セックスの価値

神崎

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初めての味

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 映画の現場で、愛美はいつになく緊張していた。英子が主役である波子の役を降りて、自分が代わりに主役を演じることになったのは、原作者である春川の尽力によるものだった。
 しかし波子の役はベッドシーンがふんだんにある。
 幼い頃からモデルをしていたが、やっぱり役者をしたいと高校生の頃からちょくちょくと端役ばかりをしていた。やっと掴んだチャンスだ。もう彼女も二十五歳になる。大人の役をするべきだと事務所からもせつかれていた。だから波子の役が転がり込んできたときは、心の中でガッツポーズを取ったものだ。
 しかしいざベッドシーンを目の当たりにすると、目の前が真っ暗になりそうだ。しかも相手は、AV男優。慣れている彼に身を任せればいいからと言われたが、それでも緊張する。
「よし。」
 楽屋から出ていき、彼女はスタジオへ向かう。そこには玲二と桂のシーンを撮っているはずだ。
「本番!」
 ドアを開けると、かけ声がする。タイミングが良かった。
 役柄では同じ歳だという設定だが、実際は桂の方が十歳近く年上。しかし役になれば同じくらいの歳に見える。台詞を噛むこともなく、二人のシーンは流れていく。長い台詞だ。それでも感情を込めて、彼らは役になりきる。これが役者なのだ。玲二は譲二に、桂は竜之介になる。
「いいよ。」
 牧原の声に、現場監督が「OKです」とかけ声をかける。その声に場の空気がふっと軽くなった。
「あの二人のシーンは安心して見られるな。」
「玲二が桂に食らいつこうと必死だけどそれを絶対表に出さないし、そういうとこあいつ見せないし。」
「なおさらだろ?桂もまた徐々にうまくなっているから。あいつ、この間のシーン、すげぇ鬼気迫ってたぜ。」
 桂の評判は相変わらずいい。ここのところは、ネット配信のテレビ番組に呼ばれることもあるようだ。もちろん、十八歳以下は見れないものだが。
「お。愛美。来てたのか?」
 玲二が声をかける。その声に桂も彼女を見た。
 玲二と愛美は昔からよく知っている仲だ。玲二もまた昔はその容姿を利用してモデルをしていたこともあり、彼女と撮ることもあった。疑似的な恋人として。だが桂は初対面だった。二十五と聞いて、AVで相手をしている女よりもすれていないし、もっと子供のように見える。だから二十歳ほどの波子の役が出来るのだろう。
 だが桂は彼女を前にすると心の中で冷静を装う。
 役のためだからと見事な黒いロングヘアをばっさりとショートボブまで切ったのだ。あまり背も高くないし、細身だ。それがどことなく春川に似ているのだ。
 春川にはずっと会っていない。連絡を取ることはあるが、愛しているなどメッセージで送ることもない。以前聞いた話では彼女の旦那からチェックされることもあるという。不用意なことは送れないのだ。
 だけど会いたい。
 家に帰れることも最近は少ないが、帰ってくるといつも春川の部屋を見てしまう。彼女がいないかと。しかしその家のチャイムを押すことはない。旦那が来ているかも知れないから。
 だけど会いたい。
 だから目の前で毎日のように会う愛美を見ると、心が苦しくなる。同じ年頃で、同じような容姿をしているからだ。
「桂?」
 玲二の声で我に返った。二人を見ると不思議そうな顔をしている。
「何?」
「愛美が聞きたいことがあるんだってさ。」
「ん?何?」
「あの……ベッドシーンなんですけど。」
「あぁ。」
 そういえば彼女との絡みが一番多い。そういうシーンにも慣れないといけないのだが、まだしていないベッドシーンに自分も冷静でいられるだろうか。春川を重ねないだろうか。
「どこまですればいいんですか?」
「は?」
「監督は牧原さんのように背中だけとはいかないって言ってましたけど、ちゃんと……その感じているように演技をするって……。」
「愛美。何、処女みたいなこといってんだよ。」
 その言葉に愛美の頬が赤くなる。
「お前どうせ処女じゃねぇじゃん。」
「だってぇ。」
「……演技だよ。全部。君も出来るだろ?役者なんだし。波子ならどうするか、波子ならどう感じるか、それを想像すればいいんじゃないのかな。」
「波子の?」
「そう。俺は波子を利用して譲二を陥れる。そのために波子に惚れさせる役。波子は愛されてると信じている女。」
「……そうですね。」
「君は何も知らないお嬢様だ。感じれば声をあげればいいし、イヤだと思っているなら耐えればいい。それをどう受け取るかは監督次第だと思うよ。」
 春川に話すようにとはいかない。普通の女の子なのだから、オブラートに包み直接的な表現を避けた。
「桂さん。あんたなら波子を感じさせようとする?」
「俺が感じさせたいのは一人だけだけど、竜之介なら譲二を陥れるために波子を利用するだろうから、全力で身も心も捧げられる従順な女にするために感じさせるだろうな。」
「何?一人だけって?」
 そのこと場に食いついたのは、玲二だった。案外ゴシップ好きなのかもしれない。
「そこは問題じゃないだろう?」
 そういって桂は笑う。そのときスタジオに入ってきたのは、絹恵だった。少し前までぎすぎすしていた彼女だったが、最近は柔らかくなったように思える。そんな彼女はスタッフと談笑しながら入ってきた。
「あら、やだ。そんな昔のことを……。」
「懐かしいね。絹恵ちゃん。」
 スタッフの一人は絹恵よりも年上の男。絹恵を起用するに至って、彼を呼んだのは牧原の尽力だった。割と彼女よりも年下の人が多いこの現場では、彼が息抜きになっているのかもしれない。
「あら。お揃いね。」
 彼女は三人を見て近づいてきた。
「どうかしら。愛美さん。急に主役を得た感想は?」
「緊張してます。でも……足を引っ張らないようにがんばります。」
「そうね。その調子でお願いね。あなたの出来でこの映画が成功するかどうかかかっているもの。」
 その言葉に桂が不思議そうに聞く。
「あの……牧原さん。」
「何かしら。」
「この映画、売れると思いますか?」
 すると彼女は少しため息をついて彼に言う。
「売れる、売れないじゃないの。誰でも見てもらえない映画だけど、誰でもみたいと思える映画にするの。」
「昔のポルノ映画を彷彿とさせるくらいベッドシーンがありますよ。」
 玲二はそういうと、彼女は少し笑う。
「そうね。でも内容は面白い映画だと思う。原作がしっかりしているからね。春川さんって言ったかしら。」
「原作者ですか?」
「今度また彼女が原作の映画に出たいわね。」
 その言葉に彼はふと疑問に思った。どうして春川が女だとわかったのだろうか。男か女かもわからないという世間の声があるのに。
「女なんですか?春川って?」
「さぁ。どうかしら。私は会ったことがないけれど、本を読んだときに女性だろうと思っただけだけれど……。桂さんはお会いしたことがあるのでしょう?連絡も取り合っているみたいだし。」
 言えるわけがない。彼女のことは牧原監督でも言えないことなのだ。いつ辞めてもいい。彼女は本気でそう思っているから、姿を見せないのだ。
「会ったことはありますけど、言えないんですよ。」
「何で?」
 玲二がムキになって聞いてくる。ゴシップ好きはこれだからと彼は心の中でため息をつく。
「自分のことがばれたら即刻、書くのを辞めると言ってるんで。」
「えー?本当ですか?春川さんが辞めたら、出版業界が大ダメージでしょう?」
 驚いたように愛美は手で口を押さえた。
「だから言えないんです。」
「限られてくるんですね。知っている人が。」
 するとマネージャーらしき女性が、愛美を見て彼女を呼ぶ。
「愛美ー!メイクさん待ってるよ。」
「わかりました。すいません。私、失礼します。ありがとうございました。桂さん。」
「俺は何も言ってないよ。」
「あ、俺も行くわ。じゃあまた。」
 そういって玲二も去っていった。
 スタジオの中はまだセットチェンジに時間がかかっている。絹恵は桂を見上げると、少し笑う。
「桂さん。コーヒーでも飲まないかしら。用意してあるって言ってたわ。」
「あ、いただきます。」
 さっきの台詞は長くて、喉がからからだ。彼は絹恵に連れられるように、片隅にあるなが机に近づいていった。
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