セックスの価値

神崎

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初めての味

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 そのころ、祥吾は家を出てとある料亭の一室にいた。目の前には女優である牧原絹恵が居る。絹恵は藍色の小粋な着物を着ている。世の中で言うイメージ通りだ。そしてその横にはICレコーダーをセットしている編集者とカメラマン、メイクさんがいる。雑誌の取材というわけだ。
「同じ大学でしたのよ。学部は別で、サークルなんかも別ですけど。」
 絹恵はそう言って微笑んだ。
「顔見知りでしたか。いや、対談がスムーズに進むとは思っていたんですよ。」
 笑顔ではあったが心の中は穏やかではない。昔の恋人と恋愛の話をしているなど、滑稽だと祥吾は思っていたからだ。
「冬山さんはなかなかインタビューなどに応対してくれないと思っていましたしね。」
「人聞きの悪いことを言わないでくれないか。私は別に人嫌いではないのだよ。」
 彼はそう言ってお茶を口に運んだ。
「ではこれからインタビューもお受けしていただけますか。」
「あくまで私は小説家だ。芸能人ではないのでね。無理に顔を晒すことはないだろう。まぁ、絹恵さんのように美しい人であれば、問題ないだろうがね。」
「まっ。お上手ですこと。」
 そう言って彼女も手で口元を隠し微笑んだ。
 すべてが作られて、すべてが歪だ。
 やがて滞り無く進むインタビューは、すべて終わる。そして編集者は上っ面の笑顔を浮かべて彼らに言う。
「これで対談は終わりですが、食事を頼んでます。お二人で懐かしい話でもされて下さい。」
 そう言って編集者をはじめとしたカメラマンたちも出ていく。それを二人は笑顔で見送り、ふすまが閉まったとたん祥吾はため息をついた。
「珍しいことですのね。対談をされたいなんて。」
「たまにはね。自宅にはもう人を呼びたくないと思っていたし。だが……食事か。すでに君と食事をする仲ではないのだがね。」
「そうおっしゃらないで。こちらの食事はなかなか予約が取れませんのよ。腕のいい板前が居るそうですわね。」
「残念だが断るよ。君は旦那でも呼べばいい。」
「夫は映画のことしか頭にありませんから。」
 すると彼女はやってきた仲居に食事の用意を頼んだ。
「お酒は飲まれます?」
 その強引さに祥吾は苦笑いをして、立ち上がろうとした足をまたおろす。
「そうだね。最初はビールでももらおうか。最近は酒も断っていたがね。」
「まぁ。あんなに飲んでいらっしゃったのに。」
「若い頃は無理をするものだ。守のようにね。」
 遠藤守の名前が出て、絹恵は少し表情をこわばらせた。
 やがて瓶ビールが運ばれてくる。二人はビールを注ぎあい、口を付けた。
「あぁ言うのを無鉄砲と言いますのよ。あなたはそれを見て、文章にしていたのですよね。決して自分で体験しようとはしなかった。」
「守に言わせれば、私はただのコラムニストだ。まぁ、私も守のことは人殺しの小説しか書けない人だと言っていたが。」
「お互い様ですわ。守はあの女性を別邸で囲い、ノンフィクションの話を書こうと思ってました。」
「惚れた弱みにつけ込んで、汚い男だな。」
「あなたがそれをおっしゃって?」
「何だろうか。私が同じコトをしていると?失敬だな。君がそんなことを言うなんて。」
 ふすまが開いて、仲居が食事を運んできた。それで一度彼らは黙る。そして仲居が下がっていくと、また言葉を続けた。
「私が女性を囲っているというのか。」
「助手の方にお会いしましたわ。女性らしくはありませんでしたが、美人でしたわね。浅海さんとおっしゃりましたか。」
 その名前に彼の箸が止まる。まさか春が自分の名前を名乗ったのだろうか。名乗ることは止めていないが、彼女は本名を名乗るのをとても嫌がっていたはずなのに。
「浅海?あの子が君に本名を名乗ったというのか?」
