セックスの価値

神崎

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 明らかに春川の様子がおかしかった。しっかり運転はしていたが、言葉はなく顔色も悪い。運転という行動だけが、自分をしっかり保とうとしているようにも見える。そうしなければ、彼女はどこか崩れてしまいそうだと充は思った。
 こんな時彼女にはついてやれる人がいるはずだ。それは彼女の旦那。しかし彼女のその左手には指輪がない。もしかしたら旦那と何かあったのだろうか。それにあの場所が何かさせたのか。それともあの場にいた誰かがそうさせたのか。それは誰だ。嵐か。イヤ、違う。だったらあの場にいたのは明奈。
「着いたわ。駅でいいんでしょう?」
「春川……お前……。」
「何も聞かないで。さっさと降りて。」
「俺には関係ねぇっていいたいのか?」
「関係ないわ。さようなら。どこかで会うこともあるかもしれないけれど、それまで何事もないことを願う。」
 いろいろ聞きたいことはある。しかしここは降りないといけないだろう。充は車を降りる。すると車は行ってしまった。彼は舌打ちをして、その場を離れようとする。そのとき彼の携帯電話がなる。
「はい。あ、すいません。ちょっと撮影に行けなくって……はい……そうですね。別の撮影に潜り込ませて記事にします。でも秋野も同じような記事を載せるみたいですけど。」
 すると電話の相手の編集者は、春川から秋野に改名したことを知っていて、そして彼女が書いているものが人気があることを知っている。それ以上の記事は充には書けない。
「別の……ですか?はい。わかりました。」
 別のものを書いてくれと言うことだった。電話を切り、彼は不機嫌そうに携帯電話をしまう。結局文章も、記事の魅力も、彼女には勝てないのだ。

 スケジュールが押していると深夜にまで及んだ映画の撮影は、愛美の代役で進められた。牧原は「だめ」というときもあるが、英子よりはNGが少ないことに桂は安心してそれを見ていられる。
 しかしこれからが勝負だ。波子に近づいたのは狙いがある。波子の後ろにいる譲二に向けられた毒をゆっくりと食らわす。汚れ役だ。おそらく映画が公開されれば、彼の今までの物珍しさと、外見の良さで近づいてきた人たちは一気に減る。それだけの演技をしないといけないのだ。
「……。」
 それにしても、感のいい女だ。牧原の「だめ」という言葉にもめげることなく、どうしたらいいか、どう演じたらいいのか、それの上にある波子の心情まで酌もうとしている。良かった。こんな女が波子を演じてくれて。
 愛美を押したのは、春川だという。隠し撮りをした愛美が演じた波子の演技を携帯で撮っていたのがきっかけだった。それを送りつけてきたのは春川だった。牧原のアドレスを知らなかった彼女は、桂にそれを送ってきた。
「波子がいる。」
 牧原はそう言って、彼女をすぐに採用させた。
 感は大当たりだったわけだが。
 だがそれ以降、春川は姿を見せることはなかった。桂に連絡を取ることもない。次の作品に取り組んでいるのかもしれない。
 出張ホストと社長秘書の話だという。きっと出張ホストのことでも考えているのかもしれない。そっとしておこうと思っていた。
「桂さん。これ見た?」
 次のシーンの準備をしていると、玲二が声をかけてきた。彼も次のシーンに出番があるというのに、ずいぶん余裕があるようだ。
「何だよ。」
 彼が差し出したのは、携帯電話だった。それは芸能ニュースみたいだった。
「長峰英子がホストに入れ込んでんのすっぱ抜かれてる。」
「……そっか。」
 白黒の荒い画像の中、防止とサングラスで変装した英子が黒いコートの男の腕に手を絡ませている画像が写っていた。
「これってあれか?みんな計算通りって奴?」
「しらね。」
「だとしたら、春川って奴が仕組んでんだろ?どんなコネ持ってんだよ。そいつさ。」
「一回くらい寝とけば良かったか?」
「バカ言うなよ。長峰英子って、これが最初のスキャンダルじゃねぇだろ?そんなガバガバのヤツに突っ込んでもなぁ。」
「……。」
 やがてリハーサルが終わり、本番を迎える。
「本番!」
 その声に二人は物音を一つたてずに、牧原絹恵と相川秀一とのシーンだった。大物二人の演技に、二人はじっとそれに見入った。さすがに年季の入った演技だ。まるでそこだけ異空間のようで、長い台詞も彼女らにさせたら自然の演技だ。
 しかし牧原は容赦ない。
「だめ。さっきのがいい。」
 息の詰まったようなシーンだったのに、彼は容赦なく切り捨てた。
「マジか?よく切ったなぁ。」
「牧原さんって、絹恵さんより年下だろ?それでも相川さんに駄目って言えるんだな。」
「駄目なら誰にでも駄目っていうだろ?」

