セックスの価値

神崎

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 バイクでコンビニへ向かい、ヘルメットをとる。そして暖かい店内に入りケーキを物色していると、桂の携帯電話が鳴った。春川からのメッセージに、彼は住ぐにそれをチェックする。
「旦那が仕事場にいます。」
 ケーキは不要になった。おそらく今もいるのだろう。時計を見ると、二時三十分。こんな時間にまだいると言うことは、きっと朝までいるつもりだろう。
 ずっとセックスレスだと言っていたのに、いきなりセックスをしたのだという旦那。今日もするつもりなのか。あの体を好きなようにするのか。そう思うと拳に力が入る。
「すいませーん。良いですか?」
 女性の声がして、彼はそちらを振り向く。するとそこには水商売風の女性がケーキに手を伸ばそうとしていた。彼は体をよけると、そのままコンビニを出ていく。
 身を切るような寒さだ。吐く息が白くなる。こんな日は人恋しくなる。だが彼の「人」というのは、春川のことしかいない。彼女を抱きたい。痺れるほどキスをして、体の中から沸いてでるくらい温かな衝動をぶつけて、ぐじゃぐじゃに喜ばせて、求めて、求められて、そんなことをしたい。
 会えると思っていたからかもしれないが、期待が少しあった。だがその衝動を抑え、彼はヘルメットをかぶるとまた夜の道を走っていく。

 マンションに付くと、エレベーターに乗り込んだ。
 上の階を押すと、静かに上がっていく。もうこんな時間に乗り込む人はいないのだ。そして携帯電話を見て、スケジュールを確認した。
 明日は昼頃に雑誌の取材がある。そのあと映画の撮影を少しして、AVの撮影がある。明日も帰ってくるのは夜中になるだろう。
 ため息を付き、エレベーターの階が上がっていくのを見ていた。するとドアが開き、彼はそこをでた。
 自分の部屋へ行こうとしたときだった。途中の部屋のドアが開く。
「すいません。なんのお構いもしないで。」
「いいや。仕事の邪魔をしに来たようだ。」
 それは一番恐れていた人たちだった。
 祥吾と春川。ちょうど帰る時間だったらしく、春川が祥吾を見送っていたのだ。
 タイミングが悪いと、桂はそこを離れようとした。しかしそこで彼が引き返すと、祥吾はさらに彼を怪しい目で見るに違いない。春川の話では、祥吾は桂のことについて怪しんでいるという節がある。ここは堂々と帰るに越したことはないだろう。
「……。」
 足を進めると、祥吾が桂に気が付いた。
「あぁ、桂さんでしたか。」
 一度対談をしたくらいでは覚えていなかったのかもしれない。彼はわずかに笑うと、挨拶をした。
「冬山さんと……助手の方ですか。こちらにお住まいですか?」
 誤魔化すように桂は彼らに話しかける。その様子に、春川は困ったように祥吾を見ていた。すると祥吾の方から、挨拶をする。
「ここは彼女の仕事場ですよ。家は私の家に住んでいます。」
「仕事?助手が仕事でしょう?」
 すると祥吾は少し笑う。
「彼女と対談したことがあるでしょう?担当者の前ではないので普段通りで大丈夫ですよ。桂さん。」
「……。」
「もちろん、助手と言うのは間違いではありません。彼女は私が外にあまりでない分、資料集めやパソコン業務をしてもらっています。優秀な助手です。そして……優秀な作家です。」
 隠すつもりはないのだろう。堂々と彼は彼女を作家だと紹介した。
「えぇ。一度対談させていただきました。春川さんですよね。」
 彼の前ではそうした方がいいのかもしれない。彼女はいつもの笑顔で言う。
「お久しぶりです。桂さん。」
「わかっていましたか。」
 祥吾は驚いたように彼を見る。
「えぇ。対談させていただいたし、俺の撮影も見に来たことがありますね。嵐さんがあんたを気に入っていた。」
 嵐の名前に祥吾の表情が僅かに変わる。それに少し違和感を桂は感じていた。
「嵐に?春。それは初耳だな。」
「そうでしたか?気に入られているとは思ってませんでしたが、ただ、よくいろんな事情を酌んでくれて現場も見せてもらえました。大変助かっています。」
「……春。あまりそういったことに擦れてはいけない。」
「どうしてですか?」
「あぁいう場では誤解を招かれやすいんではないんですか?桂さん。」
 桂は心の中でため息を付く。この男も何もわかっていないと。
「いいえ。大丈夫ですよ。撮影のスタッフの中には女性も多いですし、男優は素人に手を出す人などいませんよ。」
「しかし……。」
 素人の考え方だ。AVの男優は性欲が有り余っているから、そういう仕事に就いているのだろうという偏見。それが屈辱だと祥吾はわかっていない。
「冬山さん。この国のAV女優は一万人ほどいると言われていますが、男優は七十名ほど。その中でもプロだと認識されているのは二十人ほどです。」
 あまりの数の少なさに、祥吾は少し驚いているようだった。
「毎日のようにセックスする人もいますし、勃起させるのにサプリメントや薬に頼る人もいます。そんな人たちが、素人相手にすることはほぼ無いと思ってもらって良いですよ。」
 たかがAV男優だ。そう世の中の男たちが思っているように、祥吾も待たそう思っていたのだろう。近くにいた春川には、彼が奥歯を鳴らす音が聞こえた。
「あなたはその中で二十人のうちにはいっているのですか?」
「……役によっては。メインでしている人のサブにはいることもありますね。最近は、射精しなくても良いという仕事も増えてきました。楽になりましたね。」
 この間対談したときとは違う人のようだ。
 有川の前だったからだろうか。差し障りのない普通の会話をしていたと思っていたのに、今は違うような気がする。言葉にするのを控えるような言葉も平気で言ってくる。
 春川にもそういうところがあるが、彼のような人が言うのは少し違和感があった。
「桂さんは、この階のお住まいですか?」
 誤魔化すように祥吾は聞いた。
「えぇ。この奥です。」
「春は興味のあることがあると、周りが見えなくなるところもある。桂さん。余裕があればで結構なのですが、もし現場で彼女を見ることがあればあまり危ないところへ近づかないように見ていてくれませんか。」
 その申し出に彼は特に断る理由はない。だが祥吾がわざわざそんなことをいうと言うこと自体に、春川は少し疑問を持っていた。
「先生。そんなことを桂さんに頼むなんて……。」
「君が危なっかしいから言っているんだ。どうせまたそのAVの取材へ行きたいというのだろう?」
「……それは……。」
 言葉に詰まってしまった。すると桂は少し笑い、祥吾に言う。
「結構ですよ。俺も今はあまりAVの現場は押さえているんですけど、彼女の場合はきっと映画の方の撮影で見ることがあるでしょうし。」
 そして彼は言う。
「いい助手ですね。まるで奥様のようだ。」
 彼が発した祥吾に対しての嫌みの一つだった。
 彼もわかっていたのだ。祥吾が「たかがAV男優だ」と卑下してみていたことを。
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