「いいえ。否定してましたし、秋野という風俗ライターだと言い張ってましたね。」
 ほっとした。全力で否定しているのだろう。それでも絹恵はきっと疑っている。守が夏を囲ったように、自分も春を囲っていると信じているのだ。
「ですが……よく似ていらっしゃる。夏さんのように着飾ることをしないのは夏さんらしさを消していると思いますが、それでももって生まれた美しさを消すことはできませんのに。」
「彼女と浅海夏さんとは繋がりはないだろう。偶然同じ名字ということもある。ましてやあの事件の当事者ではない。私が助手として秋野を雇っているのは、彼女が有能だからだ。」
「では……同じ屋根の下に住んでいて、彼女に手を出すこともないと?」
「……それは否定しよう。私も男だ。」
「五十代になってもなおお盛んですものね。あ、ビールが無くなりましたね。次はお酒になさいますか?」
「そうだな。熱燗をもらう。」
 あっさり体の関係は認めた。だがきっと彼女とはもっと違う繋がりがある。
「……ところで、映画の撮影は順調なのか。」
「主役が交代しましたけどね。代わった女優は前の女優よりは有能ですわ。いい役者になりますね。うかうかしてられないわ。」
 それが本音だろう。昔から女王様ではないと気が済まない女だ。きっとラッシュを見ながら、歯ぎしりをしているはず。自分にピントが寄っていない、若い女優にカメラが向いている。それがつまらないと思っているはずだ。
 女優というのは花が必要で、画面のはしに映っていても目を引くような女性がいいとされている。絹恵はその美貌と演技力でそれを勝ち取ってきた。しかしもう若さはなくなっていく。そして主役を張れるほどの花もなくなりかけて、あとは散るだけだろう。
「十八歳未満は見れない映画だ。ポルノ映画のようだと私は思うがね。そんな映画に君が出るとは思ってなかった。」
「牧原があの原作を気に入ってますのよ。私も読んでみましたけれど、面白い本でしたわね。特に、主役やヒロインではなく、悪役に注目しますわ。」
「竜之介か。」
「あら。あなたもお読みになりましたの?」
 しまった。ここで春川のことを言うつもりはなかったのだが、久しぶりの酒で酔いが回ったのだろうか。
「うん……まぁ、今売れている本だと言っていたので、試しに読んでみた。官能小説のようだと思っていたが、綿密に調べ上げられてまるで純文学のようだと思った。」
「他人の本を誉めるなんて、明日雨が降らなければいいけれど。」
 少し笑うと、ふすまを開けて仲居が熱燗を持ってきた。そして黙って下がっていく。
「牧原は「薔薇」を映像化させるにあたり、竜之介の役をできる人選に一番困ってらっしゃいましたね。」
「汚い役だ。ポルノ男優でもないとやってくれないだろう?」
「えぇ。牧原はいい人選をしたと思いますよ。まぁ、原作者の方が口添えをしたみたいですけど。」
 その言葉に、祥吾は驚いて彼女をみる。
「原作者が?」
「えぇ。官能小説を書くにあたって資料としてポルノを見ていたときに、目に付いた男優さんを指名したそうですわね。演技のできる方で良かったわ。ポルノ映画なんて、演技を必要としてないように見えますものね。」
 春川がそんなことをしていたのか。と言うか、彼女は桂を推薦した。当初から彼を知っていて。対談したのが初めてではなかったのか。彼女は、最初からやはり桂に心を奪われているのだろうか。
 そうはいかない。彼女は自分の妻だ。それをあんな男に取られたくない。絶対に離さない。
「どうなさいましたの?怖い顔をしてらっしゃいますわ。」
「……いいや。何でもない。ずいぶん美味しそうだ。家で家政婦や助手が作るものとはやはり違う。」
「このクオリティを求められたら、私だったら即離婚ですわ。」
「そこまでは求めていない。」
 表面上は穏やかに、和やかに、時が進んでいく。だが祥吾の心の中の闇は、どんどんと膨らんでいった。
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