 やっと撮影が終わったのは、深夜二時のことだった。桂は、衣装を脱いでバッグにある携帯電話を手にした。するとそこにはメッセージが入っていた。相手は春川だ。
 それをチェックすると、彼女はどうやら仕事場にいるらしい。
 家に帰るのが楽しくなる。そうだ。何か差し入れでもしようか。でももうこの時間だ。コンビニくらいしか開いていないだろうがそれでもいいだろうか。
 携帯電話をしまい、スタジオをあとにする。すると一人の男が彼に近づいてきた。
「久しぶりですね。桂さん。」
 その男に見覚えがあった。それは西川充だった。彼のキャラクターというよりも彼の容姿に見覚えがあったのだ。
「……なんの用だ。」
「冷たいですよね。相変わらず。」
「あんたが来るとろくなこと無いからな。」
「もう女を襲ったりしませんよ。あんたの女なら尚更ね。」
 サングラスをかけているその奥の瞳の奥が、少し怒りに変わった気がする。
「俺の女じゃない。だいたいあの人は人のものだ。」
「そういうの気にしましたっけ?」
「今は気にする。」
 昔ならともかく、今はもう一人しか見たくなかった。それを邪魔する充は消えて欲しいと思う。
「桂さん。今日俺、その人と一緒に取材に行ったんですよ。」
 その言葉に去ろうとした彼の足が止まる。
「一緒に?」
「えぇ。未亡人もののSMでね。」
「嵐さんの監督か?で、相手は竜さんってわけだ。」
「その通り。」
「やれやれ。」
 ハードのプレイになったんだろう。それでも彼女が「なんですか?これ。」といって興味津々に聞いて回っている姿が安易に想像できて、笑いそうになった。
「秋野さんもそれを見てたんですね。」
「……なんですけどね。」
「何?」
「俺、見られなくって。」
 その言葉に彼は驚いたように彼をみる。
「何で?」
「途中で秋野さんが帰ってしまって。」
「帰った?」
「いいや、正確には始まる前に帰っちまった。」
 その言葉は彼にとって寝耳に水だった。プロ意識の強い彼女がそれを投げてまで帰ることがあったのだろうか。
「……竜さんなら、何度か一緒に飲んだこともあるし、監督は嵐さんだ。何がそうさせたんだろう。」
「それを聞きたかったんだが、あんた何も知らないのか?」
「あぁ。知らないな。」
「それで恋人かよ。」
 するとその言葉に彼は彼の首もとに手を当てる。
「誰が恋人だって言ってんだよ。」
「苦しいって。離せ。」
 力付くでその手を離すと、充は派手にせき込んだ。その隙に桂はバイクの方へ向かう。
「嫌らしいゴシップ記者の精神は抜けきれないみたいだな。」
 そういって彼はヘルメットをかぶる。
 きっと長峰英子の記事を書いたのはヤツだ。そんなヤツに春川のことを知られたくはなかった。
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