セックスの価値

神崎

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正直な気持ち

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 祥吾はその細い腕で、春川を抱きしめていた。そして彼女も彼の体に手を伸ばしている。
 だが祥吾は最近の彼女に違和感を感じていた。どんな女が家に訪れて手を出しても、彼女は何もいわなかった。それが妻としての美徳だと信じていたのだろうに、この間、数日間家を空けた。彼との距離を取るように。
 そして今日会った桂という男。祥吾にはない若さと、何より男らしさがある。
 ただの知り合いだ。彼女はそう言っていたが、どうも違う気がする。男と女だ。何があっても不思議ではない。それに彼女が貞操をずっと守っているとは思えない。女にも性欲があるのだ。
 彼女に手を出さなかったのは、子供を作る気はないのに、セックスをする意味がわからないと彼女が言っていたのを聞いて、それを望んでいないと思ったから。だが違う。
「春。」
 彼はそう言って彼女を少し離す。彼女をあんな男に渡したくはない。
 そのときだった。彼女の仕事用の携帯電話が激しく鳴った。彼女は彼を離して立ち上がると、その電話に出る。
「もしもし。あ……はい。覚えてます。明日ですね……。」
 彼女はバッグからスケジュール帳を取り出して、何かメモをしていた。
「えっと……。そうですね。十三時なら。はい……。ではそのときに。はい。失礼します。」
 そう言って彼女は携帯電話の通話を切った。
「仕事?」
「えぇ。本が出るので、そのカバーのデザインを見て欲しいと。明日出版社へ行ってきます。」
 何か書き込むと、またバッグにスケジュール帳をしまう。
「春。」
「どうしました?」
「……いいや。今度、一人称の本を出してみるといい。君の体験したことなんかを、感じたままに書いてみなさい。」
 すると彼女は首を横に振る。
「どうしてだ。」
「……一人称だと、どうしても個人の考えになってしまいます。同調できる人もいれば、それを拒否する人もいるでしょう。読む人を選ぶ書き手にはなりたくありません。」
「春。作家は、読み手を選ぶべきだ。君は万人受けを気にしすぎる。」
「売れなければ意味がないでしょう。」
 いい作品はこの世に沢山ある。彼女の作品よりも名作だと思える作品だってごろごろしているのだ。だが彼女が売れているのは、時代の流れともいえる。
 だから売れるときに売っておかないと生きていけないのだ。誰にも頼れないのだから。
 祥吾だっていつ彼女をいらないと言い出すかわからないのだ。
「春。こっちへ来て。」
「……。」
 すると彼女はゆっくりと彼の横に座った。そして肩を抱かれる。
「私が君を離すことはないから、君は安心して作品を書きなさい。」
「……。」
 全てが上っ面だ。そう聞こえて仕方がない。なのに、彼はその肩に置かれた手を、ゆっくりと彼女の首へ、顎へ、そして頬へ。
 顔を近づけて、唇を重ねた。今度は舌で唇を割ってくる。
 煙草の臭いがした。それは桂にはない臭いだった。目を瞑り、桂を感じようとしても、その臭いが彼を感じさせてくれない。

 目を覚ました。祥吾はいない。彼はそのキスだけを残して、自分の部屋に帰っていったのだ。
 彼は決して彼女を抱かない。抱かなくなって二、三年になる。
 でも夕べは抱かれなくて良かったと思った。桂を重ねてしまうから。桂は、他の女と仕事セックスをしているのを知っている。だからといって、彼女も彼以外の人とセックスをしていいとは思えないのだ。いいや。本来なら桂としてはいけない。
 だが心がこんなに揺れる。
 祥吾とセックスをしなくて良かったと思える自分が、とてもイヤだった。

