不完全な人達

神崎

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来訪

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 壁に押しつけられて、史はそのまま清子の顎を持ち上げるとさらにキスを重ねた。頬が赤くなり、熱を持ったように火照ってくる。
 いったん唇を離されても、またそれを繰り返した。余りに強引な行為に、清子はいったん史を押しのけるように手をのばす。
「苦しいです。」
 そういって一旦深く息を吸い込む。そのとき、玄関のチャイムが鳴った。その音に清子は史をよけて玄関先に足を延ばす。
「はい。」
 ドアを開けると、そこにはまだ晶の姿があった。
「悪い。ケーブル忘れてねぇかな。」
 その言葉に清子は部屋を振り返る。すると机のそばに見覚えのない黒いケーブルがある。コンセントからそれを引き抜いて、また晶に手渡した。
「悪いな。」
 すると史が奥から出てきた。
「忘れてるものはないのか。」
「別にないと思うけど、あったとしても明日もらえばいいから。とりあえず電源コードがなきゃ話しになんねぇし。」
「久住。おまえがここに来ると連絡があって、俺がここに来るまでは一時間くらいあったはずだ。その間、清子とは何もなかったのか?」
 その言葉に納得したように晶は心の中で納得した。そして清子をみる。確かに史は束縛が激しいように見えるが、こんなにされたら清子も息苦しいのではないかと思う。
「何もねぇよ。何?疑ってんの?」
 すると史は携帯電話を取り出すと、そのメッセージに添付されている画像を見せた。そこには車の中で清子と晶がキスをしている場面で、場所はあの展望台だろう。
 その画像に清子が顔色を悪くした。だが晶は平然としている。
「誰が送ってきたの?」
「誰でもいいだろう。でもコレが事実なのか。」
「してるように見えるけどな。」
「え?」
 すると晶は頭をかいて、清子の方をみる。
「実際は触ってもねぇよ。」
「……え?」
 すると晶は清子の肩をつかむと、それを壁に押しつけた。そして近くまで寄り両頬に手を当てると、あと数センチで触れるというところでぱっと体を離す。
「見えた?キスしてるように。」
「……。」
「昔AVでもあっただろ?疑似セックスとか。」
「……あったという話しか聞いたことはない。それこそ、夕さんの時代なら当たり前だったかもな。モザイクで誤魔化していたようだし。」
 その携帯電話の画像をよく見ると確かに顔は近づけているが、清子の頬に手を当てていて触れているかどうかというのはわからない。
「裏の奴らが撮影してた。それを怪しんだたぶんヤクザが、こっちに向かってきたからこっちも今から始めるって空気出したんだよ。それを誤魔化すのに、清子を利用するって話はしていたじゃん。」
 話を聞きながら、清子は心の中でため息をつく。あのとき、しているふりではなく本当にキスをした。あの見せるようなキスをしたのをふりだと誤魔化せるのだろうか。
 史を見上げると、少しため息をついて携帯電話をしまった。
「話は聞いてた。清子。本当にふりだったのか?」
 ここでふりではないと言ってしまうのは簡単だろう。その方が自分も気が楽になる。この誤魔化しながら、嘘をつくのは正直疲れる。だが正直に言って史を傷つけるわけにはいかない。自分のためにずいぶん尽くしてくれたのだ。
 昨日は清子のためにと考えてくれたことを全てキャンセルしてでも、清子に合わせてくれたのだ。それを無駄にしたくない。
「久住さんと何かあったのは、ずっと前が最後です。十代の頃。気の迷いでした。」
 ずっと言っていたことを口にする。こんな事で誤魔化せるのだろうか。だが史は少し笑って、清子の頭に手を置く。
「信じるよ。疑って悪かったね。」
 その表情に清子の胸がずきっと痛む。こんなに信じてくれているのに、嘘をついている罪悪感があるからだ。
「にしても……誰がそんな画像を送ってきたんだ。」
 晶はそういうと、史はまた携帯電話を取り出す。
「……わからない。登録されている番号ではない。」
「知らない番号の本文は開かない方が良いですよ。ウィルスである可能性もあるから。」
「そうなんだけど……割とメーカーから送られてくることもあるから。」
 男優をしていたとき、史は事務所に籍を置いていなかった。籍を置いたのは、美夏のところにいたときだけだ。あとは自分で全てやるしかなかった。仕事の依頼も、税金も、金の管理も、全て自分だった。
 仕事の依頼は電話ではなく、メッセージで来ることが多い。そうではないと、金が振り込まれないなんて事もざらだった。そこで残る文章をとっておいて、あとから請求が出来るからだ。もっとも逃げてしまえばそれも回収できないが。
「番号ですか?」
「あぁ。ショートメールで送られてきた。」
「と言うことは、史の番号を知っている人なら誰でも送ることが出来る。そして、私たちに別れて欲しいと願っている人がやっていることでしょう。」
 一番別れて欲しいと思っているのは晶だろうが、その晶本人が史に送るとは思えない。
「別れて都合のいい人物か……。」
「そもそも恋人であるという事を知ってるヤツってのも限られるだろ?あんた、人気者だったんだから表立って恋人だなんて言えないんだろうし。」
 「pink倶楽部」の関係者なら、史の番号も史と清子の関係も全て知っている。そこが一番きな臭い。
 史は携帯電話を出して、清子にその画像を見せる。すると清子はその画像を見ながら言った。
「女性ですね。」
「何で?」
「車から写しています。ガラスに指先が微かに写っていますから。」
 画像を拡大させて、そのポイントをみる。そこには確かに細い指先が写っていた。その先には白いものが見える。
「マニキュアですね。」
「……マジか。」
 すると史は少しうなづいてその携帯電話を手にする。
「うちの課で、女性は四人。あ……清子も入れると五人か。」
「数に入れなくても結構です。」
 確かに自分のことを自分で史に暴露することはないだろう。
「……マニキュアを塗っているのは、明神と長井だな。」
 やはりそうか。清子はそう思いながら、ため息をついた。すると晶が史を見上げて言う。
「こう言っちゃ悪いけどさ。」
「何だ。」
「長井は結構やばいぜ。」
「……え?」
 その言葉に史は驚いたように晶をみる。
「他の課で長井のことを聞いたわ。文芸誌の前は漫画雑誌にいたみたいだけど、やっぱそこでも作家と寝て仕事を取ってるって噂があった。それに何も言えないのは、編集長と寝てるからだって。」
「……。」
「だから清子が邪魔なんだろ?それに……あいつ、こう言った写真を撮れるって事は、あっちの世界とも繋がりがあるんじゃねぇの?」
「あっちの世界?」
「つまり……ヤクザとか。」
 その言葉に清子は心の中で舌打ちをする。あっちの人たちと繋がりがあるというのは正直面倒だと思っていたからだ。
「だが決定的な証拠はないな。証拠もなしに疑えない。」
「……放っておいたらストーカーにでもなり得るぜ。」
 すると清子は少しため息をついて史に携帯電話を手渡す。
「どうしたんだ。」
「本当に身内で、長井さんが本当にこんな事をしたとしたら……長井さんは年を越す前に、退職すると思います。」
「え?」
 その言葉に、晶は驚いたように清子に聞く。
「ヤクザというのは金が全てです。久住さんがヤクザの依頼を受けて写真を撮っていたのは、こちらに報酬があるからいい。もし無くても、泣き寝入りすれば良いだけですから。でも長井さんがヤクザに依頼をしてこの写真を撮ってきてもらったとすれば、ヤクザが請求する立場です。」
「もしかしたらこの写真一つで、次々に請求が来るかもしれないって事か。」
「そんな相手に依頼をしない方がいいんですよ。長井さんも、久住さんも軽く考えすぎです。」
 いつもの清子だ。全ての相手に容赦がない。そして清子はこちらに降りかかってきた火の粉を払っただけ。そんな相手に同情することはない。
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