
「大学生みたいだな。みんなで集まって飲んでいるのだろう。」
「社会人でもそんなことをすることもありますよ。特に、うちの課は未だに十代のように盛んですから。」
「若いものだ。うらやましいよ。」
「君はどうする?」
すると清子は少し迷ったが、首を横に振る。
「私は帰ります。明日も用事があるし……いい加減化粧を落としたい。」
「そう?」
すると祥吾の前に一台のタクシーが止まった。祥吾はそれに乗り込む前、清子に言った。
「私も君もそして正木さんもよく飲んでいる。今日のことは、酔っぱらった戯れ言だ。真実かどうかはわからないから。」
「えぇ。そうでしょうね。」
だから本気に取るな。そう言われているようだった。
「お疲れさまです。」
史がそう言うと、祥吾はわずかに頭を下げてタクシーに乗っていった。赤いテールランプが光り、清子は息を付く。
「本当に行かない?」
「えぇ。さすがに疲れましたし、足がもう限界で。」
「足?」
「ヒールに慣れてなかったから、足が凄く痛いんです。早く素足になりたい。」
その言葉に史は少し笑った。清子らしいと思いながら。
「一人で大丈夫?」
「どうしてですか?」
知りたくないことも知ってしまった。それを史は危惧していたのだ。清子が死を選ぶことも考えられる。それくらいハードな真実だった。
「今までのことを考えると、心配になるよ。」
「大丈夫です。」
また強がった。そうだ。今日の清子はずっと強がっている。きっと社長にも会ったのだろうが、強気ではないと相手の思うままになってしまう。そう思っているのかも知れない。
タクシーをまた捕まえようと、清子は流れる車を見ている。それを見て、史はまた携帯電話を取り出した。
「うん……騒いでいないかな。たとえば近隣の迷惑になっているとか……。大丈夫か?……そうだね。怒られるのは久住だけじゃない。会社に泥を塗るかも知れないんだ。居なくても頼んだよ。」
史はそう言って電話を切った。
「居なくても?」
清子は不思議そうに史を見上げる。すると史は、少しほほえんで清子を見下ろした。
「今日はついていてあげるから。」
「結構です。私の問題ですから。」
タクシーを止める手を史は思わずつかんだ。すると清子は思わず眉をひそめる。
「やめてください。」
「一人で耐えれないと思う。俺なら、耐えれない。」
「ずっと一人だったんです。だから……。」
「嘘。」
史はそう言ってその手のひらに手を重ねた。
「泣いても良い。俺しか見てないから。」
「泣きたくなんかありません。良いから離して。」
あくまで祥吾の前にいたのは、会社の問題だからだ。それ以上のことは何もない。ましてや感情などで動くはずがない。
「でも……。」
「良いから離して。」
ふりほどこうとしているのに、握られている手を離そうとしない。それどころか、史はその手を持ち上げるとその手の甲にキスをする。
「俺がいる。頼って欲しい。」
その言葉に清子は手を下ろした。視線を逸らして少しうつむく。その頬は少し赤くなっているようだった。
「……困ります。」
「どうして?」
「一人ですから。これからも一人で生きていくんです。その決意が揺らぐから……困る。」
その言葉に史は思わず手を引き寄せようとした。一人など言わせたくない。
「清子……。」
そのとき、清子の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。どうやらまだ飲んでいた人がいるらしく、その集団らしい。
「タクシーを今捕まえないと乗れませんね。編集長は帰るんですか?」
そう言って清子は腕をふりほどく。すると史は少し笑っていった。
「どっちに帰る?」
「え?」
「俺がそっちに行っても良いし、君がこっちへ来ても良い。」
「……一緒にいることが前提ですか?」
「そうだね。今日は一人にさせたくないから。」
清子は少しため息を付くと、タクシーに手を挙げた。するとタクシーは清子の前で止まり、ドアが開いた。清子がそれに乗り込むと、史も乗り込んでくる。
「S方面へお願いします。」
「編集長。」
たしなめるように言ったが、史は少し笑って言う。
「どちらにしても君は足が痛いとさっき言っていた。治療する道具なんかないんだろう?うちにはあるから。」
どうして弱音を言ってしまったのだろう。清子は深くため息を付いて、その流れる景色を見ていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる