セックスの価値

神崎

文字の大きさ
11 / 172
出張ホスト

11

しおりを挟む
 春川が一番今頭を悩ませていたのは、「薔薇」の脚本作りだった。脚本家が作ってくれた台本とやらやプロットやらを見せてもらったが、あまりにもかけ離れた内容に監督ほかほかのスタッフから総すかんを食らったのだという。
 そこで彼女にお鉢が回ってきた。
 書いたことないと言いながらも、祥吾からは「やってみればいい」といわれてやっているのだ。
 だいたいもう作品として世に出したモノは、自分の手から放れているのだ。それからどうされようとどうでもいいのに、納得しないからと言って彼女に書いてもらうのはお門違いだと思う。
 ノンカフェインコーヒーを飲みながら、彼女はノートパソコンを開きその修正をしていた。
「はぁ……。」
 眼鏡を外して、目を擦る。そして向かいの席を見た。まだ桂は来ていない。あの集団から抜けるのは大変だろう。だからわざと一緒に出ようとは言わなかったのだ。
 そういって彼との距離をとる。そうではないと彼はきっと勘違いをするから。
 周りを見渡すと、やる気のない店員のほかには水商売の女や、まだ仕事をしているサラリーマン、試験前の学生がいる。水商売の女たちやホストたちは何か話し込んでいる。
「……。」
 そういえば出張ホストはいつだったか。見せて欲しいという無理な要求を聞くところだ。割と心が広いところなのかもしれない。
「さてと。」
 またパソコンの画面に目を落とそうとしたときだった。店内に男が入ってきた。コーヒーを買い、きょろきょろと見ている。そして彼女に気がつくと、その向かいに座る。
「本当に来たんですね。」
 春川はパソコンの内容を保存し、シャットダウンする。そしてそれをバッグの中にしまい込んだ。
「来ますよ。もし俺がこなかったら、二十四時まで仕事をしてたんですか?」
「えぇ。そのつもりでしたよ。昼間は動くことが多いので、仕事はどうしても夜が中心です。」
 いつ寝てるんだろう。桂はそう思いながら、コーヒーを口にした。
「メッセージ確かに来てましたね。」
「えぇ。本気ですか?」
「出張ホストの話?えぇ。北川さんには無理を言いましたけど、どうしても見たかったんで。」
「不自然でしょ?達哉だって……。」
「あぁ。お知り合いですか?」
「えぇ。後輩の男優です。今日も一緒に仕事してきたんです。」
「だからかぁ。なんで知ってんだろって思ったんですよね。あぁいう所って守秘義務とか厳しそうなのに。」
 コーヒーを口に含むその手を思わずみる。まだ銀色のリングが光っていた。
「達哉は見られてるの知っているけど、誰が見てるかまではわからないみたいでした。」
「えぇ。社長さんに秘密にしておいてくださいって言っておきました。見られてるのは話してもかまわないけれど、誰が見てるかとは。」
「でも一人で動くつもりですか?」
「そのつもりですよ。大丈夫ですって。一人で何かするのなんか慣れてますから。」
 笑い飛ばすが、高いお金を払ってホストを雇うのだ。一人でいける牛丼屋やカフェとはわけが違う。明らかに目立つだろう。
「あんたも雇えばいいのに。」
「そんなホスト居ないでしょ?そっちのカップルの観察したいので、何もしなくていいです。何ていう人居ます?」
「まぁ……難しいでしょうね。」
「だからいいんですよ。お一人様お断りのお店には行かないでくださいっていってあるし。」
「だったら……俺が。」
 言うと思った。だから彼とは距離を取っていたのに。
「いいんですよ。桂さん。そんなことをさせてはいけません。ね?あなたも十分目立ちますから。」
「春川さん。」
「はい?」
「どうして旦那さんはそういうことにつきあってもらえないんですか?あんたも小説を書いていて、旦那さんも書いているのでしょう?なのにあなたは旦那さんの要求には応えているみたいなのに、旦那さんはあなたの要求を聞かないんですね。」
「それは……それぞれの夫婦の形がありますし、それで私は幸せですから。」
「……俺にはそう見えないんですけど。」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「あなたはいつも旦那さんの話をするとき、一瞬真顔になるから。」
 その言葉に彼女は言葉を失った。そんなところまで見ているのかと。
「……。」
「春川さん。いつかあなたは結婚生活が幸せだと言ってましたけど、本当なんですか?」
「そんなことまで話したくありません。」
 不機嫌そうに彼女はコーヒーを飲み干すと、彼女の携帯電話が鳴る。相手は誰だろう。その携帯電話は仕事用ではなくて、プライベート用のモノだった。
「はい……。はい。そうですね。はい。すいません。」
 電話を切ると彼女はため息をついた。
「そろそろ帰ります。」
「旦那さんからですか?」
「えぇ。もうこんな時間になってしまったから、何をしているのかと。それからお使いモノを。」
 当然かもしれない。二十二時までのバイトをさせているのも非常識だが、それからずっと帰ってこなければどんな旦那でも心配するかもしれない。
「送りますよ。」
「あ、平気です。車、停めてますし。」
「じゃあ、駐車場まで。」
 本当に旦那だったのだろうか。
 まるでメイドとご主人様の関係のようだ。そういうプレイのAVも撮ったことはあるが、そんなに彼女が従順なのだろうか。旦那という人の顔を今日初めて見た。優しそうで綺麗な顔立ちをしている人だ。ご主人様なんていう単語は似合わないと思う。
 多くの疑問が残り、隣で歩く彼女に問いつめたいと思った。だけど出来ない。つなごうとした手が宙を泳ぐ。
 やがて近くにあるコインパーキングにたどり着いた。彼女はそれにお金を入れようとする。ダメだ。これ以上何も聞けないのは、生殺しだと思う。
 初恋を思い出すようだった。あの雪深いあの町で恋をした女。一言も声をかけられずに卒業してしまった女。あの後悔をしたくない。

 チャリン。

 彼女の手からコインが落ちた。それを拾い、また入れようとしたその手を彼は強引に引っ張る。
「え?何?何?怖い。」
 奥には街灯の光が届かない。薄暗い場所になる。4WDの車がありその影に隠れた。
「俺を連れてってください。」
「え?ホストの話?まだ続いてたんですか?その話。」
「えぇ。」
 呆れたように彼女はため息をつく。そしてうなずいた。
「わかりました。明後日の十九時に駅前の公園の噴水の前だそうです。私たちはその側で待ち合わせをしましょう。」
「本当に?」
「でも本当にあなたを無視するくらい、私はじっと観察かもしれません。それでもいいんですか?」
「えぇ。」
「変わった人。何がいいんだか。」
 彼女はそういって少し笑った。そしてその繋がれた手を離そうとした。しかしそれを彼は離そうとしなかった。
 薄い明かりでもわかる。彼の表情。じっと彼女を見下ろしていた。前と一緒だ。彼女はそれ以上踏み込まれてはいけないと、その手を離そうとした。しかし離さない。
「離してもらえませんか。」
「いやです。」
「強引な人。女性はそういうのを好むんですかね。」
「……女心なんてわかりませんよ。でもあなたのことは知りたい。春川さん。このまま抱き寄せます。」
「ダメです。」
「いやです。」
 彼は肩を掴むと、彼女を抱き寄せた。誰よりも抱きしめたい体だった。柔らかくて温かい。女性特有の温かさだった。
 このまま彼の背中に手を伸ばすのは簡単だ。そうすれば楽になる。彼女はそう思っていた。きっと愛してくれているのだ。祥吾とは違う。その手で。
「ダメ……。」
 言葉ではそういいながらも、彼女はその背中に手を伸ばした。
「ダメです。こんな事許されない。」
「誰も許さないでしょうね。でも俺は離したくない。」
 彼は少し彼女を離すと、その頬に手のひらを当てる。ふわっとしている感触が伝わってきて、それが愛しいと思う。
「すいませーん。出したいんですけど。」
 その声が聞こえて、慌てて彼女は手を離した。男の声だった。そして後ろを向く。
「あ、すいません。」
 どうやらこの4WDの持ち主が帰ってきたらしい。彼は二人をじろっと見て、車に乗り込んだ。派手なエンジン音がして、車は走り去っていく。
 やばい。完全に流された。後ろを向いた彼女は、走り去っていく車のエンジン音が消えたのを確認して、正面を向く。
「また、連絡します。」
「はい。」
 頬が赤くなっている。きっとそれは彼も一緒だった。逃げるように彼女は精算機へ向かっていった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...