 その日は少し雨が降っていた。台風が来ているらしい。早く用事を済ませて帰らないといけないが、用事は山のようにある。全て終わるのはきっと夜中になるだろう。
 だが今はその方が都合がいい。
 祥吾は最近、春川を監視するようになった。男の影があると信じているのかもしれない。電話がかかり、資料が必要だといいながら無理矢理帰らせることもある。それが少しうっとうしい。こんな男だったのだろうか。
 彼女はそう思いながら、車を走らせていた。頼まれた資料を図書館でコピーして、次の予定地である出版社へ向かっている。車の中はラジオが流れていた。台風情報が流れ、少し音量を上げる。どうやら台風が一番ひどいのは、今夜のことらしい。
 きっと祥吾は、庭に置いている物干し竿一つ入れたりはしない。まぁ今日は家政婦の幸さんが来てくれているはずだ。そう心配をすることはないだろう。
 信号で止まり、バッグの中からお茶を取り出そうとした。しかしその手は空を切る。
「しまった。」
 どうやら図書館に置きっぱなしにしていたらしい。新しいモノを買うしかないと、彼女は車をコンビニに付けた。
 お茶を手にして、レジへ向かう。するとレジには一人の老女がいた。どうやら財布が見あたらないらしく、鞄をごそごそと探っている。店員もいらっとしているらしく、その人をじっと見ていた。表情には現れていないが「早くしろ」と言っているように見える。
 これで接客業かね。春川はそう思いながら、彼女に近づいた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ。すいません。ちょっとお財布が見あたらなくて、さっき食事をした時かしら。」
 彼女の周りにはそれらしき人はいない。どうやらどこかへ行ってしまったらしい。
「すいません。これと一緒に、支払ってください。」
 春川はそう言ってお茶を置いた。
「お嬢さん。いいんですよ。」
「いいえ。私もついでですから。」
 そう言って彼女は、老女の分のお茶と二本のペットボトルを手にした。
「どうぞ。」
「すいません。ありがとう。」
 白髪頭の老女は、ペコペコと彼女に頭を下げる。そして二人でコンビニの外にでた。
「どこかへまだ用事があるんですか?」
「えぇ。駅へ。息子が迎えに来ているはずなんですがね。」
「雨が降ってますし、送りましょうか?」
「いいえ。いいえ。結構ですよ。お嬢さん。そこまでしてもらうわけには。」
「いいんです。私もその方向に用事があるんで。」
 どうやら田舎から出てきたらしい。この雨の中、大きな荷物を抱えていくのは大変だろう。
「狭い車ですが、どうぞ。」
「えぇ。ありがとう。」
 助手席に置いている荷物を片づけて、彼女を乗せる。
「どちらからですか?」
「もっと北の、小さな町の方なんですよ。」
「へぇ。きっと綺麗なところなんでしょうね。」
「田舎ですよ。お嬢さんは?」
「私は、もっと南の方の漁村です。」
「仕事でここに?」
「えぇ。そうですね。」
 お嬢さんと信じている。そのままにしておいた方がいいと、結婚していることは言わなかった。
 あまり距離はなかったので大した話をせずに駅に着く。車を停めて彼女を降ろすと、彼女はまたペコペコと頭を下げた。
「すいませんね。お嬢さん。お茶のお金を払わないといけないんですが。」
「いいえ。お気になさらずに。」
「よかったら連絡先を教えてもらえませんか。息子にお礼をさせますので。」
「大丈夫ですよ。」
 そのとき彼女のバッグからけたたましい音が鳴った。それはきっと携帯電話だ。
「もしもし。あぁ。啓治。駅にいるわ。えぇ。駐車場。親切なお嬢さんに送ってもらったの。」
 啓治という名に、彼女は少し驚いた。だがどこにでもある名前だ。桂とは違う人だろう。
「困ってるところに、親切にしていただいたわ。あなた、何か買ってきて。立体駐車場の一階。Bと書いてある柱の側。白い軽自動車の側にいるわ。」
「困ります。」
「いいんですよ。お嬢さん。」
 携帯電話を切って、彼女は微笑んだ。しばらくすると、傘を手にした男がやってくる。その姿を見て、彼女は驚いた。
「桂さん。」
 桂も彼女を見て驚いていた。
「春川さん。何でここに?」
 やはりそうだった。彼女はきっと彼の母親だ。
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