テロリストと兵士

神崎

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 朝の光で目を覚ました。隣には小さな温もりがある。その温もりに藍は焦って、体を起こした。女と寝たのかと思ったがそれは違う。
 よく見ればその隣で眠っているのは、温だった。
「……。」
 頭をかいて、夕べのことを思い出す。
 そうだ。夕べ鈴の屋台で話し込んでいたのだが、そこに知っている売春宿の用心棒がやってきて鈴も巻き込んで数人で酒を飲んでいたのだ。
 あまり飲んでなかったが、最近食事もあまりとっていなかったのもあって酔いがすぐに回ってしまったらしい。
 そして家がわからないので、鈴の家に預けられたらしい。子供もいるので変なことはしないだろうという気遣いもあったのだ。
 ため息をはいて、彼は手にかけているゴムで髪を結ぶと、ベッドを降りた。その隣にはもう一つベッドがある。おそらくそこで鈴は眠っていたのだろう。だがもう彼女の姿はない。
 隣の部屋へ行くと美味しそうな匂いがした。朝食の匂いだろうか。
「おはよう。早いわね。」
 キッチンを見るとそこには鈴がエプロンを身につけて、食事を作っているようだった。
「食事できる?」
「いいや。朝は食べない。」
「不健康ね。コーヒーだけでも飲んだら?」
 そういって彼女はサーバーからカップにコーヒーを注いだ。そしてキッチンを出ると彼に手渡す。
「砂糖はあるけど、ミルクはないのよ。牛乳ならあるけど。」
「いいや。これでいい。温は起きないのか。」
「まだ早いもの。」
 外を見るとまだ暗い。夏であることを考えてもまだ相当早い時間だ。
 彼女の手にもコーヒーの入ったカップがある。手を止めて彼の方を見ていた。
「ねぇ。温が居たから狭くなかった?」
「ベッドか?別に。どんな状況でも寝れる。戦争に行ったことがあれば、そんなものだろう。」
「戦争に?」
「帰って来れたのが奇跡だな。」
 そして帰ってきたから累に会えた。もう今は会えないが。
「帰ってきたのは待っている人が居るから?」
「どうしてそう思う?」
「隣のベッドで私も寝てたのよ。あなたずっと譫言を言ってたの。「累」って。」
「……。」
 知らず知らずに求めていたのだろうか。彼はコーヒーを口にして、ため息をつく。
「累って恋人?」
「……別に……。あんたには関係ない。」
 別れてしまったのか。別れてもまだ影を追っているのだろうか。そんな女をずっと想っている。見た目によらず一途なのだろう。
 夕べの話では、藍は花街で用心棒をしていたのだという。そういうことには慣れていると思ったが、案外ウブだ。
「まぁ、そうね。あまり自分のことをべらべらしゃべってもね。でも隣で人の温もりがあるのはあなたにとっては良いことだったのかもね。」
「どうしてだ。」
「ずっと寝れてなかったんでしょう?顔色悪かったけど、今はだいぶ落ち着いてる。」
 あの夜を思い出す。累を抱いて、力つきるように二人で眠った夜のこと。あの日のように熟睡はもう出来ないかもしれない。今日眠れたのは温のおかげだ。それだけは感謝をしなければいけないだろう。
「世話になったな。もう俺は行くから。」
「温が起きてから行かない?」
「いい。起きたら起きたでうるさいだろう?」
「それもそうね。じゃあまたね。」
「あぁ。」
 そういって藍は部屋を出ていった。くたびれたアパートの一室が、彼女の部屋だった。本来、こんなところに住んでいる女性ではない。屋台で酒とつまみを売っているようなことをしなくていい立場なのだ。
 称の子供である温が居るから。
 称には兄弟がいる。長男ではないから、伯爵の家を継ぐことはなかったがそれでもそれなりの立場が約束されていた。それを蹴ってまで、彼は鈴と一緒になりたかった。
 だがそれは叶わなかった。鈴は彼の立場を思い、温を身ごもったまま彼から離れたのだ。
 そしてその称は鼠に殺された。
 その直後、称の実家は温を探しているという。こんなスラム近くで母親が一人で育てているなど、家名を汚していると思っているらしい。だから鈴は目立たないように、夜の闇に紛れるように屋台をして細々と温と暮らしていた。
 それが自分の母親と少しだけ被った。
 暗かった藍の心に、少しだけ明かりがともった気がした。
「あんた。退いてくれないか。」
 後ろから声が聞こえる。振り返ると年の頃は、藍と同じくらいの長身の男が立っていた。特徴的な髪型で、黒いタンクトップの上から白い上着を着ていたが、その上からでもわかるくらいずいぶんがたいがいい。戦士のようだと思った。
「あぁ。すまない。」
 アパートの入り口にたっていたのが邪魔だったのだろう。すると男はあくびを一つして、港の方へ向かっていった。
 もうそろそろ市場が始まる時間だ。少し様子を見に行ってみるか。藍はそう思いながら、彼と同じ方向へ足を進めた。

 市場には活気が少しずつ戻っていたように思える。以前のようにとはまだいえないが、馴染みの顔がある。
 そういえばここで初めて累に会ったのだ。ずいぶん異性のいい女だと思っていたが、やはり目立たないようにそれでも彼女が持つ正義感が屈強な男に刃向かっていたように思えた。
 昔の話だ。
 もう彼女に会うことはない。もし今度会ったときはまた命を狙い合うのだろう。
「すいません。そのベーコンを見せて下さい。」
 そのとき馴染みの声が聞こえて、彼は慌てて振り返る。そこには累が居たのだ。
「……いいベーコンだな。」
「もう少し熟成させた方がいい気がします。」
「そうか?」
「焼いてみればわかりますよ。少し買って帰りましょう。」
 変わらないような表情のない顔。そしてその隣には先ほどの長身の男が居た。
「……。」
「それから、パンですね。安く仕入れが出来るところがあります。」
「あんたの繋がりを信じていいのか。」
「それなりに大事にしていましたから。こっちです。」
 まるでデートだ。累は藍の好きだった髪を下ろすスタイルで、今にも触れられそうな距離にあの男を見上げている。
 何なんだあの男は。誰なんだ。今何をしているんだ。聞きたいのに何も聞けない。触れるどころか、声すらかけられない。
 そして彼は遠ざかる背中に声をかけられずに、彼女とは逆の方向へ足を進めた。
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