セックスの価値

神崎

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 寒くないようにと体に布団を掛けてくれた。そして裸でくっつき合う。その温もりが嬉しかった。
「春。」
 名前を呼ばれて春川は桂を見上げる。すると彼は額にキスをした。
「好き。」
「私も……好きよ。」
 唇を重ねながら彼は彼女を下に、そして自分は上に乗りかかった。そのとき、リビングから電話の音が聞こえる。その音に彼は手を止めた。
「……ごめんなさい。私かしら。」
 それは仕事用の電話の音だった。ますます出ないといけないだろう。彼女は裸のままリビングへ向かい、テーブルに置いてあった携帯電話を手にする。それは出版社からの電話だった。この出版社からは今度新刊が出る。そしてその次の作品は雑誌用のモノで、先ほど浜崎という男がチェックしていたソレがそうだった。
「はい。あ……初めまして。春川です。」
 桂がやってくる。祥吾からならいたずらをしてやろうかと思っていたが、本当に仕事の相手だったらしい。
「え……。」
 彼女の顔が急に青ざめた。手が震える。
「……はい。今すぐ行きます。中央署でよろしいですか。」
 中央署と言う単語に、桂も驚いていた。そして電話を切ると、彼女は下着を身につけ始める。
「どうしたんだ。」
「……さっき、担当者が来ていたの。その人が自殺をしたって。」
「自殺?」
「ビルから飛び降りたそうよ。三十階から。即死だったって。」
 先ほど彼女の元にやってきていた浜崎という男だった。
「私の所へ来ていた。そのとき様子がおかしいことはなかったかって、話を聞きたいらしいわ。」
「……何かあったか?」
「えぇ。あった。だからそれを証言しないといけないでしょう。」
 きっと時間がかかる。もう彼女を抱けないかもしれない。桂も下着を身につけ始めた。
「俺も行く。」
「啓治。」
「何があったのか、俺も聞きたい。それに……。」
 何があったのかというのは、おそらく……いや、ほぼそういうことだろう。そのときの彼女のメンタルが気になるところだった。そのとき支えてやりたい。愛しているから。
「啓治。あなたがいたらそれこそおかしいわ。終わったら連絡する。それから……この続きをしたいの。」
 彼女はそういって彼の胸に倒れ込んだ。
「部屋に来るか?」
「一人では耐えれないかもしれない。優しく抱いて欲しい。」
 彼女を抱きしめた。温かくて柔らかい。しかしこの人は自分のモノではない。
 もし彼らが夫婦であれば、彼が一緒に警察署へ行くのはおかしくないだろう。
 だが彼らは他人であり、本来彼女と一緒に行くのは夫である冬山祥吾だ。しかし祥吾はここに居ない。
 彼女といるのは啓治なのだ。だが彼では支えにもならない。それが悔しい。だからわざと祥吾の事を聞いた。
「祥吾さんには言うのか?」
「連絡する。たぶん繋がらないだろうけど。」
 きっと祥吾はほかの女との情事を繰り返している。彼女のことなど頭の隅にもないのだ。

 深夜の警察署には、人が少ない。冷たい足音だけが廊下に響いている。受付で、春川は名乗るとすぐに男がやってきた。白髪の混ざった細面の顔をした背の高い人で、おそらく桂とそんなに身長は変わらないだろうし、歳もそんなに変わらないだろう。
「春さん。お久しぶりです。」
「……土方さん。あなたでしたか。」
 顔なじみだった。しかしお互いあまり顔を合わせたくなかったのか、彼女はふっと視線を下げる。彼は受付台から出てきて、彼女を見下ろす。
「またこんな形で再会するとは思っても見ませんでした。」
「えぇ。そうですね。両親の時以来ですか。」
 春川の両親は死んでいる。父親が母親を殺したのだ。そのときの担当刑事が、まだ若き土方茜だった。
「話を聞きたいのですが、そうですね……聞かれたくない話もあるでしょう。別室で聞きましょうか。」
「そうですね。お願いします。」
 あのころと変わらない。春川はあくまで冷静で、表情に現れることはほとんどない。だがそれは表面上だ。
 十年前、彼女に取り調べをした。そのとき彼女は冷静に答えていたのを見て、上司から「本当は彼女がやったのではないか」と言う疑問さえ生まれていた。
 だが彼は知っている。
 彼女がトイレに籠もり、ほとんど食べたモノや飲んだモノがないのに、胃の内容物を吐き出していたのを。
 だがあのときの本当の意味での被害者はあの姉だろう。浅海夏。今でも行方不明だ。きっと外国へ高飛びをしているのかもしれないし、のたれ死んでいるのかもしれない。
 幸せならそれでいい。
 彼女はそういって笑っていたが、本当は会いたいのではないかと思っていた。

「……なるほど。作家として活躍をされていたのですか。」
「えぇ。」
 刑事物のドラマでよく見るような鉄格子のかかっている窓などではなく、どうやら何か会議をするための部屋のようだ。取調室は、春川にとってトラウマがある。土方はそう思って、彼女をソコへ案内したのだ。
「浜崎さんはあなたの担当だった。そこで変わったことはありませんでしたか。」
「……ありました。」
 彼女は正直に言った。
 彼から組み敷かれたこと。それを拒否したこと。そして彼は結婚してそろそろ父親になること。
 土方は難しそうな顔をして、うなづいていた。
「なるほど。」
「普段はそういう人ではないし、今日様子がおかしかったのは事実です。だけど自殺するくらい、追いつめられているとは……。」
 紙コップのコーヒーを手にして、彼女は首を傾げた。
「他殺はないと思います。恨まれるような人物でもないが、ただ、相当ストレスが溜まっていたと思いますよ。」
「……自分の意にそぐわない部署にいたから?」
「それもあります。官能小説の部署の前はゲイ雑誌の部署だった。本来、彼が求めていたのはスポーツ紙だった。だがソコの配属は一度もない。」
「甘い人……。」
 春川も好きで官能小説を書いていると思っていたのだろうか。
 桂だって好きでポルノ俳優をしているのだと思っているのだろうか。
 みんな自分の意にそぐった仕事などしていない。
「その上、父親になることからその自覚をずっと責められていた。奥様にしてみたら、ほとんど帰ってくることのない彼にいらついていたように思えます。」
「……それがそのような行動に?」
「すべてに拒否された。そんな気分になったのではないですか。」
「……。」
 きっと孤独だったのかもしれない。だからと言って彼女に何が出来ただろう。
 彼に手をさしのべるのは、彼女の役目ではなかったはずなのだ。
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